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2026.3.17

大阪松竹座5月閉館 最終公演の舞台に立つ 片岡仁左衛門さん - 革新と継承「挑戦続けていかねば」

大阪・道頓堀の芝居町を象徴する劇場として、100年にわたって親しまれてきた松竹の直営劇場「大阪松竹座」が、設備の老朽化に伴い、〔2026年〕5月で閉館する。大阪に生まれ、関西の歌舞伎興行が不振だった青年期から、道頓堀で芸を磨いてきた歌舞伎立役たちやくの人間国宝、片岡仁左衛門さん(81)が、約30年前の再開場こけら落としで勤めた演目「盛綱もりつな陣屋」を5月の最終公演で上演し、劇場に別れを告げる。(大阪編集委員 坂成美保)

「次代を担う役者たちには、400年続いた演劇はこれですと、胸を張って言える仕事をしてほしいね」と語る片岡仁左衛門さん
楽屋の設計関わる

1923年(大正12年)、関西初の本格的洋式劇場として誕生した大阪松竹座。戦後は映画館に移行し、97年に演劇専門劇場として再開場した。松竹は「上方歌舞伎再興の拠点」と位置づけ、劇場には若手育成の「松竹上方歌舞伎塾」を創設。仁左衛門さんの兄・秀太郎さん(2021年死去)らが熱心に指導した。

大阪松竹座での十五代目仁左衛門襲名披露公演。「口上」であいさつする仁左衛門さん(中央、左は兄の片岡我當さん、右は市村羽左衛門さん、1998年撮影)

「映画館だった時代から松竹座の前を通るたびに『ここで歌舞伎をできたら』と思っていましたから、再開場時の興奮と熱気は特別でしたね。客席からも喜びが伝わってきました」

楽屋の設計段階から携わった愛着が深い劇場でもある。「窓が付けられる楽屋を名題下の役者さんや床山さん、衣装さんに譲り、幹部俳優は窓の代わりに障子を付け、圧迫感を和らげる工夫をしてもらいました」

大阪松竹座の楽屋配置や設計には仁左衛門さんの意見が採用された

昨夏の閉館のニュースに「まさか」と信じられない気持ちだった。「道頓堀から歌舞伎の劇場が姿を消すことは本当に寂しい」。「道頓堀から歌舞伎の灯を消さない」は、歌舞伎が低迷した60年代、私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を主催した亡父・十三代目から継いだ思いでもある。

大阪松竹座公演で仁左衛門さんは、ストーリーを分かりやすく伝えるため、地方劇場では珍しい通し狂言に取り組み、東日本大震災(11年)や熊本地震(16年)では、稽古を公開するチャリティーも発案した。

恒例の夏芝居で大阪入りする際には、道頓堀川を巡航する伝統行事「船乗り込み」にも参加してきた。「京都の顔見世かおみせと大阪の船乗り込みは、日本の文化の象徴。文化として残していくべきです」

締めくくりの5月公演の演目には、再開場のこけら落としで演じた「盛綱陣屋」を選んだ。「大坂冬の陣・夏の陣」で敵味方に分かれて戦った真田幸村・信之兄弟を題材にした時代物。「大阪城や真田丸跡も近く、お客様もよくご存じの話。どんな気持ちで舞台に立つか今は想像もつかない。千秋楽に初めて劇場との別れを実感するでしょうね」

昨年11月には、文化勲章を受章。今年2月には、読売演劇大賞・芸術栄誉賞に選ばれた。伝承の重責を担い、後進の指導に力を注ぐ中、歌舞伎の未来への危惧もある。若手に求めるのは本当の意味の「革新」だ。

「六代目さん(六代目尾上菊五郎)や播磨屋さん(初代中村吉右衛門)ら先輩方は、かたをそのまま踏襲したのではなく、創意を加え、練り上げた。今の若い人は型をただなぞっている気がする。話題性や目新しさを求めて新作歌舞伎に取り組むことだけが革新ではない。古典をどう見せるかという革新もあるはずです」

自らを奮い立たせるように言葉を継いだ。「伝統芸能は一度途絶えてしまえば再興できない。先人たちが築き上げた伝統に挑戦を続けながら、次代に伝えていかなければなりません」

大阪松竹座さよなら公演 「御名残おなごり四月大歌舞伎」(4月3~26日)と「御名残五月大歌舞伎」(5月2~26日)。仁左衛門さんは2か月連続で出演し、4月は、十五代目襲名披露演目でもあった「寺子屋」の松王丸を勤める。☎0570・000・489。

1923年、開場初日の大阪松竹座の客席(松竹提供)
1997年の再開場時、歌舞伎役者が勢ぞろいした「古式顔寄せ手打式」(松竹提供)

〈大阪松竹座〉

松竹創業者の一人、白井松次郎の発案で建設された。ネオ・ルネサンス様式のアーチ形外観から「道頓堀の凱旋がいせん門」と呼ばれた。大阪大空襲でも焼失を免れたが、老朽化のため外観を残して建て替え、1997年に再開場した。客席数は1033席。歌舞伎だけでなく、OSK日本歌劇団や松竹新喜劇の拠点劇場でもある。

(2026年2月25日付 読売新聞朝刊より)

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