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平沢屏山「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」(7月~12月)
紙本着色 6曲半双(函館市指定有形文化財、市立函館博物館)
7月:鱒漁図(テㇱ漁図) 8月:サケ漁図 9月:マレㇰ漁図 10月:出猟図 11月:神祈図 12月:熊送図

2022.3.16

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 26-上  霜村紀子さん(国立アイヌ民族博物館・資料情報室長)

平沢屏山「アイヌ風俗十二ヶ月屏風(7月~12月)」

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回お話をうかがったのは、国立アイヌ民族博物館(北海道白老町しらおいちょう)の霜村紀子・資料情報室長です。紹介してくださるのは、平沢屏山ひらさわびょうざん「アイヌ風俗十二ヶ月屏風びょうぶ」(市立函館博物館)。アイヌ文化を伝える貴重な絵画史料を読み解く楽しさを、アイヌ絵を見る際の心得とともに教えていただきました。

―「アイヌ風俗十二ヶ月屏風(7月~12月)」の見どころをお聞かせください。

幕末から明治時代初めにアイヌ絵を描いた、平沢屏山(1822~1876年)の晩年の代表作です。2022年は屏山の生誕200年にあたります。

アイヌ絵とは、主に江戸時代から明治時代にかけて、和人がアイヌの暮らしをテーマに描いた絵のことです。この作品は本来、六曲一双の屏風で、アイヌの生活が1月から12月まで、右から月ごとに描かれています。1月から6月の場面が描かれた市立函館博物館所蔵の右隻は後世の模写ですが、7月から12月の左隻は屏山による原画です。

模写:宮原柳僊 「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」(1月~6月)
原画:平沢屏山 紙本着色 6曲半双
(函館市指定有形文化財、市立函館博物館)
1月:年礼図 2月:山猟図 3月:布海苔採集図 4月:家族団らん図 5月:鰯粕干図 6月:昆布採集図 

7、8、9月は川でさけなどの漁をする様子、10月は山に木の実などの採集や狩りに行く様子、11月はおそらく儀礼のあとの酒宴、12月は熊送り(イオマンテ)の場面です。熊送りは、人間の世界にやってきて熊の姿に化身したカムイから肉や毛皮などを余すところなくいただき、イナウなどのお土産をささげ、カムイの世界に送り返す儀礼です。

細かな描写で伝えるアイヌ文化

屏山の絵は、画像では拡大しきれないほど描写が細かく、髪の毛は、薄く墨を塗った上に極細の線で毛描きし、瞳は薄茶色のうえに黒目を重ねています。熊送りの場面には、交易で得たと思われる衣服が描かれ、光沢のあるものは輪郭線に金を用いるなど細部までこだわりがみられます。鮮やかな青色は輸入顔料のウルトラマリンブルーと考えられます。

私は、2020年7月年に開館した国立アイヌ民族博物館に、2017年の設立準備室時代から勤めています。 アイヌ文化の伝承者や研究者らと交流する中で、屏山のアイヌ絵に改めて感動しました。民具の専門家から見ても、屏山の描写はものすごく精緻せいちだというのです。

例えば、9月の場面では、老齢の男性がマレㇰという、鮭を捕る漁具を握り構えていますが、かぎが木の柄にどのように縄でくくりつけられているかがわかるほど細かく描き込まれています。11月の場面は、赤や黒に染色した繊維を用いて模様とした花ござが描かれていますが、縦糸の結び目や縁の折り込んだ処理までも見て取れます。

アイヌは口承で伝える文化なので、和人が描いたこうした絵は、江戸時代のアイヌ文化を知るうえでの重要な手がかりとなっています。特に屏山の絵は、実際に民具を見て、用途や構造を理解したうえで描いたと考えられ、アイヌ文化を知る手がかりとなる史料であり、アイヌ民具を復元するときに参照されることもあるそうです。とはいえ、絵には依頼主の意向や制作者の誇張した表現が入ったり、情報の不足や偏りによる誤解もあったりしますから、すべてが正しいわけではありません。例えば、1月の年礼図や10月の出猟図に見られるように、本当に裸足はだしで山を登っていたかはわからないのです。

アイヌの暮らしを描いた和人

―屏山はなぜアイヌ絵を描くようになったのですか。

江戸時代、 幕府の調査や北方警備のために、人々が北海道を往来するようになります。函館は1854年にペリーが来港し、1859年に貿易港として開港し、さらに外国からも多くの人々が訪れました。松浦武四郎たけしろうのように幕府の命を受け蝦夷えぞ地を調査した人々だけでなく、私的に本州から来て滞在、移住した人も多く、なかには絵師もいました。屏山もそのひとりです。岩手県大迫おおはさま(現・花巻市大迫町)の商家の出身と伝わり、家が没落したのち、1840年代半ばに弟とともに海を渡り、函館に住んだといわれます。

当時、函館の豪商・杉浦嘉七かしちは幌泉や十勝場所の請負人でした。屏山は嘉七の知遇を得て、その場所などを訪れ、アイヌ絵を描くようになったともいわれます。明治の初めには、博覧会に出品する蝦夷地の産物や生活用品を集めていたため、それらを間近に見る機会もあったでしょう。屏山は晩年、 アットゥㇱという樹皮の衣服を着ていたともいわれ、アイヌの民具を持っていたのかもしれません。

