展覧会内容

Exhibition

見どころ

その➀
全国で守り継がれてきた、天台の宝物を一堂に!

平安時代に比叡山ではじまった天台宗は、弟子たちがその教義を深め、さらに平安以降一大教団となり全国に広がっていきました。本展では国宝・重要文化財を多く含む、仏像、絵画、書、工芸といった各地で守り継がれてきた宝物を一堂に集めて、紹介しています。


また、本展に出品される彫刻には、各寺院で「秘仏」とされるお像も複数展示されます。数十年に一度しか公開されないお像や、これまで決して寺外には出なかったお像を拝見できるまたとない機会です。


  • ※展示期間が限定されるものがありますのでご注意ください。

その➁
比叡山延暦寺の総本堂、「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」の一部を会場で再現!

根本中堂とは、比叡山延暦寺の総本堂であり、最澄が建てた草庵に始まります。現在の建物は、織田信長の焼き討ち後に徳川幕府の援助を得て寛永19年(1642)に再建されたもの。内陣の中央には最澄自作と伝える秘仏薬師如来像と、最澄が灯して以来消えたことのない「不滅の法灯」が安置されています。秘仏本尊、「不滅の法灯」と参拝者が同じ高さに位置するという、仏堂としてはきわめて珍しい構造となっており、誰もが仏になれるという『法華経』の精神を体感することができます。展覧会会場では、堂内の様子を部分的に再現し、この空間を体験いただく予定です。

その➂
巡回会場ごとの異なる顔が楽しめる!

本展は、東京、九州(福岡)、京都の3つの国立博物館で開催する巡回展です。基本的な章立ては共通ですが、各会場、地域性を生かした特色あふれる展示を予定しています。

東京会場:東京国立博物館

最澄は、比叡山を拠点に『法華経』の教えを実践し、その功徳をひろく分かち合うために、天台宗の全国展開を計画し、自身も東国へ教化(きょうけ)の旅に出ました。東京会場では、東国を中心に全国に浸透した天台宗の精華をご覧いただきます。また東京国立博物館のある上野は、「東の比叡山」寛永寺の所在地です。江戸時代、徳川幕府と強固な関係を築いた天台宗は、関東での地盤を固め、太平の世を支えました。本展は、江戸天台の美術をまとめてご覧いただく貴重な機会となります。徳川家の庇護のもと生み出された華麗な江戸天台の名宝にもご注目ください。

九州会場:九州国立博物館

かつて多くの僧侶が求法(ぐほう)の夢を抱き九州から大陸を目指しました。最澄も遣唐使船に同乗して東シナ海を渡り、中国天台山で天台の教義を学び、帰国後比叡山を拠点にしてその教えを日本各地に伝えました。最澄は入唐の前に1年ほど九州に滞在し、大宰府竈門山寺(だざいふかまどやまでら)(福岡県)や宇佐八幡(大分県)で航海の無事を祈り、帰国後も神仏への謝恩のためふたたび九州を訪れています。最澄以後も多くの天台僧が九州を巡礼し、大分県・国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に代表されるような霊場が各地につくりだされたのです。九州会場では、最澄をはじめその法脈を継ぐ天台僧たちの求法の旅と西日本における伝教の歴史を、100件を超える宝物によってご紹介します。

京都会場:京都国立博物館

最澄が、修行の場所として選んだのが、平安京の鬼門に位置する比叡山でした。延暦寺は、天台宗の総本山として、いまなお最澄の遺徳をしのぶ人々が陸続と参拝に訪れます。京都は、まさに平安京という天台宗の中心となった地域です。そこで、京都会場では、京都を中心に、京都と密接な交流があった北陸や西国の寺院の名宝によって天台宗の歴史をご紹介します。京都の方でもなかなか目に出来ない選りすぐりの名品が一堂に会します。また、京都国立博物館から一歩足を伸ばせば、天台宗ゆかりの名所旧跡が付近に数多くあり、展覧会との相乗効果で歴史を実感できるまたとない機会となることでしょう。

