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2023.6.6

【五重塔 時代の波越えて・興福寺(奈良市)】

興福寺五重塔。修理が始まると美しい姿はしばらく見られなくなる(奈良市で、本社ヘリから)=原田拓未撮影

世界遺産・古都奈良の象徴としてたたずむ興福寺の国宝・五重塔が、〔2023年〕7月から約120年ぶりの大規模修理に入る。地震、台風などの天災や、明治維新、第2次世界大戦など時代の波をくぐり抜け、600年近く日本独自の美を伝えてきた姿は、しばらく見られなくなる。

7月から修理工事に入る興福寺五重塔(奈良市で)=金沢修撮影
初層に安置されている阿弥陀あみだ三尊像
塔内から見上げた心柱。修理のために足場を組んで調査した

奈良の象徴 120年ぶり大規模修理

 
建築史踏まえ方針

奈良のシンボルともいえる興福寺五重塔は、修学旅行の生徒たちや外国人旅行客が途切れることなく訪れる。五重塔を背景にして記念撮影する人も多い。

1901年以来の大規模修理を控え、森谷英俊貫首(73)は「五重塔は興福寺だけのものとは考えていません。広く国民の宝、文化財と考えているからです」と、高さ約50メートルの塔をてっぺんまで見上げる。

修理工事が始まる五重塔について語る森谷英俊貫首

奈良県文化財保存事務所は2020年度からの調査で、屋根瓦のずれや破損、軒回りの木部の破損、しっくい壁の剥離はくりなどを確認した。さらに建築史や構造力学などの有識者で構成する国宝興福寺五重塔保存修理事業修理専門委員会の助言を受けて修理方針を決めた。瓦ぶき屋根の全面ふき替え、木部の修理、しっくい壁の塗り直しなどを行うと、総事業費は57億円にのぼる。

5回焼失・再建

興福寺五重塔は、寺を創建した藤原不比等の娘・光明皇后が発願し730年に建立したと伝わる。落雷などによる5回の焼失と再建を繰り返し、現在の塔は1426年(室町時代)に建てた6代目。現存する国内の木造の五重塔では、京都市の東寺五重塔(国宝、高さ約55メートル)に次いで2番目に高い。

明治時代初めの神仏分離令により全国で廃仏毀釈きしゃく運動が吹き荒れ、興福寺も窮地に追い込まれ、五重塔が売りに出されたという言い伝えも残る。

1897年制定の古社寺保存法により、五重塔を特別保護建造物に指定した。この後、1900年から01年にかけて大規模修理を行い、最上部の五層目の解体修理、瓦ぶき屋根の全面ふき替え、相輪、軒回りの木部、しっくい壁、敷石の補修などを行っている。

完了2031年3月

今回の修理は、約1年をかける鉄骨造りの素屋根の設置から始まる。しばらくは四方を壁で覆う外観になってしまう。

森谷貫首は「当面の間、塔は見られなくなるが、未来に継承するバトンランナーの一人として修理を進め、100年以上は塔を伝えるようにしたい。修理期間中も工事状況の一般公開を検討しているので、ぜひ注目してほしい」としている。修理の完了は2031年3月の予定だ。

◇     ◇     ◇

軒回り、しっくい壁など破損
使用木材解明に期待

興福寺五重塔は前回の修理から120年以上もの長い年月が経過している。屋根瓦や軒回り、しっくい壁など外から見える部分の破損を確認した。修理する過程で、より根本的な修理が必要な箇所が見つかる可能性もある。

国宝興福寺五重塔保存修理事業修理専門委員会
海野聡・東京大学准教授(日本建築史)

 

さらに詳細な調査をして対処が必要かどうか判断する。全ての部材を解体すれば完全な修理ができると考えられがちだが、健全な部分まで解体するのはかえって建物を傷めることにつながりかねない。

修理で五重塔に使っている木材を確認するのもポイントだ。鎌倉初期に再建した北円堂(国宝)や三重塔(同)は良質なヒノキで造られているが、室町時代に再建した五重塔にはヒノキ以外の木材を多数使っている可能性がある。

鎌倉初期にはヒノキを確保できていたのに約200年後にはできなくなってしまったとすれば、興福寺が力を失った可能性や、日本の森林環境が悪くなったことなどが考えられる。興福寺は日本最高峰のお寺の一つであり、時代を映す鏡ともいえる。修理で得られる新たな情報に期待したい。

軒回りは風雨による傷みを確認した
汚れが目立つしっくい壁

(2023年6月4日付 読売新聞朝刊より)

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