江戸時代のアイヌの集落には、有名なイギリス人探検家イザベラ・バードや宣教師ジョン・バチェラーも含め、多様な人々が訪れました。彼らはアイヌの暮らしについて尋ねたり、アイヌ語を記録したりしたため、アイヌの人々もそうした対応にある程度慣れていたでしょう。屏山もそうした訪問者のひとりだったのかもしれません。当時は、蝦夷通詞と呼ばれるアイヌ語の通訳者もいました。アイヌ絵師・早坂文嶺ぶんれいは画号に「二司馬」、アイヌ語の「ニㇱパ(長者、だんな)」を使っており、屏山も多少はアイヌ語を理解していたかもしれません。

この「アイヌ風俗十二ヶ月屏風」は、明治時代に複数の絵師に模写されています。函館が開港して間もない1860年代(江戸時代末~明治時代初め)には、ますます多くの和人や外国人がアイヌ絵を求め、屏山の作品は海外にも数多く渡りました。儀礼や漁労の絵が特に売れ筋だったようです。屏山の作品には、人物のポーズや構成など、いくつかの基本パターンがあり、それらを組み合わせて多くの作品を制作しています。見本帳のようなものがあり、その中から画題を選んでもらい注文を受けていたのかもしれません。屏山の絵は、外国人が高値で購入していたようです。

とはいえ、なぜか、屏山はボロボロの格好で暮らしていたと伝わります。1876年、54歳で亡くなりました。屏山は酒飲みで、子ども好きだったといいます。表情豊かな子どもの顔つきもご覧いただきたいです。

小玉貞良(龍圓齋)「蝦夷国風図絵」(部分)
巻子1巻 紙本 着彩(国立アイヌ民族博物館)
フランスで見つかったアイヌ絵の名品

―続いて、小玉こだま貞良ていりょう蝦夷えぞ国風こくふう図絵ずえ」の見どころをお聞かせください。

全長10メートル以上に及ぶ、見事なアイヌ絵の絵巻です。前半と後半に分断された状態でフランスののみの市に出ていたものを個人が買い求め、それを贈られた人物を通じて作品に関する照会があったことを機に、2019年に国立アイヌ民族博物館の開設に向けて文化庁で資料を収集しました。翌年、アイヌ博の開館を迎え、第1回テーマ展示「収蔵資料展 イコㇿ―資料にみる素材と技―」で初公開しました。

絵師の貞良は、江戸時代中期に松前に生まれ、アイヌ絵のほか、近江商人の依頼で松前の城下町を絵図に描くなど、数多くの作品を残したようです。江戸中期の 北海道に関する資料は幕末よりもさらに少ないため、絵画史料としてもたいへん貴重な作品です。

描写が細かく、ご覧の酒宴の場面では、衣服の模様や刀の柄の鮫肌さめはだまでわかります。画面左のござは無地で、作りたてらしく青々としている一方、右の文様が入った花ござは黄色っぽいので、少し古いか、素材が違うのでしょう。端で結ばれた縦糸まで描かれており、実物を見て描いたことがうかがえます。

漆器や陶磁器など、本州も含めて外からもたらされた民具が多く描かれており、左から3人目が着ている刺繍ししゅう入りの着物は、おそらく蝦夷錦と呼ばれる外来の衣服です。長老たちはこうした外来の着物で盛装していたのでしょう。アイヌの儀礼で使う刀を肩からかけています。手を合わせているのは、両手をすりあわせながら左右に揺らすアイヌの儀礼での所作でしょう。右端の人は、イクパスイという祭具を持ち、祈り詞とともにカムイへ酒をささげているところでしょう。

このように、アイヌの文化を知ったうえで見ると、描かれた道具やしぐさを推察することができます。当館では、民具の展示や解説も充実していますので、そうした展示を通してアイヌ文化への理解を深めながら、アイヌ絵を楽しんでいただけたらと思います。

鑑賞の心構え

当館の基本展示室内のコーナー「私たちの交流」では外から、ほかの民族から、アイヌ文化がどのように見られ、記録されてきたのかを紹介しています。ここに展示するアイヌ絵を選ぶ際は、民具や儀礼の研究者にも相談しています。というのも、アイヌ絵はあくまで絵画なので、伝え聞いた情報や実際に見たものをもとに、イメージを膨らませて描かれたものであり、 実際とは異なる描写や極端な誇張表現がなされていることもあります。ですから、誤解を招く可能性のある作品の展示では、正しい情報を伝えるよう気を付けているのです。

絵画は、写真がない時代の情報を伝える貴重な資料です。描かれているものをすべて鵜呑うのみにはできませんが、自然の中でいきいきと暮らしている姿や使用する民具の特徴など、展示と併せてご覧いただき、 アイヌ絵を読み解く楽しさを味わっていただけたらと思います。

◇ ◇ ◇

霜村紀子・国立アイヌ民族博物館資料情報室長(鮫島圭代筆)

霜村さんによるアイヌ絵の名品解説はいかがでしたか。絵は多くの情報を一度に伝えてくれるので、知識ゼロからアイヌ文化に親しむのに最適な入り口といえそうですね。次回は、霜村さんのアイヌ絵との出会い、そして、2020年に開館したアイヌ博の魅力についてうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳 vol. 26-下に続く

【霜村紀子(しもむら・のりこ)】北海道帯広市生まれ。早稲田大学第一文学部史学科美術史学専修卒業、市立函館博物館学芸員、函館市中央図書館事業担当主査、図書館郷土資料担当主査等を経て、2017年から、国立アイヌ民族博物館の設立準備に関わる。現在、同館研究学芸部資料情報室長。第1回テーマ展示「収蔵資料展イコㇿ―資料にみる素材と技―」(2020年12月~21年5月)を担当。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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