2021.9.1

美を語る「夾紵棺断片」…特別展「聖徳太子と法隆寺」からvol.9

夾紵棺きょうちょかん断片だんぺん
飛鳥時代(7世紀)
大阪・安福寺蔵

聖徳太子の1400年遠忌を記念した特別展「聖徳太子と法隆寺」が7月13日から9月5日まで東京国立博物館で開かれています。この特別展を担当した東博の三田覚之主任研究員が、出品作について解説するシリーズです。今回は特別のテキスト編。見逃せないポイントから、知るとおもしろさが倍増するストーリーまで、ぜひご覧ください。

こちらは、一見古い木の板のように見えますが、実は絹と漆を45層も貼り重ねて作られた棺の断片です。大阪府柏原市の玉手山ぎょくしゅざん安福寺あんぷくじに伝えられています。

安福寺では、もともとこの断片は、お寺の居住空間にあたる庫裏の床下から出てきたと伝わっています。「なかなかいい板だ」ということで、お寺の床の間の花瓶の台として使われていたそうです。昭和33年(1958)、周囲の古墳調査のためにお寺に寄宿していた猪熊兼勝氏によって見いだされ、7世紀の「夾紵棺」と呼ばれる特殊な棺の断片であることが分かりました。

聖徳太子の棺と考えられる理由は?
何層にも重ねられているのが分かる
何層にも重ねられているのが分かる

通常、夾紵棺といいますと、苧麻ちょまと呼ばれる植物素材と漆を貼り重ねて作ります。斉明天皇のお墓にあたる牽牛子塚けんごしづか古墳(奈良県明日香村)から出土した夾紵棺の断片でさえも、苧麻が用いられています。しかし、この作品は絹が使われています。確認されている夾紵棺の中でも、唯一の例として非常に貴重です。

また、この断片は棺の短辺側にあたると考えられますが、サイズも特徴的です。通常、夾紵棺は、石で作られた棺台に安置されるのですが、これまで考古学調査で発見されている棺台には、幅が広すぎて載せることができません。

一方、聖徳太子の陵墓である大阪府太子町・叡福寺えいふくじの北古墳は、現在、宮内庁の管理のもと封鎖されていますが、明治時代に、画家としても有名な富岡鉄斎が一度調査に入っており、その時に棺台の大きさを測っています。それによると、聖徳太子のものとされる棺台の幅は110.6センチで、この夾紵棺の幅98.5センチの棺をちょうど載せることができる唯一の例なのです。

絹で作られた当時の最高級の棺であること、かつその幅が太子のものとされる棺台によく合うことから、聖徳太子の棺の断片である可能性が強いと考えられています。聖徳太子の実在に迫る大変注目すべき作品です。

なぜ大阪・安福寺で見つかった?

では、なぜ、そんな貴重な断片が安福寺の床下から出てきたのかということですが、江戸時代の安福寺には珂億かおく和尚という非常に聖徳太子を信仰されたお坊さんがおられました。江戸時代、延宝3年(1675)に、珂億和尚は仏舎利2粒を叡福寺の太子の墓に寄進しており、安福寺にはその折の礼状が残されています。

こうした叡福寺と安福寺のつながりからして、この仏舎利の奉納に際し、お礼として安福寺にもたらされた可能性も考えられます。そうした由来が忘れられたのか、貴重な品と伝えられなかったのか、床下に収められた経緯はいまだはっきり分かっていません。

チケットや出品リストは展覧会公式サイトで!

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/horyuji2021/

動画で解説シリーズの1回目は 美を語る「如意輪観音菩薩半跏像」…特別展「聖徳太子と法隆寺」からvol.1

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