奈良・興福寺で進められている国宝・五重塔の令和大修理について理解を深めてもらおうと「興福寺シンポジウム―守り伝える文化財―」(読売新聞社など主催)が〔2024年〕9月21日、東京・上野の東京国立博物館で開かれた。
パネルディスカッションに興福寺の森谷英俊貫首(75)、興福寺を舞台に平安末期の南都焼き討ちを描いた作品がある作家の澤田
初めに森谷貫首が興福寺との関わりにふれ、「高校時代、図書室で手にした仏典に感銘を受けたことが仏門に入る遠因になった。鎌倉市職員を退職して1980年に興福寺に入り、南円堂の修理、中金堂の再建などに関われ、意義深かった。そして今、約120年ぶりとなる五重塔の修理に携わっている」と語った。
児島さんは「興福寺は何度も火災に遭ったが、不死鳥のごとく再建されてきた。財力も必要だが、やはり人々の祈り、信仰が中心にある。その結晶が仏像や建造物。『日本の仏教美術を学ぶなら興福寺へ行きなさい』と私は言っている」と述べた。
澤田さんは「近鉄奈良駅を降りて東大寺や春日大社などへ行くにも、まず興福寺の境内を通る。これらは平城宮の中心部と思いがちだが、実は東端エリア。人々が住んでいた平城宮の中心部から見ると興福寺は春日山から続く高台にあり、そこは祈りの空間だった」と指摘した。
シンポジウムでは、五重塔の修理完了に向け、興福寺と読売新聞社などが取り組む特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が来年〔2025年〕9月から、同〔東京国立〕博物館で開催されることが発表された。児島さんは「北円堂は平城京を造った藤原不比等の一周忌に合わせて721年に建てられた。平家の焼き討ちで全焼したが、1210年頃に再建された。興福寺に残る最古の建物で、本尊の国宝、弥勒如来
五重塔は不比等の娘・光明皇后が発願し730年に建立したと伝わる。焼失と再建を繰り返し、現在の塔は室町時代に建てた6代目。今回は、瓦ぶき屋根の全面ふき替え、傷みの激しい構造部の修理などを行う。
澤田さんは「修理によって塔の新しい知見が得られるだろう。私たちは歴史について既にわかりきったものと思いがちだが、常に発見がある。50年、100年後には私たちが生きていることも歴史になる。過去を知ることは私たち自身を知ることでもある」と語った。
森谷貫首は「修理は、材料の木材や技術を持つ職人、支える人々がいなければできない。中金堂は全国からお力添え、志を頂いて完成した。国民の宝である五重塔も皆様のご協力をお願いしたい」と述べ、「材料費の高騰などで修理完了が2032年より延びそうだが、落慶法要の際には皆様に必ずお越しいただきたい」と締めくくった。
(2024年11月3日付 読売新聞朝刊より)
◎シンポジウムの様子を動画でご覧いただけます。
https://kohfukuji-project.jp/symposium.html
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