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東京の中心・日本橋にありながらも豊かな緑に囲まれた福徳神社
日本橋室町に人が絶えないスポットがある。季節の草花や豊かな緑に囲まれた「福徳神社」だ。平安前期の貞観(じょうがん)年間(859~876年)にはこの地に鎮座していたといわれ、長く人々の暮らしを見守ってきた。江戸時代には徳川家康が参詣した由緒ある神社だ。
福徳神社には別号がある。徳川家康の後継者である徳川秀忠が参詣の折りにクヌギの木でできた鳥居に若芽が萌え出たことから「芽吹神社」と命名された。現在もこの別号は多くの人に知られ、そして愛されている。
そんな由緒ある福徳神社も、関東大震災や戦災など4回にわたる遷座を余儀なくされ、また、近年はビルの屋上に社殿を構えなければならないなど、歴史に翻弄される運命を辿っていた。2014年にようやく現在の姿になったのだが、そのプロジェクトの一翼を担ったのが三井不動産だ。そこで今回は同社で日本橋の街づくり推進に携わる新井
中央通りから福徳神社へと続く新浮世小路
日本橋は江戸時代以降、金融・商業の中心地として長らく反映してきたが、バブル経済崩壊後、活気は徐々に薄れていた。そんな日本橋にかつての賑わいを取り戻そうと、官・民・地域が一体となって始動したのが「日本橋再生計画」だった。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに掲げ、日本橋の活性化と新たな魅力の創造を目指してきた。「福徳神社の社殿の再建はその一環として推進した『日本橋室町東地区開発計画』の象徴的な事業でした」と新井さんは振り返る。
「神社」は単にお参りをするだけでなく、人々が集うコミュニティとしての役割を担っている。福徳神社の社殿の再建もこれまで紡いできた歴史を残しながら、再びこの地に賑わいを蘇らせ、日本橋の街で新たな人々の出会いを創ることが狙いだ。
実際に再建後はさまざまなイベントの催しに加えて初詣先としても知られ、若い世代もたくさん訪れるようになったという。また江戸時代に「富くじ」の販売を許可されていたことから、宝くじの当選にご利益があるとされていることが起因しているのか、コンサートチケットなどの当選祈願をする “推し活”神社としても多くの人に知られるようになっており「今の時代らしさも感じます」と新井さんは笑顔を見せる。
「日本橋室町東地区開発計画」は第一段階として「室町東三井ビルディング(COREDO室町1・2010年)」の開業、第二段階では「室町古河三井ビルディング(COREDO室町2・2014年)」「室町ちばぎん三井ビルディング(COREDO室町3・2014年)」の開業を行った。福徳神社の社殿の再建は日本橋の新たなコミュニティの核となってほしいとの願いもこめて第二段階に行われた。その後、2016年には神社のとなりに緑が豊かな広場として「福徳の森」も整備された。
それ以来、様々な世代・国籍の人が来街し、地域の人々もポジティブに受け入れてくれていると話す新井さん。「地域の方の話で印象的だったのは『今では老舗と呼ばれる自分たちも、当時(先人たちが店を始めたとき)の新たな挑戦者であり、その挑戦を地域に受け入れていただいたからこそ今がある』という話です。これから街がどんな姿になっていくのか前向きに受け止めてくださり、ともに街をつくっていくことを楽しみに感じてくださっていることを感じ、私自身も背筋が伸びました」とのエピソードも披露してくれた。
神社の再建はオフィスワーカーにも変化をもたらした。2年に一度開催される祭礼「神幸祭」では、オフィスワーカーのみなさんと地域の方々が一緒に半纏を着て神輿を担いでおり、新井さんは街が一体となって盛り上がる姿に積み重ねてきた街づくりの成果を実感しているという。
現在は日本橋川沿いの再開発事業が三井不動産をはじめとする様々な関係者が連携し、着々と進行している。約20年後には首都高速道路が地下化される予定で、空と日本橋川が接するビジョンも描かれている。新たな日本橋では室町エリア、そして日本橋川沿いの賑わいが合流することで街としての魅力はますます増しているだろう。
「地域の精神的な拠り所として多くの人に愛され、ともに歩んできた福徳神社にはこれからも賑わいの中心であり続けてほしい」と話す新井さん。日本橋を 「残しながら、蘇らせながら、創っていく」 シンボルだと改めて感じた。
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