2021年は聖徳太子が亡くなって1400年の「御遠忌」。太子の命日とされる旧暦の2月22日には、ゆかりの寺々で何世紀にもわたり、太子の遺徳をしのぶ命日法要が行われてきた。
太子が創建した奈良県斑鳩町の法隆寺でも、1か月遅れとなる3月22日に毎年「お会式 (小会式) 」を営んでいる。極楽浄土をイメージした大きな供物がささげられ、僧侶らが1か月もかけて準備をするという。長い伝統を経て今に伝えられた「お会式」は、どのようなものなのだろう。普段は公開していない準備風景から前夜の法要、そして当日の様子まで、特別に取材をさせてもらった。
法隆寺の西院伽藍にある「聖霊院」では室町時代以来、毎年供物を供えてお会式を行っているという。この日は本尊の聖徳太子および侍者像(国宝)が特別に開帳される。
太子像は保安2年(1121年)に開眼された等身大のお像で、その右の厨子には太子の異母弟である卒末呂王、太子の仏教の師である高句麗僧の恵慈法師、左には太子の長子である山背大兄王と太子の異母弟の殖栗王がまつられている。
だが、お堂を訪れた参拝者がそのお姿を見ることは困難だろう。なぜなら、聖徳太子に捧げられる供物があまりにも大きく高く、奧を見渡すことが難しいからだ。
お会式では、像の前に「花形壇」が置かれ、その上には三宝に豆などを高く積み上げた様々な供物が並ぶ。壇の両端には、高さ2.5メートルほどの巨大な「大山立」と呼ばれる、タワーのようなお供物が並ぶ。中世の伝統を伝えているとされるこれら独特の形の供物は、すべて僧侶や関係者らが1か月ほどかけて手作りする伝統になっている。
今年の準備は、2月26日から始まった。青豆3合、ぎんなん1キロ、強力粉や米粉などの材料が次々に寺へと運ばれ、僧侶らが準備に取りかかる。担当する録事の大野玄道さんは「太子にお供えするものなので、材料はすべて食べ物です。法要が終わると、信者の皆さまにお配りするものもあります」と話す。
壇上の三宝に載った供物作りは、「若手の登竜門」なのだという。カヤの実やぎんなんは、ぬかで円筒形に土台を作ってフノリを使い隙間無く埋めていく。「ネコ耳」「ネズミ耳」と呼ばれる白い団子は、1500個ほどを小麦粉で作り、積み上げていくという。「根気強さと丁寧さが必要なんですよ」。三輪そうめん、クワイ、ホオズキ、紅白寒天など、三宝に載った供物は「五杯御膳」「十三杯御膳」と呼ばれ、さらに「重ね餅」と「お仏飯」の計20種類が、壇上に供えられる。
一方、ベテランの僧侶らが取りかかっているのは、「大山立」作り。大山立は、ミカンや餅、米粉を揚げた菓子「柿揚」などで飾り、団子で作った花をあしらい、鳳凰やツバメが頂上を飛び交う。世界の中心にそびえるとされる「須弥山」をイメージした供物だ。
大山立を団子の材料は米粉で、臼でついて餅状にしたものを手でこねて、花や鳥の形にしていく。鳳凰とツバメは全部で174羽。寺に伝わる木の「鳥形」を使って型をとり、小刀で切り抜いていく。今使っている鳥形は、江戸時代に作られたもので、右向きや口を開いた状態など、5種類作るのだという。流れ作業で、どんどん鳥が作られていく。
一晩おいて乾かすと、今度は仕上げの色塗りだ。食紅など菓子作りに使う染料、赤、黄、緑を刷毛を使って鳥に塗っていく。試しに刷毛を持たせてもらったが、立体的な鳥に羽を描くのはなかなか難しく、手慣れた僧侶らのスピードにはかなわない。鮮やかな鳳凰とツバメが、あっという間にできあがった。「色が乾くと1.5メートルほどの竹串を刺して頂上につきたて、堂内を飛んでいるかのように飾ります」と大野さんが言う。
台所から、菜種油の香ばしい香りが漂ってくる。大山立に使う「柿揚」作りだ。米粉を水と醤油、酒などで溶いたものを円形の鍋に入れ、弱火で20分、強火で10分揚げていく。途中、真ん中に干し柿を入れる。全部で36個作るのだという。試作品を一口いただくと、さっくりとしたドーナツのような感触に、しょうゆ味のしょっぱさが広がる。「揚げたては香ばしいので、好物だという方もいますよ」と担当者が教えてくれた。
