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2021.3.15

発祥の地・奈良で知る、鬼がわらわら鬼瓦!?―平城宮いざない館の特別展で日本最古の鬼瓦をチェック

話題の漫画『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著)で鬼に注目が集まっていますが、私たちが暮らす家にも身近な鬼がいます。そう、屋根の上でにらみをきかす鬼瓦の鬼です。

鬼瓦発祥の地は、実は奈良県。奈良時代の都跡である平城宮跡歴史公園の『いざない館』(奈良県奈良市)で開催中の特別展『鬼神乱舞 護る・祓う 鬼瓦の世界 Legend of Exorcism』では、鬼瓦の歴史が一目瞭然です。日本最古の鬼瓦は、“鬼がいない鬼瓦”。また、研究者が「魔女」と呼ぶ鬼瓦も。一体どんな瓦なのでしょうか? 早速見ていきましょう。

とってもユーモラス!「平城宮式鬼瓦」のひとつは、全身像の鬼瓦

鬼と言えば、金棒を手に、虎のパンツをはいた恐ろしい姿をした悪い鬼をイメージしがちです。しかし、古代の鬼瓦にみる鬼の姿は、ちょっと違います。奈良文化財研究所の岩戸晶子主任研究員は、「いわゆる角が生えた般若のような恐ろしい鬼の姿になるのは室町時代から。古代は聖なる獣のイメージです。『鬼神』として風雨を避ける役目とともに、邪を払って災厄から建物を護ってくれていました」と語ります。

『平城宮ⅠA』(平城宮跡出土) 表面が摩滅しているが完全な形で出土した一番古い平城宮式鬼瓦のひとつ(最初の型式)。この鬼神はユーモラスな姿(奈良時代/8世紀)

通常の鬼瓦は、鬼の顔だけデザインされていますが、平城宮跡内から出土した「平城宮式鬼瓦」のひとつ(最初の型式)は 全身像の鬼瓦。蹲踞そんきょという姿勢で、鬼神が相撲取りのようにしゃがんでいます。とてもユーモラスな姿で、上向きにクルンクルンとした巻き毛、ぽっこりとしたお腹、大きな眉に落花生の殻のような形をした眼、口元を見ると歯牙と舌がベローンと出ています。

「中国(北魏)の影響を受けて、顔は動物で身体は人間の姿をした神獣です。朝鮮半島から伝えられた鬼瓦ですが、本家が10~11世紀頃に作るのをやめてしまうのに、日本ではその後も、ものすごいエネルギーを注いで、造形性や芸術性を高めた鬼瓦へと発展させていくんです」と岩戸さんは説明します。

手くるぶしのぐりぐりまで再現 バージョンアップした復元「平城宮式鬼瓦」

平城宮跡では、これまでに文化庁が主体となり、朱雀門すざくもん(1998年竣工)、第一次大極殿だいいちじだいごくでん(2010年竣工)の「復原事業」が行われてきました。その時に葺かれた復元鬼瓦は、完全な姿で出土した瓦を参考に作られたものでしたが、表面が摩滅しており、細部までは分りませんでした。

しかし、令和4年に完成予定の第一次大極殿院南門で葺かれた復元鬼瓦は細部へのこだわりがすごいのです。

平城宮跡から出土した破片瓦から分かった最新研究結果を反映して、平城宮式鬼瓦が復元された
新たに復元され、南門に葺かれた平城宮式鬼瓦。大極殿院から出土する鬼瓦は燻しがかかり、暗い灰色をしているため、色まで見事に再現されている

「古代(7世紀前半~平安時代)は瓦を簡単に大量生産するため、粘土を木型につめて作っていました。破片瓦も参考に、最新の研究成果を反映して、人中じんちゅうという鼻の下のくぼみ、手くるぶしの球状のぐりぐり(突起)まで再現しています」(岩戸さん)

鬼がいない!? 日本最古の鬼瓦と初公開の珍しい鬼瓦

日本の瓦作りは、6世紀末の飛鳥寺造営とともに始まり、百済からその技術が伝えられました。鬼瓦は、瓦葺きの屋根の端などに設置される装飾性のある瓦のこと。棟の端から雨が入り込まないよう塞ぐ機能を持っています。そのため、その装飾は、鬼とは限りません。

鬼瓦は、その機能から「棟端飾瓦(むねはしかざりがわら)」と呼ばれると説明する岩戸主任研究員

現存する最古の鬼瓦は、聖徳太子が造営した斑鳩寺(若草伽藍)で使用された『複数ふくすう蓮華文れんげもん鬼瓦』。鬼ではなく、蓮の花デザインです。他にも藤原宮跡から出土した『重弧文じゅうこもん鬼瓦』は、瓦の輪郭にあわせて弓なりの三重線が表された幾何学紋。このように、飛鳥時代の鬼瓦には、鬼がいませんでした。

日本における現存最古の鬼瓦は手彫りでコンパス・定規を使用した幾何学紋の蓮の花で、鬼はいない。法隆寺若草伽藍から出土した『複数蓮華文鬼瓦』(飛鳥時代/7世紀)

