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2021.4.23

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 3-上 柿澤香穂さん(德川記念財団学芸員) 

白隠慧鶴「楊柳観音図」

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回お話をうかがったのは、德川記念財団(東京都渋谷区)の柿澤香穂学芸員です。紹介してくださるのは、白隠慧鶴はくいんえかくの「楊柳ようりゅう観音図」(東京国立博物館)。白隠を身近に感じて育ったという柿澤さんに、その奥深い魅力をうかがいました。柿澤さんのお話は、「好きを仕事に」と頑張る若い世代へのエールにもなると思います。

久能山東照宮博物館外観(同館提供)
達磨図との出会い

私は白隠にゆかりの深い土地で育ちました。白隠が江戸時代に住職をしていたのは、駿河国原宿(静岡県沼津市原)の禅寺・松蔭寺しょういんじですが、叔父がその近隣の寺の住職だったのです。そして、私の故郷、興津(静岡市清水区)には、清見寺せいけんじという大きなお寺があります。日本美術には「富士三保清見寺図」という伝統的な画題があるのですが、それは、富士山、三保の松原、清見寺をセットで描いたものです。

清見寺には白隠の有名な「達磨だるま図」が伝わっており、毎年1月3日に行われる「大般若だいはんにゃ祈祷きとう法要」の際に、お堂のなかにかけられます。子どもの頃は毎年、祖父母とその法要に行っていました。

達磨の上半身を描いた、縦1メートル32センチもある絵で、大きな顔がドーンと、すごい迫力です。もちろん、美術館のようにガラスケース越しではなく、じかに見ることができます。最初は怖かったのですが、だんだん慣れてきて、お正月は、白隠さんの達磨さんに会いに行くのが楽しみでした(笑)。

2018年に静岡市美術館で「駿河の白隠さん」という展覧会が開催されましたが、地元では親しみを込めて、「さん」付けで呼ばれています。私も、祖父母のまねをして、自然にそう呼んでいましたね。

白隠は、生涯に5000点とも1万点ともいわれるほどの膨大な数の書画を描き、特に達磨と観音の絵は、数多く伝わっています。難解な禅宗の思想を、民衆にわかりやすく伝える手段として、そして、自らの修行として、膨大な数の書画を揮毫きごうしたのだと思います。

これほどの数を制作して、しかも、若い頃の作品にはいわゆる上手な絵もありますが、どのように画技を身につけたのか、誰に絵を学んだのかはわかっていません。現在残っている作品の落款などから考えて、本格的に描き始めたのは60代以降といわれます。清見寺の「達磨図」は、最晩年、83歳の作品です。白隠が描いた達磨は年々、眼力めぢからが強くなっていったように思うのですが、この作品もすさまじい眼力で、見る者を叱咤しった激励するというか、一度見たら忘れられないと思います。

【白隠慧鶴(はくいん・えかく)】江戸時代中期、禅宗のひとつ、臨済宗の高僧。臨済禅の中興を成し遂げ、広く民衆に禅を広めた。貞享じょうきょう2年(1685年)、駿河国駿東すんとう郡原宿(現・静岡県沼津市原)に生まれ、15歳で郷里の松蔭寺で出家。各地の寺で修行し、信濃飯山(現・長野県)の正受しょうじゅ庵の道鏡慧端どうきょうえたん(正受老人)の法を継ぐ。京都・妙心寺第一座となる。32歳で松蔭寺に戻り、寺を復興。病になり、京都の隠者・白幽子はくゆうしから内観修養の法を授かって完治し、その体験を「夜船閑話やせんかんな」に記す。諸国を遊歴して、東嶺円慈とうれいえんじらの弟子を育てた。隻手音声せきしゅおんじょう(片手で鳴らす音を心耳しんにで聞く)の公案(悟りを得るために考えさせる問題)をもって学徒の指導をしたことは有名。「槐安国語かいあんこくご」など本格的な禅書や、「遠羅天釜おらてがま」など仮名交じりで平易に禅を説いたものなど多数の書物を残した。60代以降、達磨や観音を始めとする書画を数多く揮毫した。明和5年(1768年)、84歳没。

白隠筆「楊柳観音図」
江戸時代・18世紀
(東京国立博物館)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
42字のお経

―「楊柳観音図」にはどのような思い入れがありますか?

