いま京都にはふたつの“浄土”が顕現している。京都国立博物館で始まった「西国三十三所 草創1300年記念 特別展 聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─」(〜9月13日)、そして京都市京セラ美術館で開催中の「杉本博司 瑠璃の浄土」(〜10月4日)だ。
浄土とは何だろう。「極楽浄土」なら、漠然と「人が死後に行く天国のような場所」くらいのイメージでとらえている人も多いかも知れない。
本来「浄土」とは、悟りを開いた仏陀の住まう世界を意味する。そして紀元前後におこった、一切衆生が救われ、悟りへと導かれる済度を目指す大乗仏教とその発展の過程で、十方の世界には無量の諸仏が現存するとされ、諸仏にそれぞれの浄土がイメージされるようになる。
中でも万人の願いである無量の寿、無量の光をもつ
阿弥陀如来の西方極楽浄土の信仰が盛んとなると、それを模倣して、薬師如来の仏国土である浄瑠璃世界も浄土と呼ばれるようになり、そのありさまが《薬師如来本願経》に描かれた。さらに衆生を救済しようと誓願を立てた
では浄土に対比される場所はどこか。地獄? いや、そうではない。我々凡夫が住まう、煩悩に穢れ、「
浄土教の教えはインドから中国、日本へと伝わり、最澄が開創した天台宗の中で育まれ、鎌倉時代に至って法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、一遍が時宗を確立、日本における浄土教が完成を見ることになる。
京都市京セラ美術館が建つ岡崎公園周辺は、白河法皇の発願によって造営された法勝寺を皮切りに、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の5天皇と、鳥羽天皇の中宮である
この時代の貴族たちの心に射していた影が、末法の世の到来だ。末法とは、釈迦の入滅後、仏の教え〈教〉、それを実践し修行する者〈行〉、その結果としての悟り〈証〉を得ることのできる千年間(
6世紀頃に西北インドで成立、中国へ伝わり、日本でも飛鳥時代には既に知られていた。本来は修行者のあり方を正すために説かれていた三時(正法・像法・末法)の説だったが、平安時代も中期に差しかかると、現実世界における仏教の頽廃や秩序の崩壊、疫病、天変地異などを説明する思想となっていく。
末法到来への不安に
貴族たちはこの穢土を確実に離れて往生を遂げるため、先を争って浄土を具現化したかのような阿弥陀堂を建て、堂内を美麗に荘厳し、往生者を迎えに西方極楽浄土からやってくる聖衆を、阿弥陀来迎図として描かせた。六勝寺もまた、往生を求める精神から建立された寺院である。
2018年、同じ岡崎エリアにある細見美術館で「末法展」の企画に関わった杉本博司は今回、末法の世に対する深刻な恐怖と表裏一体になった浄土への希求の念を、現世に再構築する展覧会をつくりあげた。それが「杉本博司 瑠璃の浄土」だ。
「瑠璃」とは、薬師如来の仏国土である東方浄瑠璃(瑠璃光)浄土の名であるのと同時に、杉本が作品の媒体としてきた写真が本質的に欠くことのできない、光を集めるためのガラス/レンズ(=瑠璃)でもある。ガラスという物質そのものに魅入られてきた杉本はかつて、古墳の副葬品のガラスビーズを根来塗の経箱に収め、照明を施して作品化し、《瑠璃の浄土》と名づけた。展覧会名のそもそもの由来はここにあり、展示にも出品されている。今展ではさらにレンジを広げ、こうした古代のガラスから、それらにインスピレーションを受けて杉本が制作した作品までが展開されている。
古墳時代のガラス製の
また別の展示室では、薄暗がりの中に、千体千手観音(妙法院三十三間堂)の群像を撮影した写真作品《仏の海》シリーズ18点と、初公開の「中尊」大判プリントを掛け並べ、院政期における欣求浄土の精神を「再構築」した。
この展示室と背中合わせになる展示室を、杉本は戯れに「内陣」と呼んでいるという。内陣とは、神社の本殿や寺院の本堂で、神体あるいは本尊を安置してある神聖な場所のことであるから、今展の心臓部、と考えるべきだろう。
そこには、17〜18世紀イギリスで活躍した物理学者・数学者アイザック・ニュートンの、プリズムを使った分光実験に想を得た、《OPTICKS》シリーズが展示されている。ニュートンはこの実験によって、それまで無色透明と思われていた太陽光の中に、屈折率が異なる無数の色が含まれていることを明らかにした。以後、光を客観的な実在物と考え、その本性を解明する物理光学的段階に前進させる、重要な一歩となった実験だ。