そして、8世紀初頭に平城宮造営がスタートします。天皇が国家の大礼を行なった大極殿だいごくでんなど重要な建物の屋根に、先ほど紹介した鬼神の鬼瓦が採用されました。奈良時代は後に続いていく鬼瓦の基礎を築いた時代と言えます。

平城宮跡から出土した様々な鬼瓦。小ぶりなものは築地壁などを飾ったと思われる。この時代は、木型に入れ大量生産で作られたので平たいのが特徴という

しかし、平城宮跡でも鬼のいない鬼瓦は出土しています。鳳凰紋や唐草文様の一種で、架空の5弁花の植物を組み合わせた「宝相華ほうそうげ紋」、更には模様のない「無紋」の鬼瓦まで。これらは、本展が初公開という貴重な鬼瓦です。

珍しいものでは、光明皇后が総国分尼寺として創建した法華寺ほっけじ(奈良市)の近くで出土した、3種の釉薬をかけて焼いた格調高い『三彩』の鬼瓦もあります。

鳳凰紋の鬼瓦
本展が初公開の無紋の鬼瓦
珍しい三彩の鬼瓦
研究者が『魔女』と呼ぶ鬼瓦も 法隆寺で奈良~江戸の流行を知る

約1400年もの歴史を持つ法隆寺は、改修や新築のたび、再利用できる鬼瓦は残し、現代まで伝えてきました。古いものでは、平安時代唯一の鬼瓦が法隆寺夢殿の屋根の上でいまだ現役なのだとか! 法隆寺の瓦から中世以降、鬼瓦がどのように発展していったのか、そして各時代の流行を学んでいきましょう。

法隆寺は、飛鳥時代~江戸時代までの瓦が見られる日本唯一の寺院で「鬼瓦の聖地」。日本の鬼瓦の発展の様子(写真は鎌倉時代から室町時代のもの)

「鎌倉時代の法隆寺では豚のような上向きの鼻の鬼瓦が流行しました。この頃から手作りで一点一点がオーダーメイドの鬼瓦になります。この頃は、まだ小学生の工作レベルであまり上手ではありませんが(笑) 室町時代から急にレベルが上がり、凄みのあるリアルな表現になります」と岩戸さん。

劇的に変わった理由は、「鬼師」と呼ばれる鬼瓦専門の職人集団が独立したため。法隆寺では橘国重(寿王三郎)といった優秀な瓦職人を輩出する橘一族が活躍した時代でもありました。この鎌倉・室町期に、立体的で輪郭が台形の鬼瓦の形が完成したのです。

室町時代に活躍した鬼師(鬼瓦職人)・橘国重が作った鬼瓦。脚に「五十二ノト 寿王(花押)」「タチハナ国重(花押)」の銘

室町時代にピークを迎えた鬼瓦。実際に屋根の上にあるときは、横向きから間近に見ることはできませんが、会場で見ると血管が浮き上がっているのも分かるほどリアルな迫力です。

現存する法隆寺の鬼瓦の中で最大級のもの。法隆寺金堂の昭和の大修理の時に役目を終えた(室町時代/15世紀)

近世以降は呪術性より、装飾的な造形美に重点が置かれ、顔が後退して脚部が大きく長くなります。寺院の庫裡くり(僧侶の居住する場所)などの屋根には、鬼神よりも家紋や唐獅子、宝珠など動植物紋様の鬼瓦が多く使われ、より自由な造形がおこなわれるようになりました。なかには、奈良文化財研究所の皆さんが「魔女」とあだ名を付けた巨大な鷲鼻で髪の毛を真ん中分けした「これは本当に鬼なのか!?」という鬼瓦も。

研究員たちが「魔女」とあだ名をつけた法隆寺五重塔を飾った鬼瓦(江戸時代前期)。「なぜ、こんな形にしたのかまったく分からないですが、面白いでしょう」と考古第三研究室長の今井晃樹さん

古代に神獣だった鬼神は、仏教的な背景から、地獄の鬼の要素が加わって室町時代に恐ろしい鬼になり、社会の中での意味も変わっていきました。しかし、鬼瓦の鬼神達は、私達を護ってくれる善い鬼。コロナ禍中の今、「疫病退散」で厄除け・難除けの存在として、改めて注目してみてはいかがでしょうか?

「本展は3つの初めてがある、奈良ならではの展覧会」と説明する奈良文化財研究所・考古第三研究室長の今井晃樹さん(左)と主任研究員の岩戸晶子さん

第一次大極殿院南門復原整備工事記念特別展「鬼神乱舞 ―護る・祓う 鬼瓦の世界― Legend of Exorcism」

会期:~2021年3月28日(日)
時間:10時~18時
場所:平城宮いざない館 企画展示室
住所:奈良県奈良市二条大路南3丁目5−1
料金:無料
URL:https://www.heijo-park.go.jp/event/onigawarawara/

いずみゆか

プロフィール

ライター

いずみゆか

奈良大学文化財学科保存科学専攻卒。航空会社から美術館勤務を経て、フリーランスライターに。関西のニュースサイトで主に奈良エリアを担当し、展覧会レポートや寺社、文化財関連のニュースなど幅広く取材を行っている。旅行ガイド制作にも携わる。最近気になるテーマは日本文化を裏で支える文化財保存業界や、近年復興を遂げた奈良県内の寺院で、地道に取材を継続中。

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