最澄・天台宗とは

最澄とは

伝教大師最澄は、真言宗を開いた弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)とならんで、中国に渡って仏教を学び、新しい平安仏教の一翼を担った名僧です。最澄の生涯は、あらゆる人々を救うという『法華経』の説く理想の世界を実現することに捧げられました。全国に『法華経』を収めた宝塔を建てる六所宝塔(ろくしょほうとう)、比叡山における大乗戒壇の設立の構想などはいずれも、この理想を実現し、人々の幸せを祈るためのものでした。なかでも、出家者にしか許されなかったそれまでの受戒を、より開かれたものにした大乗戒壇の設立はきわめて革新的であり、日本の仏教に大きな影響を与えました。

重要文化財 伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)坐像(ざぞう) 
鎌倉時代・貞応3年(1224)
滋賀・観音寺蔵

東京九州


天台宗とは

最澄が打ち立てた日本天台宗は、釈迦の教えの中でも『法華経』こそが完全円満な究極の教え(円教(えんぎょう))であるとした中国・隋時代の天台大師(てんだいだいし)智顗(ちぎ)(538~597)の仏教理念のもと成立しました。そこに最澄が中国で学んだ密教・禅・大乗戒を加えた「円教・密教・禅・大乗戒」の四つの柱をもつ点が、日本天台宗の最大の特色です。すべてのものに仏になる素質があることを説く『法華経』の一乗思想を教えのいしずえとしながら、弟子たちによって多様に展開した教学は、その後、多くの祖師たちをはぐくむ母体となりました。

延暦寺・根本中堂

各章・作品解説

第1章
最澄と天台宗の始まり―祖師ゆかりの名宝

『法華経』を根本経典とする天台の教えは、中国・隋時代の天台大師智顗(538~597)によって大成されました。鑑真が日本にもたらした経典から智顗の教えを学んだ伝教大師最澄は、比叡山延暦寺を創建し、その後研鑽を深めるために中国に渡ります。帰国後、日本で天台宗が公認され、従来の南都諸寺院との違いを鮮明にしながら、独自性を打ち出していきます。波乱に満ちた最澄の足跡を、ゆかりの名宝からたどります。

画像提供:東京文化財研究所

国宝 聖徳太子(しょうとくたいし)(およ)天台高僧像(てんだいこうそうぞう) 十幅(じっぷく)のうち 最澄(さいちょう)
平安時代・11世紀
兵庫・一乗寺蔵

現存最古の最澄の肖像画。頭巾をかぶり、腹前で両手を組み、椅子の上で静かに瞑想する姿が描かれる。温かみのある華やかな彩色や、法衣(ほうえ) にあらわされた大ぶりな文様表現に、平安仏画の特色があらわれている。インド・中国・日本の天台ゆかりの人物たちを描いた十幅のうちの一つである。

東京京都

  • ※展示期間:10月12日(火)~11月7日(日)(東京国立博物館)

秘仏

重要文化財 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・11世紀
京都・法界寺蔵

京都市の郊外、平等院のある宇治に近い日野の法界寺(ほうかいじ)で、厨子の奥深くにまもられてきた平安の秘仏。延暦寺の総本堂、根本中堂(こんぽんちゅうどう)に安置される、最澄作の秘仏本尊の薬師如来像に近い姿と考えられており、数多く造られた模刻像の一つと言える。像内に最澄自作の薬師像を納めていた最澄にゆかりの深い像でもある。寺外初公開。

東京京都


画像提供:奈良国立博物館(撮影:佐々木香輔)

国宝 尺牘(せきとく)久隔帖(きゅうかくじょう)
最澄筆 平安時代・弘仁4年(813)
奈良国立博物館蔵

現存する唯一の最澄自筆の手紙。書き出しに「久隔清音」とあることから「久隔帖」と呼ばれる。当時空海のもとにいた愛弟子泰範(たいはん)に宛てたもので、空海から贈られた詩の中にあった語句についての問い合わせと、梵字法華経が手に入ったので御覧 に入れたいという、空海への伝言が記される。謹直な文字に最澄の人柄がうかがえる。

東京

  • ※展示期間:10月12日(火)~31日(日)

