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2022.10.6

茶文化の深遠vol.8―竹細工・柄杓師 十四代 黒田正玄さん

平安から鎌倉時代にかけて中国から伝わった喫茶法は時代を経て徐々に和様化し、豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休に至って、独自の文化「茶の湯」が大成されました。江戸時代には利休の子孫である三千家さんせんけの家元に茶道具を納める10の職家しょっか千家十職せんけじっしょく」が京都で技を磨きました。これらの家を訪れて歴史と仕事について尋ねました。

材料のマダケ確保にも苦心…十四代 黒田くろだ正玄しょうげんさん(55)
十四代 黒田正玄さん=河村道浩撮影

元は武士だった初代正玄は武家茶人、小堀遠州の推挙で徳川将軍家の御用柄杓師ひしゃくしになった。千家三代宗旦の柄杓も作ったと伝わる。

竹の茶道具は点前てまえ必須の柄杓、茶筅ちゃせん以外にも様々ある。茶杓ちゃしゃく竹花入たけはないれ籠花入かごはないれ、香合、菓子器など。

柄杓は消耗品なので、古いものはほとんど残っておらず古い時代の形は想像するしかないが、茶杓は千利休や宗旦の作が今に伝わっている。

黒田正玄さん作「シボ竹一重切花入」

「今、一番難しいのが材料の竹の確保」と黒田さん。京都近郊のマダケ(苦竹、真竹)を選び、炭火で油を抜く。天日に干してさらに4、5年倉庫で寝かせる。「先代の父に材料の吟味から教わった」が、近年の気候変動に対応し、竹を切る時期を遅くするなど、気を使うことが増えているという。

(2022年9月4日付 読売新聞朝刊より)

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