日本刀は、古来、武器や権威の象徴として使われてきた一方で、優れた刀工により作られた名品は、今なお美術品として国内外で高く評価されています。近年は、刀剣を擬人化したゲームの人気もあり、若者にも鑑賞ブームが広がっています。1000年続くと言われる日本刀の技術の粋と、その深い魅力に迫ります。
日本刀は武器としての機能にとどまらず、時に信仰の対象として、時に権威の象徴として多くの人を魅了し続けてきた。世界に誇る文化財としても注目される日本刀の歴史や製法を読み解き、現代に技術を伝える
縄文時代後・晩期の遺跡からは石剣や石刀などの出土例がある。弥生時代に入ると、大陸から青銅製の剣が流入。358本もの銅剣(国宝)が埋納された荒神谷遺跡(島根県出雲市)などの例から、儀礼的に使用された様子がうかがえる。
弥生時代中期以降に鉄器が導入され、古墳時代に鍛鉄技術が広まるとさらに鉄剣の出土例も増える。埼玉古墳群(埼玉県行田市)で出土した、金の
奈良時代の刀剣は正倉院宝物が知られている。この頃の刀は直刀だった。
反りのある太刀が現れるのは平安中期以降と考えられ、10世紀前半の平将門と藤原純友の乱(承平・天慶の乱)以降のことだ。武士が台頭し、騎馬戦闘に適した形を試行錯誤した結果と言われる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて数多くの名工や流派が誕生。相模国(神奈川県)の新藤五国光と正宗、山城国(京都府)の粟田口派や来派、大和国(奈良県)の
南北朝時代には刃長3尺(90・9センチ)もの長大な太刀が作られる。応仁の乱など戦乱が増える室町時代後期には集団戦が主流となり、刃を上にして腰帯に差す打刀が一般的になる。
刀剣史では、慶長(1596~1615年)期よりも前の刀を古刀、以後を新刀と呼び、小型の
鎌倉時代を中心に、大和・備前・山城・相模・美濃の5か国を中心に名工を輩出。これらの国は明治時代以降、「五ヶ伝」と呼ぶ。江戸時代には自ら学んだ伝法に他の伝法を合わせて新しい技法を誕生させる者も各地に現れた。
幕末・維新の動乱を経て、1876年(明治9年)に廃刀令が出されたが、明治政府は優れた刀工を帝室技芸員(現在の人間国宝)に任命して技術を保護した。以降も日本人の美意識や精神性の象徴として愛好され、今に至っている。
(文化部 多可政史)
(2022年8月12日付 読売新聞より)
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