祖母は熱心な仏教徒で、毎朝、仏壇で、そらでお経を唱えていました。子どもだった私は、「自分も暗記できたらかっこいいな」と思って(笑)。臨済宗の檀家だんかに配られる、日課として唱えるお経をまとめた聖典を読んで、一生懸命覚えました。

「楊柳観音図」には、観音の絵とともに、賛文さんぶんが書き込まれています。この賛文が実は、私が聖典で覚えたお経のひとつ、「十句観音経じっくかんのんぎょう」なので、初めて見たとき、とても親しみを感じました。

42字しかない短いお経で、左から右へと書かれています。左端に賛文の始まりであることを示す「顧鑑咦こかんい」の関防印かんぼうのいんが押されており、末尾に「白隠」と「慧鶴」の落款印が二つ押されています。内容は、「私は観音様に帰依します」、「毎日、朝な夕な観音様を念じます」というもので、このお経を、繰り返し唱えれば良いことがある、と信仰されてきました。

白隠は、民衆にこのお経を唱えることを推奨していたようです。白隠の自著「延命十句観音経霊験記」に、「このお経を唱え続けたら、こんな良いことが起きた」という功徳や、このお経が広まった経緯などを書きました。

白隠とともに年を重ねる観音像

白隠の一番弟子の東嶺円慈が、白隠の生涯を記した年譜が伝わっているのですが、その61歳の項目に、それ以降、白隠が「十句観音経」を広めていったことが書いてあります。実際、現在残っている白隠の観音図は、いずれも60代以降の作で、なかでもこの「楊柳観音図」は、60代前半、最初期の作といわれます。

この観音の姿は若々しい感じがしますよね。白隠の作品を制作年代順で並べると、面白いことに、白隠が年を重ねるごとに、白隠の描いた観音や達磨の姿もどんどん年をとっていったのです(笑)。60代の作品は、筆致が繊細で、なかには、手本を見ながら描いたのではと思わせるものもあるのですが、徐々に自分の画風を確立していき、晩年は作品に重厚感が増して、貫禄がでてきます。

白隠書画が発するオーラ

白隠画の真骨頂といわれるのは、最晩年、80代の作品です。私が子どもの頃に見ていた清見寺の「達磨図」もそのひとつです。静岡市美術館の展覧会「駿河の白隠さん」では、最後の展示室に80代の作品が並んだのですが、本当に圧巻でした。

白隠の絵は、美的に楽しむためというよりも、賛と絵の両方を通して強く訴えかけるために描かれたものです。見ていると、心に訴えかけてくるような、とてつもない力が感じられ、それと同時に、作品が発するオーラに打ちのめされる感じもします。白隠の強い思いを理解しきれていない自分をもどかしく感じるためかもしれません。

白隠の研究はまだ歴史が浅いのですが、初めて白隠の画風展開を分析し、約500点もの作品図版を収録したカタログ・レゾネともいえる、竹内尚次著「白隠」(1964年)にも「楊柳観音図」が掲載されています。そこに、かつての所有者として、植松氏の名前が記されています。植松家は松蔭寺の近くに住み、3世代にわたって白隠を支えた在家居士でした。そうした来歴がわかる点でも貴重な作品です。

あらゆる人に教えを広げたい一心

―白隠はどこで書画を制作していたのでしょうか?

「○○の法要の時に記した」などと書き込まれた作品も伝わっていますので、全国各地のお寺をまわって説法を行い、その場で絵や書をかいて、集まった民衆に手渡していたのではないかと思います。特に晩年の法話には多くの人々が集まったようです。光増寺(静岡県)に伝来している白隠自筆の墨跡「中宝山折床会拙語」には、明和4年、白隠83歳の時に行った法話を聴きに人々がありのごとく集まり、方丈は人であふれかえり、一瞬で床が抜け落ちてしまった、と記されています。

白隠の絵には、下書きの線が残っていることもあります。線が残るのも構わず、勢いよく描いていったのでしょう。それがかえって、達磨図などの顔を立体的に見せたり、不思議な空気感を生んだりしています。特に、斜め横向きの達磨像「半身達磨」は、繰り返し描いて定型化していった図像なので、迷いなく描いたことが筆致からうかがえます。その場で描いて、ある意味、御朱印のように教徒に配っていたのだろうと思います。

白隠の作品は、お寺だけでなく、地元の静岡や、行脚してまわった各地の庶民の家にも伝来しています。膨大な量が伝わっていますから、代表者だけではなく、一般の参列者にも渡していたのだと思います。あらゆる人に教えを広げたい一心だったのでしょう。

◇ ◇ ◇

柿澤香穂・ 德川記念財団学芸員 (鮫島圭代筆)

「白隠さん」と親しんで育った思い出や、「楊柳観音図」の魅力、作品から伝わる白隠の強い思いについて語ってくださった柿澤さん。次回は、白隠の研究に至るまでの紆余うよ曲折や、美術の楽しみ方、学芸員としての夢などをうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳 vol. 3-下 に続く

【柿澤 香穂(かきざわ・かほ)】生まれは東京都(1995年)、育ちは静岡県。青山学院大学文学部比較芸術学科卒。2019年、早稲田大学大学院文学研究科(美術史学コース)修士課程修了。東京都美術館勤務(2018~20年)を経て、20年より、德川記念財団学芸員。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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