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2023.9.1

伝統文化をどう伝えるか ― 長谷川眞理子さん(日本芸術文化振興会理事長)× 秋乃ろーざさん(タレント)

日本が誇る伝統文化の魅力を多くの人に知ってもらい、次世代に残し伝えるために必要なこととは何か。国立劇場などを運営する日本芸術文化振興会の長谷川眞理子理事長と、様々な日本文化を愛好する米国育ちのタレント秋乃ろーざさんによる対談、生活に根ざした工芸品を扱う「中川政七商店」の中川政七会長の話を通して考える。

日本芸術文化振興会の長谷川眞理子理事長(左)とタレントの秋乃ろーざさん(国立劇場で)=佐々木紀明撮影

暮らしは文化につながっている

長谷川 お着物をすてきに着こなしておられますね。私は全然着られませんで、だめですね。母は着物をたくさん持っていて、お茶もやっていたし、父は謡曲を習って家では着物で過ごすような人だったんですが。

秋乃 先生のワンピース、すてきです。着物を着るのと同じように色々なことを考えてコーディネートされていると思いました。

長谷川 日本は、それまでの長い伝統が第2次世界大戦後にいったん切れてしまったんです。戦後の学校では欧米の音楽や美術が中心になって、日本文化をきちんと教えてくれる先生も、日常的に日本文化に触れる機会も少なくなった。日本の外で育った秋乃さんが、日本文化を好きになって飛び込んでくださるのは、うれしいことです。

秋乃 逆に、日本の伝統文化は今の時代に必要なのかという問いもあると思います。先生はどうお考えですか。

古さと新しさの共存 常に葛藤

長谷川

長谷川眞理子(はせがわ・まりこ) 繁殖行動などを巡る動物の進化の謎に迫る「行動生態学」の第一人者。早稲田大教授、総合研究大学院大学長などを歴任し、今年4月から現職。

長谷川 長く続いてきたものにはある種の価値があって、「古いから」という理由だけで全て捨ててしまうことはやるべきではないと思いますが、そうした古いものは、今とは違う価値観で作られてきたものです。それらを今の時代とどう折り合いをつけて残していくか、あるいは、やめるのか。古いものと新しいものをどう共存させるかには、常に葛藤が生じていると思います。

秋乃 私が日本の言葉と文化を好きになったきっかけは、合気道でした。私の生まれは当時ソ連だった東欧のジョージアですが、幼少時にアメリカに移住しました。人とうまく話せず孤独を感じていましたが、高校でたまたま合気道の授業を受けたら、自分と相手が一つの流れになって動いて、何も言わずともお互いに色々なことが伝わった。言葉じゃないコミュニケーションに、こんなにほっとしたことはなかったんです。大学で始めたお茶もそうでした。茶室に入るとお道具から何から全てのことがしっかり考えられている。「この人はこういうのが好きだから、今の季節だったらこれを用意しよう」とか。非言語の会話が茶室で成り立っていた。

「非言語の会話」にほっとした

秋乃

秋乃ろーざ(あきの・ろーざ) 米カリフォルニア州育ち。2018年から「NHKラジオ英会話」に出演中。日本髪結い、着物の着付けもこなす。21年に日本国籍を取得。

長谷川 わかります。言葉は色々なことが表現できるし、論理を組み立てる科学の根本は言語ですけれど、人と人とのコミュニケーションが可能になる前提として「私が思っていることを、あなたも思ってくれている」という心の共有が必要になります。でも、西欧では日本よりもそこを軽視していますよね。

秋乃 そうなんです! 先ほどごあいさつする時、先生のすてきなワンピースに合わせて、私は何色か用意している名刺の中から緑色をお渡ししました。それも一つの会話です。もちろん色々な国でもあるのでしょうが、日本は何も話さなくても心を共有しようとするコミュニケーションの奥が深いと思います。だから、歌舞伎や能も知れば知るほど面白くなる。

長谷川 日本は自然が豊かで、春夏秋冬もはっきりしていることが文化の素地になっています。お祭りや宗教的な催事も含めて、季節の移り変わりの中でみんなが一緒に暮らすことで、文化は育まれてきた。日本文化は「型」というものを理解すると、その奥にある色々なものが理解できるようになります。生活の中のあらゆる無形のもの、非言語のものが積み重ねられて型になっている。

秋乃 私は、日本文化は全部「つながり感」を大切にしているように思います。例えば流鏑馬やぶさめも、お祭りも、人と人とがつながっている感じを増やすため続いてきた。着物の選び方も季節とつながりますよね。お茶でも合気道でも、一つの空間を共有することで自分と相手との境界線がなくなっていって、どこまでが自分でどこからが相手というものも一瞬、見えなくなる。それは、孤独感を減らすんです。

