「バケモノの子」「未来のミライ」などのヒット作を手がけるアニメーション映画監督の細田守さんに、国宝「
阿弥陀 二十五菩薩 来迎図 (早 来迎)」の運動表現について語ってもらった。
来迎図には阿弥陀如来を正面から描いたものもあるが、横位置から描いた方がより、速さを感じられる。特に印象的なのは、阿弥陀如来の頭の上にある雲の形。一回ギュッとたまってからヒュッと流れるところからは、勢いが伝わってくる。
阿弥陀如来の足元にたちこめている雲だけではなくて、上部の雲、往生者の近くまで続く長い雲など、全体のフォルムとしても美しい。当時は流線形の知識などなかっただろうが、風の流れが翼のようになっており、説得力がある。
早来迎が描かれた中世では、生と死が身近だった。死んだら極楽にいけるということが救いだったろう。人はいつ、どんなふうに死ぬかわからない。死に際して、自分の家のすぐ近くまで、早く来てくれるというのは安心感につながっていたのではないだろうか。
念仏を唱えるだけでなく、極楽のすばらしさを具体的にイメージできるよう、絵画で伝えるのは大事なこと。音楽を奏でる菩薩も、にぎやかさを表したものだろう。右上には、往生者を迎えた後に連れて行くと思わせる楼閣も描かれている。アニメーションのようにコマ割りにするのではなく、ひとつの絵のなかに時間の経緯が描かれているのも、日本美術の特徴の一つだ。
アニメーション映画は、映画の歴史の中の一分野ではなく、絵画の歴史の中の一分野だと思っている。日本美術は1000年以上の歴史を持っている。仏の輪郭に朱色を用いた仏画の手法で日常とは違う世界を描くなど、自分の映画で取り入れていることも多い。その上で、さらに新しい表現ができないか、常に挑戦している。
映画「時をかける少女」は、「絵画を媒介にして時間を飛び越える」視点で描いた。絵画の修理に携わる主人公の叔母も登場する。芸術作品は、人が昔からどう生き、何を願い、現代に至っているかを表している証拠みたいなもの。その歴史の積み重ねの上に、僕らは生きている。
何かを美しいと感じるのは、早来迎の時代から、否、もっと前から引き継がれている。日本の美術品は丈夫ではない。定期的に修理を繰り返しながら、次の世代に伝えていくのは、非常に重要なことだと思う。(談)
(2020年5月3日付読売新聞朝刊より掲載)
0%