比叡山延暦寺を拠点にした最澄は、東国へ布教の旅に出て、下野国(栃木県)などで教えを説いた。
その後、江戸時代の寛永2年(1625年)、「東の比叡山」として東叡山寛永寺が現在の上野公園に建立され、関東の天台宗の一大拠点となっていく。創建したのは、徳川家康、秀忠、家光3代にわたって重用された慈眼大師天海。織田信長による比叡山焼き打ち後、その再興に尽力したことでも知られる高僧だ。
寛永寺の執事、石川亮岳さんによると、御所の鬼門、北東の方角に位置する比叡山の再現を意図し、東叡山も江戸城の北東に整備された。「不忍池を琵琶湖に見立てるなど随所にこだわりも感じられます」と、石川さんは話す。
寛永寺は徳川将軍家の
今回の特別展の東京展では、かつての敷地内に立つ東京国立博物館を会場に、寛永寺の根本中堂にまつられる重要文化財「薬師如来及び両脇侍立像」などが出展され、秘仏本尊の薬師如来立像を間近で鑑賞できる貴重な機会となる。
(2021年10月3日読売新聞から)
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