2022.3.19
「楼閣山水蒔絵水注」
京都国立博物館(京博)の永島明子学芸員へのインタビュー。今回は、江戸時代の輸出漆器研究を始めた経緯や、漆器をより深く楽しむヒントをうかがいました。
私は小学2年から4年まで、父の海外赴任でフランスのパリに住みました。父は来仏した上司やその家族をルーブル美術館やベルサイユ宮殿などに案内することがあり、学校が休みの時には私も連れて行かれました。その頃、知り合いの日本人の高校生のお姉さんが、日本で流行していた漫画「ベルサイユのばら」を貸してくれました。今振り返ると、漫画を読むと同時に、その舞台となった宮殿に行くという貴重な経験ができていたのです。のちにそこに所蔵されている漆器を研究することになるとは、夢にも思っていませんでしたが(笑)。
長期休暇には、両親が子どもたちを車に乗せて、キャンプをしながら欧州各地に連れて行ってくれました。ポンペイやストーンサークルなど、学校で教わる前に足を運ぶことができたのは本当にラッキーで、親に感謝しています。
私は人一倍、ものを見るのが好きな子どもだったように思います。今思えば、昔の暮らしや祈りの場にあった美しいもの、多くの人が評価して後世に残したものに、心を奪われることが多かったですね。
-その後、国際基督教大学高等学校を経て国際基督教大学(ICU)に進学されたのですね。
ICUは入学の際には専攻に分かれておらず、数学、心理学、音楽などいろいろな講義を受けたあとで自分の専修分野を決めます。高校生の頃は、世の中にどんな専門分野や仕事があるのかまだあまり知りませんよね。私は「自分はものを知らない」ということだけはわかっていたので、ICUを選びました。
とはいえ、美術には興味があったので、美術史の授業はすべて受講しました。当時は、アメリカ人のエドワード・キダー先生が縄文時代などの日本美術を、そして日本人の先生がヨーロッパの美術を教えておられました。その後、キダー先生が退任され、江戸時代の陶芸家、尾形乾山がご専門でアメリカ人のリチャード・ウィルソン先生が赴任されました。そのため、私がICUで学んだ日本美術は古代と江戸時代だけと、かなり偏っています(笑)。
ギリシャ悲劇がご専門の川島重成先生の講義も面白くて、先生が案内するギリシャ・ツアーに参加して遺跡などを巡り、ギリシャが大好きになりました。大学3年の1年間はイギリスのロンドン大学に留学しました。ロンドン大学は大英博物館と隣接しており、同館所蔵の古代ギリシャの彫刻などを学びました。帰国後は、川島先生のご指導のもと、ギリシャ陶器について卒業論文を書きました。
―イギリス留学の経験が、日本美術の研究に進むきっかけになったそうですね。
ロンドン大学のある授業で、19世紀後半に絵画でインプレッショニズム(印象主義)が登場したあと、少し遅れて音楽でもインプレッショニズムが現れたという話題になりました。それで、私は「絵画にはジャポニスム(19世紀に欧米で起きた日本美術ブーム)がありましたが、音楽にも異文化の流入の影響はあったのですか」と質問したのですが、理解してもらえなくて。ロンドン大学の図書館にはジャポニスムについての立派な本がありましたが、大半の人は知る機会もなかったのだと思います。その経験を機に「素晴らしいのに知られていないものを、わかりやすくプレゼンする必要がある。日本美術を紹介する人材が足りていない」と感じ、勉強して説明できるようになりたいと思ったのです。
それで、ICUの修士課程では日本の暮らしのなかにあった工芸品を研究しようと決め、木製品、なかでも曲げ物を取り上げました。針葉樹を割り、木の弾力を利用して曲げてとじ合わせ、ふるいや弁当箱などを作る工芸です。美術という枠にははまらないかもしれませんが。その当時、工芸品としての先行研究はなく、民俗学の研究書には失われていく技術として記されていました。ところが実際には、伝統的な技術を継承する現役の曲げ物師が全国各地にいたのです。私はそうした実態を地道な調査で明らかにしました。全国各地のタウンページで曲げ物を扱っているお店を片っ端から調べ、アンケートを郵送したのです。200件ほど回答をいただいてインタビューにも行き、いわば曲げ物白書のような修士論文を書き上げました(笑)。
その後、ウィルソン先生から貴重な助言をいただきました。「日本には、大学院生が優れた工芸品を見ながら勉強できる場所は1か所しかありません。最近、京都大学にできた、京都国立博物館の先生たちが教える講座です。ぜひ、そこへ行きなさい」と。それが京都大学大学院人間・環境学研究科でした。
