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2021.7.30

特別展「聖徳太子と法隆寺」前期だけの展示品を紹介

27年ぶりの寺外展示となる国宝 聖徳太子および侍者像のうち聖徳太子 平安時代 保安2年(1121) 奈良・法隆寺蔵、通期展示

特別展「聖徳太子と法隆寺」が東京国立博物館で7月13日から9月5日まで開かれている。

前期(7月13日~8月9日)、後期(8月11日~9月5日)で一部の作品が展示替えされる。今回の記事では前期のみに出品されるものをピックアップして紹介する。

伝世品としては 日本最古の刺
国宝 天寿国繡帳 飛鳥時代 推古天皇30年(622年)頃 奈良・中宮寺蔵

前期のみの展示で最も注目される作品のひとつが国宝「天寿国繡帳てんじゅこくしゅうちょう」(奈良・中宮寺蔵)だ。

推古天皇30年(622年)頃に作られた刺繡ししゅうで、伝世品として日本最古の染織作品。

聖徳太子が亡くなった後、きさきの一人であった橘大郎女たちばなのおおいらつめが、太子が往生した天寿国を見たいと願い出て、推古天皇の命によって作られた2帳のとばり(カーテン)である。渡来人の工人たちが下絵を描き、天皇に仕える女官(采女うねめ)たちが刺繍として完成させたとされる。すでに多くが失われ、断片化しているが、さまざまな断片をつなぎ合わせて額装したものが、今回展示されている。

展覧会を担当する東京国立博物館主任研究員の三田覚之さんに、見るポイントを聞いた。

天寿国繡帳 (部分)

一つは、亀の甲羅に刺繡された四つの漢字だ。展示されている作品中にも、四つの亀が見える。

もともと100個の亀甲形が配され、それぞれ4字ずつ、計400文字が記されていた。ここで見ることができる文字は「部間人公」だ。聖徳太子の母の穴穂部間人皇女あなほべのはしひとのひめみこのこと。

なぜそれが分かるかというと、400文字の刺繡は現存していないが、なにが書かれていたかは、今展の後期に出品される聖徳太子の伝記史料集である国宝『上宮聖徳法王帝説』(京都・知恩院蔵)によって復元ができるからだという。

天寿国繡帳 (部分)

もう一つのポイントは、左上の「月のウサギ」である。
三田さんによると、月にウサギが描かれた日本で最古のデザインとのこと。

2匹のウサギが餅をつく、現代の日本人におなじみのモチーフとは少し異なっている。左側にウサギが1匹、中央下に花瓶のようなもの、右側は植物だ。
実は、これは漢方薬をウサギが作っている姿なのだという。

右の植物はかつらで、花瓶のような形のつぼに皮をいれて、ウサギが今でも漢方薬として有名なケイヒ (桂皮)を作っている――。

もともと日本に入ってきた月のウサギの原点の姿だが、時がたつにつれて、ウサギが餅をついている形に変わっていったと、三田さんは説明する。

聖徳太子たたえる「聖霊会」

聖徳太子の遺徳をしのび、たたえる法要を「聖霊会しょうりょうえ」と言う。聖徳太子信仰の核となる行事で、法隆寺では毎年3日間行われる「小会式(お会式)」のほかに、10年ごとに行われる「大会式」がある。

1400年遠忌にあたる今年は、特別な「大会式」が行われた。

今年4月に行われた大会式の様子
通期展示されている太子信仰の中心 南無仏舎利[舎利塔]南北朝時代 貞和3~4年(1347~48年)奈良・法隆寺蔵

大会式では、南無仏舎利なむぶつしゃりと聖徳太子坐像(伝七歳像)が、八部衆の面をつけた従者に担がれた舎利御輿みこしと聖皇御輿に乗せられて、東院伽藍がらんから、西院の大講堂まで運ばれ、法会や舞楽が催される。

舎利御輿 (左手前、通期展示)と 八部衆の行道面 (奥、前期展示)

舎利御輿(室町時代 15~16世紀、奈良・法隆寺)は、行列の先頭を行く獅子頭と蠅払はえはらい、輿を担ぐ八部衆の行道面に囲まれて展示され、盛大な行道の様子が目に浮かぶ。

重要文化財 行道面 阿修羅 平安時代(12世紀)奈良・法隆寺蔵

八部衆はもともとインドの神々で、仏教に取り入れられ守護神となった。法隆寺には、平安時代に作られた8面のうち、6面が伝来する。沙羯羅さから乾闥婆けんだつば阿修羅あしゅら迦楼羅かるら緊那羅きんなら畢婆迦羅ひばからと呼ばれ、いずれも重要文化財。緊那羅には、保延4年(1138年)の銘がある。現在、使われているのは大正時代に新たに作られたもの。