こうして作られた供物は聖霊院に運び込まれ、本番直前の3月20日にいよいよ組み立てが始まった。組み立ては一日がかりで、僧侶らによって進められた。大山立の側面に、餅、ミカン、柿揚が積まれ、山頂部分にはマツの葉が敷かれ、花の形の団子が飾られる。最後に鳥の串を刺して、組み立ては完了。今年のお供物作りも無事に終わり、お会式本番を待つのみだ。
お会式の前夜、3月21日の午後6時からは「お逮夜法要」が営まれる。聖霊院の入り口には提灯が灯され、五色の幕が張り巡らされたお堂が闇の中にぼんやりと浮かび上がり、どこか幻想的だ。
お堂の中は、ろうそくの灯のみ。手元のカメラのスイッチも見えないほどの闇の中で、南都楽所によって、笙や篳篥の雅楽の演奏が始まり、厳かな気分に包まれる。やがて古谷正覚管長ら僧侶が堂内に姿を現した。雅楽の優美な音と、衣擦れの音が堂内に響き、まるで中世にタイムスリップしたかのような気分になる。
経文などに旋律をつけた「声明」を唱え、紙製のハスの花びらをまく「散華」に始まり、導師役の古谷管長が太子の事績を述べる「太子講式」を奉読する。耳を澄ませていると、法隆寺の建立や憲法十七条の制定したことなどが述べられている。
続いて、堂の奧から鞨鼓が持ち出され、僧侶が桴で打ち、「太子和讃」が始まった。仏教歌謡のひとつで、太子の遺徳をたたえる内容だ。「仏法祟る願をたて 四天の像を戴きて 守屋が軍を討て後 精舎を所々に建たまふ」など、丁未の乱(587年)の際に、太子が戦勝祈願のため四天王をまつり、その加護で物部守屋を打ち破ったとされるエピソードなども盛り込まれている。ところどころ裏声で唱えられる独特の節回しで、荘厳さが際立った。
お会式は、22日の午後1時から始まった。前夜の雨模様から一転、晴れ間が広がり、「雨が上がってよかった」という声が寺内で交わされている。例年は一般の参拝客も参列できるが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、関係者のみで執り行った。それでも、熱心な参拝者数人がお堂の前に集まっており、幕の隙間から参拝していた。
お堂の中に、かごに入った野菜が並べられている。お会式の寄進者からの供物なのだという。昨夜は暗くて気づかなかったが、「花形壇」のお供物は赤、黄、緑、白と彩り豊かで、その豪華さに目を見張る。堂の天井まで伸びる大山立、頭上を飛び交うよう鳳凰は迫力がある。
法要は前夜と似た次第だが、当日は出仕する僧侶、南都楽所の楽員らの数も増えて、迫力が増していた。「唄」、「散華」から始まり、太子の業績や徳をたたえる「太子講式」と続くと、この日は仏の徳をたたえる「訓伽陀」が唱えられた。これも仏教歌謡のひとつで、時折裏声が使われる。
最後は、鞨鼓が再び登場し、「太子和讃」で締めくくられる。和讃の「本節」と呼ばれる独特の節回しは、お会式の時のみ用いられるのだという。
1400年遠忌という節目の年のお会式だったが、出仕した僧侶は「毎年心を込めて祈っているので、今年は特別にというのはありません」と話す。「太子様は我々の原点である仏教を広められた。そのご功績をしのび、お参りさせていただいている。代々、先達から引き継ぎやっていることです」。1401年に向けて、伝統が引き継がれていく。
法隆寺ではお会式に加えて、10年に1度、大規模な法会である「聖霊会」も営んでいる。1400年である2021年は「御聖諱法要」として、4月3日から5日に営むことを発表している。
(取材・撮影 読売新聞デジタルコンテンツ部 澤野未来)
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