15年ほど前から杉本は白漆喰を塗り回した室内に巨大なプリズムを立てて実験を再現し、そこに顕れた色面をカメラで写し取ってきた。ホワイトキューブの神殿に安置された大判プリントに写し出されたそれを、色と呼ぶべきか光と呼ぶべきか。代表作である《海景》と同じように、中央から上下に色面が分割された画面は、バーネット・ニューマンやマーク・ロスコによる、抽象絵画の一種であるカラー・フィールド・ペインティングを思わせもする。
だが筆者がまず連想したのは、アニメーション作品《新世紀エヴァンゲリオン》に登場する “L.C.Lの海”だった。作中で形を変えて何度も登場するその赤い粘液は、母胎に満ちる羊水や地球誕生時の「生命のスープ」に等しいものとして描かれる。生と死の定かならぬ境涯に、赤い波の打ち寄せる世界は限りなく空虚で、それもまた浄土、と呼べそうな場所だ。
もし三十三間堂とは異なる技術、形式によって、この時代に浄土を表現するのであれば、なるほど光の本質とも言うべき色──それはこの世にある一切の物質的存在はそのまま、その当体において空しい存在であり、執着される何ものもないという、経典に記された「色即是空」の語に含まれるそれでもある──は、当を得たコンセプトだと言えるかもしれない。
六勝寺を築いた法皇たちは、一方で熊野三山へも頻繁に詣でている。延喜7年(907)の宇多法皇以来、法皇上皇の熊野御幸がはじまり、白河上皇は9度、鳥羽上皇21度、後白河上皇にいたっては34度、後鳥羽上皇も28度と、驚くべき時間を費やしている。
これほど回を重ねたのは、『華厳経』
こうした熊野信仰の影響も受けつつ、熊野那智の青岸渡寺を第1番とし、奈良の興福寺や長谷寺、京都の清水寺に醍醐寺、滋賀の三井寺、長谷寺など近畿地方一円を巡り、岐阜県谷汲の山中にある33番華厳寺に終わる約1,000㎞もの巡礼路は、平安時代末期には成立していたらしい。
当初、その道を歩いて霊場に詣で、前世から背負ってきた罪障を滅し、往生できるようにと祈りを捧げるのは、行者や修行僧が主であった。だが南北朝の内乱が終わるころから、地方の武士たちを主とする俗人が増え、江戸時代になると農民や商人、はては被差別者にいたるまで、幅広い階層の人々が巡礼の旅に出るようになっていった。
杉本(とその背後に連なる法皇たち)の“浄土”が、極限まで研ぎ澄まされた表現なら、こちらの“浄土”、特に巡礼が階層的、地域的な広がりを持つようになっていく過程でつくりだされたものは、また異なる趣きが興味深い。
室町時代以降、既存の権力や制度が弱体化していく中で、それまでの「スポンサー」に頼れなくなった寺院は、無名の人々の信仰に根ざした少額の喜捨、寄進を集めることで、天変地異や兵乱で荒れた堂舎を再建し、経営を成り立たせていく方向へ
途中で道に迷うこともあれば、病を得た者もいただろう。路銀が尽きることもあったに違いない。交通や宿泊が現在ほど整備されていない時代に、それでも人々は一歩一歩自らの足で前へ進み、“浄土”を目指した。かと思えば、参詣は建前で、物見遊山や酒色に現を抜かす者もいたに違いない。切実さの中に、そんな逞しさや図太さの垣間見える浄土への希求からうまれた造形の数々が、京都国立博物館に集められている。
ふたつの浄土。いずれ劣らぬ魅力を備えた展覧会だ。
「西国三十三所 草創1300年記念 特別展 聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─」
プロフィール
ライター、エディター。
橋本麻里
新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術を楽しく、わかりやすく解説。著書に「美術でたどる日本の歴史」全3巻(汐文社)、「京都で日本美術をみる[京都国立博物館]」(集英社クリエイティブ)、「変り兜 戦国のCOOL DESIGN」(新潮社)、共著に「SHUNGART」「北斎原寸美術館 100% Hokusai !」(共に小学館)、編著に「日本美術全集」第20巻(小学館)ほか多数。
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