形ある絵画や彫刻など「有形文化財」が経年劣化や火災、水害、地震、戦禍などによって傷み、失われてしまうと、文化財を作り出す「技」も伝えられないまま、途絶えてしまうおそれがあります。戦禍などに見舞われ、多くの文化財を失った沖縄で、「手わざ」をよみがえらせる取り組みを紹介します。
1945年、第2次世界大戦の戦場となった沖縄は、首里城をはじめ、多くの貴重な文化財を失った。その後の近代化で、伝統的なものづくりも姿を変えた。いまはない琉球王国時代の文化財と作る技を取り戻して未来に伝えたい――との思いでスタートした「琉球王国文化遺産集積・再興事業」の成果が、沖縄復帰50年記念特別展「琉球」で国宝を含む宝物とともに展示される。木彫像、刺しゅう、漆芸の復元作業を紹介する。
琉球王国文化遺産集積・再興事業のシンボルと言えるのが、琉球王国を統治した尚王家の
だが、残欠13点だけで、頭部や戦前の姿形が分かる写真はない。仁王像を知る人々は高齢化していく。存命のうちに元の形を取り戻したいとの願いが、残欠を収蔵する沖縄県立博物館・美術館などに再興事業を促した。
復元は困難の連続だった。古老からの聞き取り調査だけでは復元の決め手にはならず、科学的な調査が必要だった。残欠に使われた材料を調べると、4点は沖縄にはないカヤ材(伐採時期1476~1530年ごろ)、9点は沖縄に自生するマキ属材(同1715年以降)を用いていた。室町時代に制作され、少なくとも1回は大規模な修復があったとわかり、制作当初の姿へ復元する方針を決めた。
担当した東京芸術大保存修復彫刻研究室の岡田靖・准教授らは、4点の残欠を手がかりに、各地の仁王像から類例を探した。円覚寺を開山した臨済宗の芥隠(かいいん)禅師がかつて京都にいたことから、京都を拠点にした院派仏師の手によるものと推定。石川県珠洲市の法住寺の仁王像の作風が近いと突き止め、大きさ、表情、衣紋の表現などを参考とし、岡田准教授が制作した復元像の原型を基に、カヤ材に精密に彫り起こした。
岡田准教授は「残欠という根拠が残されていたからこそ復元できた」と話す。円覚寺の総門は1968年に復元されたが、戦前は仁王像を安置していた左右のスペースは空で門扉も閉じたままだ。それでも地元の人々が時折、拝みにやって来る。
円覚寺最後の住職の息子で洪済寺(与那原町)住職の
同博物館の
仁王像は展覧会の後、沖縄県立博物館・美術館で機会を設けて展示する。円覚寺総門への安置を求める声もある。沖縄戦で失われた仁王像と制作技術を取り戻した今回の事業が、沖縄のものづくりへつながると期待されている。
◆沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
琉球王国の宝物などを集めた特別展「琉球」が東京、福岡で開かれる。美と技をよみがえらせた模造復元品を併せて紹介する。
【会期・会場】
5月3日(火・祝)~6月26日(日)東京国立博物館(東京都台東区)
7月16日(土)~9月4日(日)九州国立博物館(福岡県太宰府市)
【主催】東京国立博物館(東京展)、九州国立博物館・福岡県(九州展)、読売新聞社、文化庁ほか
【共催】沖縄県立博物館・美術館ほか
【特別協力】太宰府天満宮(九州展)
【協力】DNP大日本印刷
【輸送協力】日本航空
【公式サイト】https://tsumugu.yomiuri.co.jp/ryukyu2022/
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