話題の漫画『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著)で鬼に注目が集まっていますが、私たちが暮らす家にも身近な鬼がいます。そう、屋根の上で
鬼瓦発祥の地は、実は奈良県。奈良時代の都跡である平城宮跡歴史公園の『いざない館』(奈良県奈良市)で開催中の特別展『鬼神乱舞 護る・祓う 鬼瓦の世界 Legend of Exorcism』では、鬼瓦の歴史が一目瞭然です。日本最古の鬼瓦は、“鬼がいない鬼瓦”。また、研究者が「魔女」と呼ぶ鬼瓦も。一体どんな瓦なのでしょうか? 早速見ていきましょう。
鬼と言えば、金棒を手に、虎のパンツをはいた恐ろしい姿をした悪い鬼をイメージしがちです。しかし、古代の鬼瓦にみる鬼の姿は、ちょっと違います。奈良文化財研究所の岩戸晶子主任研究員は、「いわゆる角が生えた般若のような恐ろしい鬼の姿になるのは室町時代から。古代は聖なる獣のイメージです。『鬼神』として風雨を避ける役目とともに、邪を払って災厄から建物を護ってくれていました」と語ります。
通常の鬼瓦は、鬼の顔だけデザインされていますが、平城宮跡内から出土した「平城宮式鬼瓦」のひとつ(最初の型式)は 全身像の鬼瓦。
「中国(北魏)の影響を受けて、顔は動物で身体は人間の姿をした神獣です。朝鮮半島から伝えられた鬼瓦ですが、本家が10~11世紀頃に作るのをやめてしまうのに、日本ではその後も、ものすごいエネルギーを注いで、造形性や芸術性を高めた鬼瓦へと発展させていくんです」と岩戸さんは説明します。
平城宮跡では、これまでに文化庁が主体となり、
しかし、令和4年に完成予定の第一次大極殿院南門で葺かれた復元鬼瓦は細部へのこだわりがすごいのです。
「古代(7世紀前半~平安時代)は瓦を簡単に大量生産するため、粘土を木型につめて作っていました。破片瓦も参考に、最新の研究成果を反映して、
日本の瓦作りは、6世紀末の飛鳥寺造営とともに始まり、百済からその技術が伝えられました。鬼瓦は、瓦葺きの屋根の端などに設置される装飾性のある瓦のこと。棟の端から雨が入り込まないよう塞ぐ機能を持っています。そのため、その装飾は、鬼とは限りません。
現存する最古の鬼瓦は、聖徳太子が造営した斑鳩寺(若草伽藍)で使用された『
そして、8世紀初頭に平城宮造営がスタートします。天皇が国家の大礼を行なった
しかし、平城宮跡でも鬼のいない鬼瓦は出土しています。鳳凰紋や唐草文様の一種で、架空の5弁花の植物を組み合わせた「
珍しいものでは、光明皇后が総国分尼寺として創建した
約1400年もの歴史を持つ法隆寺は、改修や新築のたび、再利用できる鬼瓦は残し、現代まで伝えてきました。古いものでは、平安時代唯一の鬼瓦が法隆寺夢殿の屋根の上でいまだ現役なのだとか! 法隆寺の瓦から中世以降、鬼瓦がどのように発展していったのか、そして各時代の流行を学んでいきましょう。
「鎌倉時代の法隆寺では豚のような上向きの鼻の鬼瓦が流行しました。この頃から手作りで一点一点がオーダーメイドの鬼瓦になります。この頃は、まだ小学生の工作レベルであまり上手ではありませんが(笑) 室町時代から急にレベルが上がり、凄みのあるリアルな表現になります」と岩戸さん。
劇的に変わった理由は、「鬼師」と呼ばれる鬼瓦専門の職人集団が独立したため。法隆寺では橘国重(寿王三郎)といった優秀な瓦職人を輩出する橘一族が活躍した時代でもありました。この鎌倉・室町期に、立体的で輪郭が台形の鬼瓦の形が完成したのです。
室町時代にピークを迎えた鬼瓦。実際に屋根の上にあるときは、横向きから間近に見ることはできませんが、会場で見ると血管が浮き上がっているのも分かるほどリアルな迫力です。
近世以降は呪術性より、装飾的な造形美に重点が置かれ、顔が後退して脚部が大きく長くなります。寺院の
古代に神獣だった鬼神は、仏教的な背景から、地獄の鬼の要素が加わって室町時代に恐ろしい鬼になり、社会の中での意味も変わっていきました。しかし、鬼瓦の鬼神達は、私達を護ってくれる善い鬼。コロナ禍中の今、「疫病退散」で厄除け・難除けの存在として、改めて注目してみてはいかがでしょうか?
会期:~2021年3月28日(日)
時間:10時~18時
場所:平城宮いざない館 企画展示室
住所:奈良県奈良市二条大路南3丁目5−1
料金:無料
URL:https://www.heijo-park.go.jp/event/onigawarawara/
プロフィール
ライター
いずみゆか
奈良大学文化財学科保存科学専攻卒。航空会社から美術館勤務を経て、フリーランスライターに。関西のニュースサイトで主に奈良エリアを担当し、展覧会レポートや寺社、文化財関連のニュースなど幅広く取材を行っている。旅行ガイド制作にも携わる。最近気になるテーマは日本文化を裏で支える文化財保存業界や、近年復興を遂げた奈良県内の寺院で、地道に取材を継続中。
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