三田さんは「例えば阿修羅は顔が3面あるが、面として付けるので両側の顔は幅が狭くなり、それが特徴的なので、ぜひ正面だけでなく左右からも鑑賞してほしい」と見どころを話す。

主な前期のみの作品 

そのほかの前期展示のみの主な作品を、コーナーごとに紹介する。 

聖徳太子と仏法興隆コーナー 
重要文化財 牙笏 奈良時代(8世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)

旧一万円札をはじめ、聖徳太子のイメージで印象に強いのが、両手で持つ「牙笏げしゃく」。

重要文化財 如来坐像 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) 

日本製としては最古級とみられる金銅仏。 

法隆寺の創建コーナー 

重要文化財 繡仏裂 飛鳥時代(7世紀)  東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) 

通期展示される国宝「灌頂幡かんじょうばん」には、金銅製の本体の下に、長く垂れた吹き流しがつけられて全長10メートルをこえたとみられている。その吹き流しだったとみられるのが、「繍仏裂しゅうぶつぎれ」だ。双方がそろって同じエリアで展示されるのは前期だけとなる。 

国宝 竜首水瓶 飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) 

国宝「竜首水瓶」は、ササン朝ペルシャの器形を伝える。竜の頭をかたどった注ぎ口は、一本角を付ける。竜は中国の霊獣であり、ペルシャ製の水差しをモデルに、中国風にアレンジしたと考えられる。 文様表現や技法などから日本製と考えられている。

重要文化財 伎楽面 崑崙(左)、呉女 (右)いずれも飛鳥時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) 

伎楽面は、奈良会場では、「師子児ししこ」と「迦楼羅かるら」が展示されていたが、東京会場では、「崑崙こんろん」と「呉女ごじょ」(いずれも重要文化財)が展示される。法隆寺伝来の伎楽面は、東京国立博物館に31面、法隆寺に1面が残る。伎楽の筋書きのなかでは、崑崙は、呉女に言い寄り力士に懲らしめられるという役を演じる。 

聖徳太子と仏の姿コーナー 
国宝 卓 平安時代(12世紀) 奈良・法隆寺蔵 

国宝「しょく」は、聖霊院に伝わり、法具などを安置するなどして使われたという。螺鈿らでんが施され、鷺脚さぎあしと称される4脚を持つ、漆塗りの木製の優美な机だ。 

重要文化財「七大寺巡礼私記」(鎌倉時代<13世紀>、奈良・法隆寺蔵)は、 平安時代の貴族が南都を巡礼した体験をもとに、さまざまな書物を参照して編集した記録書。鎌倉時代の写本だが、これ以外に全く伝本がなく、本書の内容を伝える唯一のもの。法隆寺について、太子の生涯を参詣者に強く意識させる舞台が平安時代にすでに用意されていたことを物語る記載がある。 

【右】聖徳太子像(孝養像)室町時代 弘治2年(1556年)奈良・法隆寺蔵  【左】聖徳太子像(水鏡御影)鎌倉時代(14世紀)奈良・法隆寺蔵 
法華曼荼羅(右) 星曼荼羅(左)いずれも重要文化財 平安時代(12世紀)奈良・法隆寺蔵 
聖徳太子勝鬘経講讃図 覚盛筆 鎌倉時代 文暦2年(1235年)頃 奈良・法隆寺蔵 
重要文化財 孔雀明王像 鎌倉時代(13世紀) 奈良・法隆寺蔵 

法隆寺東院とその宝物コーナー 

国宝 細字法華経  附 経筒  中国・唐 長寿3年(694年) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) 

国宝「細字法華経さいじほけきょう  つけたり 経筒きょうづつ」は聖徳太子ゆかりの品として、光明皇后が法隆寺東院に献納した経巻と考えられている。 

重要文化財 蓮池図屛風  鎌倉時代(13世紀) 奈良・法隆寺蔵 

重要文化財「蓮池図屏風れんちずびょうぶ」はかつて東院舎利殿の仏壇後壁背面にはめ込まれていたと考えられる作品で、現在は2曲の屏風に仕立てられている。ちなみにこの仏壇正面に安置される厨子ずしには、後期展示の「聖徳太子勝鬘経講讃図しょうまんぎょうこうさんず」が掲げられていたと考えられている。

重要文化財 文王呂尚図屛風 南北朝時代(14世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)

重要文化財「文王呂尚ぶんのうりょしょう商山四皓図しょうざんしこうず屏風」も、もとは舎利殿の内陣内壁を飾っていた障子絵。前期は文王呂尚図が、後期は商山四皓図が展示される。 

(後日、後期の展示を中心にした後編を公開します)

チケットの購入は公式サイトで。

(読売新聞デジタルコンテンツ部編)

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