善光寺如来
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺蔵
聖徳太子の1400年遠忌を記念した特別展「聖徳太子と法隆寺」が7月13日から9月5日まで東京国立博物館で開かれています。この特別展を担当した東博の三田覚之主任研究員が、出品作について解説するシリーズです。今回は特別のテキスト編。見逃せないポイントから、知るとおもしろさが倍増するストーリーまで、ぜひご覧ください。
こちらは「善光寺如来御書箱」という作品です。父である用明天皇が崩御された後、聖徳太子は、その供養のために、7日間にわたって、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀様のお名前を7万回もお唱えになったと伝えられています。
しかし、太子はそれがどれくらいの功徳があったのか心配になり、信州信濃の善光寺の阿弥陀様にそれをお尋ねになるべくお手紙を書かれたそうです。
使いの小野妹子が善光寺に行き、お返事をいただこうとご本尊の前に硯と紙を置いたところ、
阿弥陀さまからのお返事では、「念仏を唱えれば、ただの一度だけでも功徳があるのに、7日間も唱えたというのは大きな功徳である。私は衆生を助けるために心を休める暇もないが、あなたはよく衆生を導いており、あなたのことを守護しないはずはない」といった意味合いのことが書かれていたそうです。
明治5年(1872)に「壬申検査」と呼ばれる文化財の調査があり、その時に、この封が開けられました。中には3通入っていたそうですが、そのうちの1通のみが書き写され、先ほど述べました内容が記されていたといいます。
法隆寺では代々大切にされてきまして、特に江戸時代、法隆寺に多くの寄進を行った将軍綱吉の母にあたる
聖徳太子の超人的な伝説にまつわる、神秘的な宝物の一つと言えますね。
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