2022.3.16
平沢屏山「アイヌ風俗十二ヶ月屏風(7月~12月)」
国立アイヌ民族博物館(北海道白老町)の霜村紀子・資料情報室長へのインタビュー。今回は、美術に親しんだ子ども時代からアイヌ絵研究に導かれた経緯、そして、アイヌの歴史文化をテーマとする日本初・日本最北の国立博物館、アイヌ博の多彩な魅力についてうかがいました。
―子どもの頃から美術が好きでしたか。
父が中学校の美術教諭だったので、生まれたときから家に美術の教材や工作キット、画材、美術雑誌や画集があふれており、自然と絵や工作をするようになりました。故郷の帯広は自然が豊かで、小学生の頃は、近所の帯広畜産大学や農業高校、製糖工場の近くなどに父と自転車で行き、見よう見まねでイーゼル(画架)にキャンバスボードを立てて、牛や風景をスケッチしました。グレーやベージュなどの地味な色が好きで、色の微妙な濃淡にこだわって描いていました。絵画展で入賞して、小さな望遠鏡や絵の具セットをもらったこともあります。
中学校では、美術部で油絵を描きました。当時、帯広には美術館がなく、画廊に地元の画家の絵を見に行くことはありましたが、世界的な名画を見るチャンスは画集やテレビ番組だけでした。特に、ダ・ビンチ、ドラクロワ、ダリなど、ヨーロッパの画家が好きだったのですが、技術の高さや豊かな発想力に圧倒されて、やがて「見るのは好きだけれど、自分にはとても描けない」と思うようになり、絵を描かなくなりました。
高校生の頃、漠然と北海道内の大学の文学部を目指していましたが、推薦で東京の早稲田大学に行くことになりました。大学1年時は基礎課程で、考古学や文化人類学などいろいろな講義があり、どれも魅力的でした。そんななか、美術史の丹尾安典先生の講義を受け、「画家がどんな依頼を受けてその絵を描いたのか」といった切り口での軽妙な話しぶりに、ただ美しいだけではない絵画の制作背景を読み解く方法があるのかと興味深く新鮮に感じ、2年生からの専修を美術史に決めました。
以降、大学では、西洋画を中心に美術史を学びました。先生が展覧会に連れて行ってくださったり、ときには卒業生で学芸員になった方から、展覧会を作る苦労なども含めてお話をうかがい、会場を案内していただいたりしました。自分でもできる限りいろいろな展覧会を見ましたが、学生にとっては、電車代も含めると、頻繁に美術展に行くのは金銭的にたいへんです。入場料が安い東京国立博物館(東京都台東区)の常設展や法隆寺宝物館はありがたかったですね。
上京して驚いたのは、北海道は明治以降の歴史、民俗資料が多いのですが、東京は、至る所に古い石碑やお寺があることです。江戸時代にタイムスリップしたような感覚でした。特に仏像は北海道にはほとんどないため、まるで日本文化に憧れる外国人のように魅了されて(笑)。日本彫刻史の大橋一章先生の講義も強く印象に残っています。
卒業論文のテーマを考えるにあたって、西洋画は間近に見る機会が少なく、キリスト教など西洋文化の基礎知識もないので、短期間では本質に迫れないだろうと思いました。それよりも、自分のなかに基礎があるものにしたいと、地元・帯広の洋画家・神田日勝(1937~70年)を取り上げました。2019年に放映されたNHKの朝ドラ「なつぞら」の登場人物、山田天陽のモデルとして話題になった人物です。
私が小学生だった1970年代後半に、北海道で日勝の回顧展が開催され、当時、父の部屋に貼られていたその展覧会のポスターが強く印象に残っていました。特に、絶筆で未完の「馬」という作品は、馬の目が悲しそうで、インパクトが強くて。日勝は、農耕で疲れたやせ馬や死んでしまった馬を茶色や黒で描いており、私も子どもの頃、馬や牛を見たり、暗い色の濃淡で描いたりしていたので、その思い出も重なりました。
日勝は東京出身で、まだ幼かった戦時中に十勝に疎開しました。トタン屋根の家の絵など、その作品は、昭和の開拓民の苦しい暮らしを彷彿とさせます。本州から渡ってきた開拓民の子孫の多くが、日勝の絵に共鳴するのではないでしょうか。
