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2022.9.21

茶文化の深遠vol.1―家元と職家はともに「アートクリエイター」裏千家・千玄室前家元

足利家の歴代将軍や豊臣秀吉、徳川家康ら武将が所持し、千利休ら茶人が用いた茶道具、墨跡、絵画などを集めた特別展「京に生きる文化 茶の湯」が10月8日、京都市東山区の京都国立博物館で始まります。京都では表千家と裏千家、武者小路千家の三千家さんせんけ、利休の兄弟弟子を流祖とする藪内やぶのうち家の家元などが茶文化を伝承し、「らく家の祖となる長次郎が利休とあいはかって樂茶碗らくちゃわんを焼いた」(千玄室・裏千家前家元)のを始め、家元好みの道具を作る職人の家も美意識の担い手でした。樂家など「千家せんけ十職じっしょく」と呼ばれる職家しょっかの仕事を紹介します。

千家の歴史などを語る裏千家の前家元・千玄室さん(京都市上京区で)=河村道浩撮影

平安から鎌倉時代にかけて中国から伝わった喫茶法は時代を経て徐々に和様化し、豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休に至って、独自の文化「茶の湯」が大成される。秀吉の命で利休が切腹するという悲劇もあったが、江戸時代には利休の子孫である三千家の家元に茶道具を納める10の職家「千家十職」が京都で技を磨いた。その成り立ちと精神について裏千家の千玄室・前家元(99)に聞いた。

利休 日常の道具に美の用途を見いだす

もてなしの文化として茶の湯を成就しようと考えた時、千利休にとって諸道具全般をどうするかが非常に重大になりました。

書院造りの広間で行われた権威的な茶に用いられたのは天目茶碗ちゃわんのような高価な唐物や高麗物の道具。それらを直ちに否定するのではないが、利休は日常使いされていた日本の道具に新たな美の用途を見いだそうと考えたのです。

陶工の長次郎に利休が「黒い茶碗を作ったらどうだろう」と依頼し、利休と長次郎は試行錯誤の末、わび・さびのくろらく茶碗ちゃわんを生み出します。こうして樂家という作陶の家はできたのです。

ただ千家十職の全てを利休が作ったわけではない。千家に出入りする職家が十になるのは江戸時代中期で、その後も変動があります。

利休切腹の後、復興した千家はここ、京都・小川通に居を構え、千家二代の少庵、三代宗旦が利休のび茶を通して簡素な、究極の美を追い求めました。

宗旦の息子たちの代で千家は三つに分かれますが、職家は三千家のそれぞれに出入りし、家元の注文を受けて道具を作りました。

大西家が茶の湯釜を、また、釜から湯をくむために黒田家が柄杓ひしゃくを、といったふうに必要となる道具を職家が作りました。それは美術工芸品でもある。家元と職家はともにアートクリエイターなのです。

時代が移ると、絵付けを施した華やかな京焼の茶碗も必要になり、永樂家がそれを作ります。残された道具を見ると、その時代時代のあり方が分かります。

茶会記にはその日の茶事に使う茶碗の銘は何で、樂家の誰それのもの、釜は大西家の誰それのもの、と銘や職家の名前などが記してあります。私が若宗匠だった頃、父の茶の弟子だった作家・吉川英治先生が、茶会記のことを「どういうテーマを元に道具を取り合わせたかを描いた立派な文学作品」だとおっしゃいました。それほど道具は重大なのです。

茶道の流派

代表的な存在が千利休に始まる京都の千家だ。利休のひ孫の代に表千家、裏千家、武者小路千家の三千家に分かれた。裏千家の千玄室・前家元は現在、その最長老。三千家以外には、利休の兄弟弟子が流祖の藪内やぶのうち家がある。また、東京には大名、小堀遠州に始まる遠州流などがある。

(2022年9月4日付 読売新聞朝刊より)

◆紡ぐプロジェクト/読売新聞大阪発刊70周年 特別展「京に生きる文化 茶の湯」 
【会期】10月8日(土)~12月4日(日)※会期中、一部の作品は展示替えを行います
【開館時間】午前9時~午後5時30分(金・土曜日は午後8時まで)※入場は閉館の30分前まで
【休館日】月曜日(10月10日は開館、翌11日休館)
【会場】京都国立博物館 平成知新館(京都市東山区)
【主催】京都国立博物館、読売新聞社、文化庁
【観覧料】一般1800円、大学生1200円、高校生700円(前売りは各200円引き)ほか
【問い合わせ】075・525・2473(テレホンサービス)

国宝「桃鳩図」(伝徽宗筆)や国宝「曜変天目」(京都・龍光院蔵)など展示期間の短い作品もあります 出品作・展示期間は公式サイトでチェックを!  https://tsumugu.yomiuri.co.jp/chanoyu2022/

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