国宝 光定戒牒(こうじょうかいちょう)
嵯峨天皇宸筆 平安時代・弘仁14年(823)
滋賀・延暦寺蔵

空海とならび称される三筆(さんぴつ)の一人、嵯峨天皇の気品に満ち溢れた風格の書。光定は最澄の優れた弟子の一人。戒牒とは戒を受けたことを示す公的な証明書のこと。最澄の悲願、大乗戒壇の設立に尽力した光定が、そこで初めて授戒が行われたときに下付(かふ)された証明書である。

東京


国宝 七条刺納袈裟(しちじょうしのうけさ)
中国 唐時代・8世紀
滋賀・延暦寺蔵

最澄が教えを受けた中国天台山・仏隴寺(ぶつろうじ)の行満から相伝した、天台六祖・湛然(たんねん)(711~782)の袈裟と伝えられる。釈尊が最上の袈裟の材料とした、ぼろきれを集め縫い合わせる糞掃(ふんぞう)を意識し、焦茶に染めた麻布の上に、染めてほぐした麻の繊維と紫麻布の小片を散らし、一面を運針で縫い留める。

京都

第2章
教えのつらなり―最澄の弟子たち

最澄の後を継いだ慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)(794~864)、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)(814~891)は、最澄が中国で学んだ密教を、より本格的なものにするために中国の都、長安を目指しました。彼らによって天台密教の基盤が築かれ、山中の聖地を回る修行、回峰行(かいほうぎょう)を創始した相応(そうおう)(831~918)や安然(あんねん)(841~902~)を経て教学的に体系化されました。本章では、密教を取り入れて独自の展開を見せた日本天台宗の発展をご覧いただきます。


重要文化財 聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)
平安時代・12世紀
滋賀・延暦寺蔵

円仁は比叡山横川(よかわ)に開いた首楞厳院(しゅりょうごんいん)(横川中堂)の本尊に聖観音を安置した。本像はその再興像と考えられている。表面を素地仕上げとし、左手で未敷蓮華(みぶれんげ)をとり右手で花弁を開こうとする姿は当時の規範となり、天台僧のネットワークを通じて12世紀後半頃から全国各地で模刻像が造られた。慈愛に満ちた笑みを浮かべ、腰を捻り右足を踏み出す姿勢は衆生救済の歩みをあらわす。

九州京都

第3章
全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝

『法華経』の説く「悟りに至る道は誰にでも開かれている」という思想を重んじた天台の教えは、天台教団が日本全国に広まるいしずえとなりました。なかでも、日本古来より信仰を集めた各地の霊山では、山に宿る神々への信仰に天台教学が取り込まれ、独自の信仰を今日まで伝える地域もあります。本章では、各地に伝わる様々な遺品から、各地域で花開いた天台宗の様相を浮かびあがらせます。

秘仏

重要文化財 薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)
平安時代・12世紀
岐阜・願興寺(蟹薬師)蔵

岐阜県可児郡(かにぐん)御嵩町(みたけちょう)の古刹、願興寺(がんこうじ)の秘仏本尊。東山道(とうざんどう)の交通の要所に位置し、厚い信仰を集めてきた。最澄の東国布教の際、この地で自刻の薬師如来像を安置したのが寺の始まりとされる。平安時代後期の優品で、日光・月光菩薩立像、二メートルを超える四天王立像(いずれも本展不出品)もまたかつての寺勢をうかがわせる。寺外初公開。

東京


秘仏

菩薩遊戯坐像(ぼさつゆげざぞう)伝如意輪観音(でんにょいりんかんのん)
鎌倉時代・13世紀
愛媛・等妙寺蔵

愛媛県宇和島郊外の等妙寺の本尊。鎌倉時代の作で、六十年に一度のみ公開の秘仏、近年その存在が知られた。京都岡崎公園にあった法勝寺は、南北朝時代以降、延暦寺とは別に特殊な受戒儀式をはじめ、黒谷流という一派を形成し、受戒を法勝寺と遠国四戒壇に限定した。この地方の戒壇の一つが等妙寺で、本像も都ぶりの優作である。

九州京都


画像提供:奈良国立博物館(撮影:森村欣司)