その講座で教鞭を執る、漆芸史の灰野昭郎先生の新書を読んだところ、「漆器の世界はこんなに楽しいんだよ、ということを一般の人に伝えたい」という気持ちにあふれていました。それで、「そういえば、日本の美術って楽しいんですよ、ということを自分は伝えたかったんだ」と、留学時に感じたことを思い出しました。それで灰野先生に手紙を出したのです。
灰野先生はちょうどそのとき、「蒔絵 漆黒と黄金の日本美」展(京博、1995年)の開催直前でご多忙でした。私はそんなタイミングに手紙を送ってしまっていたわけですが、先生はすごく喜んでくださったようで、のちに「本を出したら、餌に引っかかって釣れたやつがいる」と 笑っておいででした。
先生は忙しいなか電話をくださり、「展覧会がオープンしたら会場で何を研究するか決めたらいかがですか」と、展覧会の招待状を送ってくださいました。その後、東京から夜行バスに乗って秋晴れの京博に行き、無事オープンを迎えてニコニコされている灰野先生に、初めてお目にかかりました。
展覧会を見ていると、ある展示ケースに、マリー・アントワネットの旧蔵品として小さな漆器の箱が並んでいました。「子どもの頃に見た、あのベルサイユ宮殿の、あのベルばらのアントワネットが、なぜ日本の蒔絵を持っていたのだろう」と気になり、灰野先生に「これを研究します」と伝えたら、当時一つだけあった先行研究の、フランス語の論文を渡してくださいました。
その論文を読んでみると、漆器に書き込まれていた日本語を、ある日本人に読んでもらったという記述があったのですが、偶然にも、その日本人というのが、私の父がフランスに赴任したときの前任者だったのです。それでこの研究にますます縁を感じました。
まずは、フランス国立公文書館に所蔵されている、アントワネットの旧蔵品の作品リストを読む必要がありました。フランス革命後、ルーブル美術館に収蔵された際に、共和国政府の美術委員が作成したリストです。そのコピーを取り寄せ、ミミズが這うような読みにくい字体を苦労して解読しました。その後、ルーブル美術館、べルサイユ宮殿、ギメ東洋美術館、そして、イギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に調査に行き、この研究が京大での修士論文になりました。
1999年からは京博に勤務し、2008年には「japan 蒔絵―宮殿を飾る 東洋の燦めき―」展を担当して、アントワネットの旧蔵品も含め、輸出漆器の名品を展示することができました。
―最後に、漆器を楽しむためのヒントをお聞かせください。
アントワネットが所有した漆器のなかには、もともと京都市内のお店で売られていたものもあります。そうしたものが、尾張の徳川家や清朝の皇帝、あるいは西洋の王侯貴族のもとへと渡ったわけです。
みなさんにも、漆器屋さんに足を運んで、手に取って、できれば購入して使っていただけたらと思います。博物館ではガラス越しに鑑賞しますが、工芸品の本当の魅力は手に取らないとわかりません。蒔絵の凹凸、手に持ったときの薄さや軽さ、食器であれば、口につけたときの感触などを体験していただきたいのです。そうした経験を経て博物館で見ると、細部の装飾にも目が行くなど、見方が深まります。漆芸好きの間では、漆芸の魅力にはまることを「漆かぶれ」といいます。ぜひ、かぶれてください(笑)。
◇ ◇ ◇
永島さんのお話を参考に、みなさんもぜひ、漆器との触れあいを日常に取り入れて、博物館での漆器との出会いをさらに楽しんではいかがでしょうか。
【永島明子(ながしま・めいこ)】神戸市生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。在学中、ロンドン大学に交換留学。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。同博士後期課程中退後、論文提出によって京都大学博士(人間・環境学)に。1999年から、京都国立博物館に勤務。現在、教育室⻑兼工芸室勤務(漆工担当)。担当した主な展覧会に「japan 蒔絵―宮殿を飾る 東洋の燦めき―」(2008年)、「百獣の楽園―美術にすむ動物たち―」(11年)、「遊び」(13年)、「豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―」(18年)、「オリュンピア×ニッポン・ビジュツ」(21年)。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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