日勝は、油絵をベニヤ板に描きました。馬の絵は実物大で、毛並みの感触まで感じられ、悲しみや愛着が伝わってきます。これは私の想像ですが、日勝は日々、「よく頑張ったね」と話しかけながら、なでてかわいがっている馬の姿を、部分ごとにベニヤに再現するように描いたのではないかと思います。自分の中に深く染み込んだものしか描けない人だったと思うのですが、そうした点にも共感を覚えます。
―大学卒業後に、市立函館博物館の学芸員になられたのですね。
ええ。当時、博物館への借用依頼が特に多かったのが、アイヌ以外の人々がアイヌの生活文化を描いた「アイヌ絵」でした。当初は専門知識がなかったのですが、そうした業務をするうちにアイヌ絵について学ぶようになりました。地元の人々による収集のおかげで、函館には驚くほど多くのアイヌ絵があります。特に市立函館図書館初代館長の岡田健蔵氏は郷土資料の収集に熱心で、昭和12年(1937年)に国内で初めての本格的なアイヌ絵画展を開催し、この展覧会を見た北海道史研究者の越崎宗一は研究成果をまとめ、昭和20年に著書「アイヌ絵」を出版しました。
私は2017年に国立アイヌ民族博物館の設立準備室に入り、2020年、新型コロナウイルスの影響で2度の開館延期の後にオープンを迎えました。国立アイヌ民族博物館は「ウポポイ」(民族共生象徴空間)の中核施設のひとつで、先住民族アイヌを主題とした日本初の国立博物館です。
ウポポイの第一言語はアイヌ語です。アイヌ語には、地域ごとに方言があります。展示の解説文は、アイヌ語の検討委員会のもと、若者から年配者まで数十人のアイヌ語の実践者に依頼して、九つの方言で書かれています。アイヌが主体の「私たち」を主語にしてアイヌ文化を紹介している解説文であるため、 和人の言語である日本語や英・中・韓などの多言語 に訳すのは、単なる翻訳ではない難しい作業です。
ウポポイの一部である国立民族共生公園は体験型フィールドミュージアムで、体験学習館、体験交流ホール、工房、伝統的コタン等の施設があり、ポロト湖を望み、自然の中でゆったりとアイヌ文化に親しんでいただけます。工房では、衣類や木彫品を作る様子が見学でき、制作体験もできます。アイヌ文化を未来につなげていく伝承の活動も行っており、現代のアイヌの作家による衣服や工芸品の展示、各地域のさまざまな社会で活躍するアイヌの人々の紹介も行っています。エントランスでは、「食」を通してアイヌ文化を体験できます。
体験交流ホールでは、ユネスコ無形文化遺産に登録されているアイヌ古式舞踊の上演、伝統的コタン(集落)では、チセ(家屋)群を見学し、伝統的な暮らしの説明や楽器の演奏などを行っています。ポロト湖をバックに、野外でのムックリ演奏や踊りのプログラムを見ていると、時空を超えるような不思議な感覚になり、本当にすてきなので、ぜひ体験していただきたいですね。
以前の旧アイヌ民族博物館は、白老地方のアイヌ文化を紹介していましたが、現在はナショナルセンターとして、各地域のアイヌ文化を紹介しています。地域ごとに衣服の仕立て方、料理、踊り、工芸品に違いがあるため、各地から招いた踊り手や工芸作家による実演も行っているのです。ウポポイを満喫したあとで、平取、阿寒、各地にあるアイヌの文化伝承施設や工芸品店なども訪れていただけたらうれしいですね。
◇ ◇ ◇
霜村さんの案内で、アイヌ博に足を運びたくなった方も多いのではないでしょうか。美しい湖のほとりで、多角的にアイヌ文化に触れる体験は忘れがたいものです。機会があれば、ぜひ、訪れてみてください。
【霜村紀子(しもむら・のりこ)】北海道帯広市生まれ。早稲田大学第一文学部史学科美術史学専修卒業、市立函館博物館学芸員、函館市中央図書館事業担当主査、図書館郷土資料担当主査等を経て、2017年から、国立アイヌ民族博物館の設立準備に関わる。現在、同館研究学芸部資料情報室長。第1回テーマ展示「収蔵資料展イコㇿ―資料にみる素材と技―」(2020年12月~21年5月)を担当。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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