重要文化財 太郎天(たろうてん)(およ)二童子立像(にどうじりゅうぞう)
平安時代・大治5年(1130)
大分・長安寺蔵

もとは長安寺の後山にある六所権現社(ろくしょごんげんしゃ)の主神であったが、明治の神仏分離によって同寺に移された。美豆良(みずら)を結った姿は愛らしく洗練されたおだやかな作風を示す。大治5年(1130)に天台僧円尋など百数十名が結願し、不動三尊の化身として造られた。天台密教と山岳信仰が結びついた国東独自の信仰形態を物語る優品である。

九州

第4章
信仰の高まり―天台美術の精華

10世紀半ば、比叡山中興の祖といわれる慈恵大師(じえだいし)元三大師(がんざんだいし)良源(りょうげん)(912~985)が、天皇や藤原氏から厚い信任を得ると、経済的な後ろ盾をもつようになり、天台宗は最盛期を迎えました。一方、弟子の恵心僧都(えしんそうず)源信(げんしん)(942~1017)は、世俗とは距離を置き、当時の人々に不安をいだかせた末法の世を背景に、『往生要集』を執筆しました。極楽往生を願う浄土教思想を説き、天台教学を取り込んだ天台浄土教を完成させ、多くの人々の支持を得ました。本章では、日本仏教に多大な影響を与えた天台浄土教を中心に、貴族の信仰と結びついた華やかな天台の名宝をご紹介します。

秘仏

重要文化財 阿弥陀如来立像(あみだにょらいりゅうぞう)
平安時代・10世紀
京都・真正極楽寺(真如堂)蔵

紅葉の名所として知られる京都の真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)真如堂(しんにょどう))の秘仏本尊。年に一度、お十夜(じゅうや)という念仏法要が行われる11月5日~11月15日に厨子の扉が開かれる。最澄の高弟、円仁の作という伝承がある。優しい顔立ちをした平安時代中期の名品で、阿弥陀の立像として造られたことが確かなもっとも古い像。寺外初公開。

東京

  • ※展示期間:10月19日(火)~11月3日(水・祝)

画像提供:奈良国立博物館(撮影:森村欣司)

重要文化財 性空上人坐像(しょうくうしょうにんざぞう)
慶快作 鎌倉時代・正応元年(1288)
兵庫・圓教寺蔵

性空(?~1007)は36歳で出家し、霧島山(きりしまやま)(宮崎県・鹿児島県)や背振山(せぶりやま)(福岡県・佐賀県)など九州各地を巡歴したのち、書写山(しょしゃざん)(兵庫県)に止住して圓教寺を開いた。本像はその開山堂に安置されるもので、高く盛り上がった頭部と鋭いまなざしは性空の真容を写し出す。頭部にはガラス製と思われる壺が納められており、舎利が込められている可能性が指摘されている。

九州京都


国宝 宝相華蒔絵経箱(ほうそうげまきえきょうばこ)
平安時代・11世紀
滋賀・延暦寺蔵

平安時代に遡る蒔絵の稀少な伝世例。延暦寺の名宝のひとつである。表面には金、銀、金と銀の合金、銀と錫の合金など、多彩な金属粉を使い分けて、帯状の円文に整然とした宝相華唐草を組み合わせ、瑞雲や飛鳥を描き添えている。花弁と(しべ)、葉と葉芯でも金属粉の色や大きさを違える工夫があり、繊細かつ華やかな経箱である。

京都


国宝 釈迦金棺出現図(しゃかきんかんしゅつげんず)
平安時代・11世紀
京都国立博物館蔵

元亀2年(1571)の織田信長による比叡山焼き討ちで難を逃れたと伝えられ、京都西郊の長法寺に伝来していた作品。釈迦の再生説法という珍しくも輝かしい主題の絵で、天台宗最盛期を飾るもっとも優れた作品の一つとして名高い。

