国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に、これまでに日本から登録された8件は、古代から昭和の時代まで、先人が書き残し伝えてきた文字、絵など希少な歴史資料として高く評価されている。所蔵元は、次代へ伝えるべく大切に保管し、修理を進めるとともに、デジタルアーカイブ化による検索を可能にしたり、現地で実物をいつでも見られるよう公開したりと、誰もが手軽に資料を閲覧できる環境を整えている。歴史の事実を訴えかけてくる人類共通の遺産「世界の記憶」のメッセージに触れてみたい。
◇福岡県田川市、福岡県立大学 2011年登録
山本作兵衛(1892~1984年)は、福岡県笠松村(現・飯塚市)生まれ。7歳ごろから筑豊の炭鉱で働き始め、60歳を過ぎてから炭鉱労働、暮らし、風習などを墨や水彩で描き始めた。
明治時代から20世紀後半まで炭鉱業の発展していく様子を記録した絵画589点と日記、雑記帳、原稿などが登録された。工業化が進む当時の日本と産業革命が世界中に広がっていく歴史を知る貴重な資料だ。
◇陽明文庫(京都市) 2013年登録
平安時代の権力者・藤原道長(966~1027年)の世界最古級の日記。摂関政治の重要事項、貴族の日常生活の様子などを記す自筆本14巻と古写本12巻。1951年、国宝に指定。
当初は「御堂御日記」などと呼ばれ、写本を重ねるうちに「御堂関白記」の名称が定着した。道長は、右大臣、左大臣、摂政、太政大臣などを歴任したが、関白を務めたことはない。
◇仙台市、スペイン 2013年登録
仙台藩主伊達政宗がスペインとローマに派遣した支倉常長が持ち帰った遺品3点と、それを補完するスペインの関係文書94点。
江戸時代初期の日欧交渉の実態を物語っており、常長の没後、伊達家、仙台藩切支丹改所に保管され、今日まで伝わった。東西文化圏の交渉史上、貴重な資料。日本側の登録3点は2001年に歴史資料として国宝に指定。
◇京都府舞鶴市 2015年登録
第2次世界大戦敗戦後、ソビエト連邦に抑留された日本人は60万人から80万人とも言われる。日本軍人、民間人が強いられた厳しい抑留生活と日本へ引き揚げるまでの苦難の歴史を伝える日記、手紙・はがき、絵画など570点は、公的記録が乏しく、記録や保存が難しかった時期に残した貴重な資料だ。
◇長崎県対馬市など、韓国 2017年登録
江戸時代に朝鮮が日本へ派遣した外交使節団(1607~1811年)の記録。江戸幕府の招きで12度に及んだ。外交、旅程、文化交流などの様子を書状、絵画などに記した。日本から209点、韓国から124点。
長崎県対馬市など21市町10団体からなるNPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会、財団法人釜山文化財団が資料の収集、研究と日韓交流を進めた。
「世界の記憶」とは
◆文書や絵画など対象 国際登録は計494件に人類にとって忘れてはならない文書、記録など貴重な遺産を保存、活用するために、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が1992年に創設、95年から登録を始めた。旧ユーゴスラビア内戦で、ボスニア・ヘルツェゴビナ国立・大学図書館が破壊され、貴重な記録文書が失われたのを機に、人類共通の遺産を守る意識が高まり制度創設につながったという。
登録の対象は、文書以外に絵画、写真、映画、録音、楽譜などまで多岐に及ぶ。原則として2年に1度、ユネスコ事務局長が指名した有識者による国際諮問委員会で選定する国際登録とアジア太平洋地域委員会などが選定する地域登録がある。国際登録は、2023年は世界で64件を登録、制度開始以来494件にのぼる。
各国から最大2件(共同申請は含まない)の登録の推薦が認められている。日本からは、今年、登録が認められた「智証大師円珍関係文書典籍―日本・中国の文化交流史―」はじめ、これまでに8件を登録している。資料の価値は国によって評価が分かれるケースがある一方で、「慶長遣欧使節関係資料」はスペイン、「朝鮮通信使に関する記録」は韓国と、国境をまたいで共同で申請し登録が実現した。
日本は公文書の廃棄が問題となるなど、文書など歴史遺産のアーカイブ(記録保存)に対する意識が薄いと言われ、「世界の記憶」の価値が浸透すれば、新たな遺産の発掘、保存が進むと期待されている。
日本ユネスコ国内委員会の白井俊事務局次長は「登録を機に貴重な文書、記録をデジタル化などで広く公開し、保存が進む環境が整うよう期待したい」とする。
(2023年7月2日付 読売新聞朝刊より)
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