茶の湯の大成者、千利休が作った茶室「待庵」に入ったことがあります。京都・大山崎の禅寺、妙喜庵にある国宝で、わずか2畳です。不思議なのは、座っているうちに広く感じるようになったこと。窓や長押の位置を少しずつずらし、高さや水平といった寸法の目安が目に付かないからです。よく考えられたデザインですね。
また、利休は目の高さを外した位置に窓を作った。おそらく内省を促すためでしょう。わび茶の祖、珠光が高僧の一休に禅を学んだように、茶の湯は禅の思想と深く結びついている。それを受け継いだ利休は、茶室は自分の内側を見つめる場だと考えていたのだと思います。
私が茶室を調べるようになったのは2003年、京都の徳正寺に茶室「矩庵」を設計したのがきっかけでした。それ以前も自宅「タンポポハウス」を建てた時にお茶を習う妻のために炉を切ったし、美術家で作家の赤瀬川原平さん邸「ニラハウス」に茶室を作りましたが、関心が強いわけではなかった。
矩庵の工事中、住職だった秋野等さん夫妻に煎茶を教えた小川流の先代家元、小川後楽さんが来て、炉にするために開けた穴を指さして「埋めてほしい」とおっしゃった。「炉は茶の湯のもの。煎茶では使いません」と。学生時代に茶室の建築は習ったけど、それは知らなかったので本当にびっくりした。もう一度、ゼロから考えなくてはと思いました。
茶のルーツをたどって中国や台湾を訪ねました。台湾では骨董としての茶葉が珍重されていて、清朝末期、つまり100年以上前の茶葉を味わったことも。中国茶は茶碗の中に関心が向いているようです。動作の美しさ、道具や庭の鑑賞といった「茶碗の周り」を大切にする日本とは異なる茶文化です。茶室の建築も日本で独自の発展を遂げたのだと分かりました。
茶室は矩庵の後も手がけています。昨年は東京五輪・パラリンピックに合わせ、国立競技場(東京)の目の前に「五庵」を作った。木材の土台に載せた庵は地上約6メートル。1階の待合からはしごで2階の茶室に上がると、窓から競技場が見えて新鮮な気持ちになる。
狭い場所を通って茶室に入ると別世界に来た感覚になるのは、利休の茶室にあるにじり口と同じ。伝統を踏まえつつ、自分なりの建築を形にしたいという思いがあります。五庵は期間限定で設置しましたが、廃材の一部を使って今年、長野県茅野市の実家の敷地内に再制作しました。
茶室は小さいけれどれっきとした建築です。いろいろな実験ができるのが建築家にとっての醍醐味ではないでしょうか。
(聞き手・淵上えり子)
藤森照信(ふじもり・てるのぶ) 長野県出身。75歳。近代建築を研究する一方で、2004年に作った地上6.4メートルの茶室「高過庵」といった独創的な建築で知られる。『茶室学講義』などの著書もある。20年、「ラ コリーナ近江八幡 草屋根」(滋賀県近江八幡市)で日本芸術院賞を受賞。東大名誉教授。
(2022年11月5日付 読売新聞夕刊より)
特別展「京に生きる文化 茶の湯」
(京都国立博物館)
公式サイトはこちらから
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