九州

第5章
教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化

仏教が人々に浸透するにつれ、万人救済を目指した『法華経』の思想は、法然(ほうねん)(1133~1212)や親鸞(しんらん)(1173~1263)、日蓮(にちれん)(1222~1282)など鎌倉新仏教の祖師たちをはぐくみました。一方、比叡山で20年余り学んだ真盛(しんせい)(1443~1495)は、源信が打ち立てた浄土教信仰とならんで戒律を重視し、天台真盛宗のいしずえを築きました。また、中世の天台宗では、日本の神々は仏が姿を変えたものとする本地垂迹(ほんじすいじゃく)説のもと、比叡山の鎮守(ちんじゅ)である日吉山王社への信仰が盛んになり、山王神道(さんのうしんとう)が形成されました。本章では、『法華経』の思想から多様な展開を遂げた、中世天台宗の様相をご覧いただきます。

重要文化財 日吉山王金銅装神輿(ひよしさんのうこんどうそうみこし)樹下宮(じゅげぐう)
江戸時代・17~19世紀
滋賀・日吉大社蔵

平安時代以来、日吉社の神輿は「神輿振り」と呼ばれる強訴の象徴として広く知られている。本神輿は、14基が現存している日吉大社所蔵の神輿のうち、重要文化財に指定された7基の一つ。日吉七社・樹下宮に相当するもので、各部に打たれた大振りの(かざり)金具には日吉大社の神獣である猿(神猿(まさる))を大胆かつ繊細な(たがね)運びであらわしている。

京都

第6章
現代へのつながり―江戸時代の天台宗

元亀2年(1571)、比叡山は織田信長による焼き討ちにあい壊滅的な被害を受けますが、豊臣秀吉や徳川将軍家によって復興されました。復興に重要な役割を果たしたのが 慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)(1536~1643)です。天海は、徳川家康に仕え、没後東照大権現(とうしょうだいごんげん)として神となった家康を祀る東照宮や輪王寺を日光山に整備します。一方、江戸には「東の比叡山」東叡山寛永寺を創建し、関東での天台宗発展の基礎を築きました。本章では、江戸文化の一つとして大きな存在感を放つ、徳川将軍家の庇護が生んだ華麗な江戸天台の遺品をご紹介します。

(中巻部分)

慈眼大師縁起絵巻(じげんだいしえんぎえまき)
絵:住吉具慶筆・詞書:胤海筆 江戸時代・延宝8年(1680)
東京・寛永寺蔵

寛永寺を創建した慈眼大師天海の生涯を描いた絵巻物。下巻に詞書を記した弟子の胤海(いんかい)と、絵巻を描いた住吉具慶(すみよしぐけい)による奥書があり、延宝7年(1679)から翌年にかけて制作されたことがわかる。華麗な彩色と愛らしい人物描写に特徴があり、江戸幕府御用絵師を務めた具慶の基準作として重要。この画像は寛永寺境内を描いた場面。

東京

  • ※中巻展示期間:10月26日(火)~11月7日(日)

重要文化財 慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)坐像(ざぞう)
康音作 江戸時代・寛永17年(1640)
栃木・輪王寺蔵

慈眼大師(じげんだいし)天海の生前に造られた肖像(寿像(じゅぞう) )。天海は、徳川家康、秀忠、家光の絶大な帰依を受け、江戸城の鬼門に東叡山寛永寺を創建し、比叡山延暦寺の復興造営に尽力するなど八面六臂の活躍を見せた。寿像ならではの写実性に富み、老いてもなお威厳をまとった迫力のある姿に、天海の力強い生きざまをうかがわせる。

東京


※展示会場の限られる作品については、下記のように表示しています。
東京:東京国立博物館 
九州:九州国立博物館 
京都:京都国立博物館


  • ※東京国立博物館の展示作品のうち、期間表記のないものは通期での展示を予定しています。
  • ※九州国立博物館、京都国立博物館の展示作品についても、期間が限定されるものが含まれます。詳細は後日、本サイト等でお知らせします。
  • ※展示作品、会期、展示期間、開館日、開館時間、観覧料、販売方法等については、今後の諸事情により変更する場合があります。最新情報は本サイト等でご確認ください。
  • 日本博
  • 文化庁
  • 日本美を守り伝える/TSUMUGU/紡ぐプロジェクト