長谷川 日本文化は日本人の暮らし方そのものだと言えますね。でも、戦後、暮らし方が変わったことで消えてしまいつつある文化もある。

国立劇場 建て替えへ

長谷川 国立劇場は全面建て替えのため、10月末でいったん閉めるんです。問題は建て替え期間中、公演をどう続けるか。公共のホールなどを借りて歌舞伎や文楽などの公演を続けていく予定です。

秋乃 逆にチャンスかもしれないですね。今までは「ここだけしかない」という固定観念があったでしょうが、今まで考えもつかなかったような場所でもやれるかもしれない。江戸時代に今のような立派な劇場があったわけではないじゃないですか。

長谷川 確かに、新しいイマジネーションを働かせるチャンスで、私たちは何が欲しかったのかを問い直す機会になる。新たに建つ国立劇場は、日本の建築技術の伝統を出してほしいですし、それは結局はエコにもつながると思います。大人も子供も、初めての人も、何回も来る人も、日常的に伝統芸能に触れられる場所にしたいと思います。

秋乃 茶室もそうですが、私の好きなのは静かな、落ち着いた空間です。見た目よりも、本当に日本の良いところが表現されている劇場になってくれたらうれしいですね。

◇     ◇     ◇

工芸品 常に時代を意識して

約300年前に麻織物「奈良さらし」の問屋として創業し、現在は工芸雑貨の製造小売業として全国展開する「中川政七商店」(本社・奈良市)は、「日本の工芸を元気にする!」というビジョン(未来像)を掲げ、工芸メーカーに対する経営コンサルティングでも成果を上げる。

中川政七会長は2002年に家業の一部門を任され、黒字に転換させた。そのノウハウを、工芸全体を元気にするために伝えているのには三つ理由がある。「一生活者として、伝統的な素材や技術が失われるのはもったいない。また、誰もモノを作れなくなると、全国の工房に支えられているウチは商売が成り立たない。そして、自社を立て直した経験は、他の工芸メーカーの経営も良くすることができると思ったから」

中川政七さん(中川政七商店会長)

中川政七(なかがわ・まさしち) 京都大卒業後、富士通を経て2002年、中川政七商店に入社。08年に社長、18年から会長。社の取り組みを伝える著書多数。

日本各地の工芸メーカーによる合同展示会「大日本市」を主導し、近年は産地単位での振興にも取り組む。創業地の奈良では、まちづくりの拠点となる複合商業施設を作り、観光発信のみならず地元事業者向けの経営講座も進めてきた。

「それでも間に合わない。道のりは2合目」。中川会長は危機感をにじませつつも、時代状況の追い風に期待する。日本の伝統風土の中で丁寧に作られたものに価値を見いだす人が増え、情報インフラの整備により地方の小さなメーカーでも世界から見つけてもらえる可能性があるからだ。

「日本は2010年頃からインバウンド需要が伸びたが、会社では『海外客に向けたモノ作りはするな。日本の生活者に向けたモノ作りを踏み外してはいけない』と伝えてきた。だから、当時は恩恵をあまり受けなかった」。だが、最近の訪日客は、日本文化や歴史的経緯を理解できる「リテラシー」が上がっていると見る。「リテラシーに合わせ、コミュニケーションすることが大切。彼らが買って帰る土産には、“なんちゃって日本”みたいなものはいらない。背景にある日本文化から会話が生まれるようなものが必要」

一方、中川政七商店では、30~60代女性という従来の顧客に加え、時代に敏感な20代男性の姿が目立ってきているという。「環境や人権に配慮しないメーカーのものは買いたくないというのが世界の流れ。工芸が環境に与える負荷は低いと思うが、もっと下げる努力もして、それをアピールしていく必要もある」

中川会長が強調するのは、歴史や伝統に基づく工芸品といえど、時代に適応する必要があるということだ。「江戸時代もより良いものをいかに効率よく作るかということを積み上げてきた。自動車産業が100年以上続いているのに伝統自動車産業と言わないのは、常にアップデートされているから。『伝統工芸』ではなく、普通に『工芸』と言われるぐらい時代に適応していかなきゃいけない」

(2023年8月17日付 読売新聞朝刊より)

Action!伝統文化~読売新聞社は、日本の伝統文化を盛り上げ、発展させていく運動「Action!伝統文化」に取り組みます
https://dentou.yomiuri.co.jp/

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