聖徳太子の創建と伝わる法隆寺(奈良県斑鳩町)で2021年4月3日から5日まで、太子の1400年遠忌の法要が営まれた。3日間の法要の様子と、法要を終えた直後の古谷正覚住職のインタビューをお伝えする。
初日の4日は、ゆかりの寺院の僧侶や招待者ら約450人が参列し、遺徳をたたえた。
法要では、法隆寺夢殿の本尊で太子の姿を模したとされる救世観音像に向かって僧侶が読経。その後、ゆかりの寺院の僧侶や華やかな装束に身を包んだ関係者ら約120人が、二つの御輿を法要の会場である西院伽藍に運び込んだ。
会場に設置された舞台では、雅楽団体「南都楽所」が、極楽にすむとされる鳥が舞い遊ぶ様子を表現した舞楽を奉納。同寺の古谷正覚住職と、四天王寺(大阪市)の加藤公俊管長が太子を顕彰する言葉を述べ、参列した寺院の代表らが焼香した。
法隆寺で3日から始まった聖徳太子の1400年遠忌の法要。新型コロナウイルス対策をしながら、御輿の行列や舞楽の奉納など盛大に営まれ、境内に集まった参拝者たちは、いにしえの太子に思いをはせた。
夢殿のある東院伽藍を二つの御輿をかついで出発した約120人の行列は、雅楽団体「南都楽所」が奏でる雅楽の音色とともに、東大門をくぐり、会場の西院伽藍に向かった。ゆかりの寺院の僧侶のほか、かぶり物の獅子、仮面をつけた人など華やかに彩られ、参拝者は盛んにカメラのシャッターを切っていた。
行列が到着した西院伽藍の大講堂では、2歳の太子が合わせた手のひらからこぼれ落ちたとされる仏陀の遺骨「南無仏舎利」と、太子七歳像が、今回の法要の本尊としてまつられた。
南都楽所は、極楽にすむとされる鳥が舞う様子を表現した舞楽「迦陵頻」などを披露した。
法要には県内外の寺社の代表らも参列した。東大寺の筒井寛昭長老は「太子の功績を表すような盛大な法要だった」と述べ、西大寺の松村隆誉長老は「王朝絵巻を見ているような華やかさがあった」と語った。
2日目は、南都の五つの寺院の僧侶も参列した。
この日午後、東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺の各寺と法隆寺の僧侶約30人が、落ち着いた足取りで、西園院から会場の西院伽藍に向かい、大講堂にまつられている薬師三尊像の前に着座した。
大講堂では、雅楽団体「南都楽所」が、春の日に舞う4匹の蝶を表現した「舞楽胡蝶」を奉納。僧侶らは、仏を供養するために花をまく「散華」を行い、太子をたたえる慶讃文を唱えるなどした。
途中から激しい雨になったが、大講堂前で傘をさし、最後まで読経に耳を傾ける招待客も多かった。
東院伽藍を出発した法隆寺の僧侶らは、雅楽団体「南都楽所」による雅楽の演奏に合わせて、会場の西院伽藍に向かった。
法要では、南都楽所が舞楽の演目「蘇莫者」を奉納。太子の吹く笛の音に合わせ、山の神が喜び舞ったという伝承から作られた演目で、鮮やかな朱色の衣装に身を包んだ舞人が優雅に舞い、多くの参拝者が見入っていた。
その後、清水寺(京都市)の森清範貫主が太子をたたえる慶讃文を唱え、法隆寺の古谷住職らが太子を顕彰する「太子和讃」を独特の節回しで唱えるなどし、太子の遺徳をしのんだ。
法要の最後には、法隆寺の僧侶らが、初日に会場の大講堂に運び込まれた二つの御輿を再び東院伽藍に戻した。
聖徳太子の1400年遠忌法要が終了し、古谷住職は「大法要を無事にできて本当に安堵している」と話した。
新型コロナウイルス対策として、御輿行列の縮小や、招待者の制限などを実施した。「1400年という節目の法要で大勢の人に来てもらいたいという思いはあったが、密を避けるためにも仕方なかった。何事もなく終えることができて良かった」と胸をなで下ろす。
5日に奉納された太子ゆかりの舞楽の演目「蘇莫者」を印象に残った行事の一つに挙げる。「10年前の法要では雨で中止となったが、今回は天気に恵まれた。太子が創建したこの地で見ることができて本当に喜びを感じる」とした。
期間中、法隆寺には多くの参拝者が訪れた。「たくさんの人に太子の精神を知ってもらう大きな機会になった」と振り返り、「今年は、改めて太子のことを考え直してもらう機会にしてほしい」と願う。
(読売新聞奈良支局 土谷武嗣、 一圓正美 )
(2021年4月4日~6日付読売新聞朝刊から掲載)
法要の本尊としてまつられた「南無仏舎利」の法要はこちら
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