特別展「聖徳太子と法隆寺」が東京国立博物館で7月13日から9月5日まで開かれている。
前期(7月13日~8月9日)、後期(8月11日~9月5日)で一部の作品が展示替えされる。今回の記事では前期のみに出品されるものをピックアップして紹介する。
前期のみの展示で最も注目される作品のひとつが国宝「天寿国繡帳」(奈良・中宮寺蔵)だ。
推古天皇30年(622年)頃に作られた刺繡で、伝世品として日本最古の染織作品。
聖徳太子が亡くなった後、妃の一人であった橘大郎女が、太子が往生した天寿国を見たいと願い出て、推古天皇の命によって作られた2帳の帷(カーテン)である。渡来人の工人たちが下絵を描き、天皇に仕える女官(采女)たちが刺繍として完成させたとされる。すでに多くが失われ、断片化しているが、さまざまな断片をつなぎ合わせて額装したものが、今回展示されている。
展覧会を担当する東京国立博物館主任研究員の三田覚之さんに、見るポイントを聞いた。
一つは、亀の甲羅に刺繡された四つの漢字だ。展示されている作品中にも、四つの亀が見える。
もともと100個の亀甲形が配され、それぞれ4字ずつ、計400文字が記されていた。ここで見ることができる文字は「部間人公」だ。聖徳太子の母の穴穂部間人皇女のこと。
なぜそれが分かるかというと、400文字の刺繡は現存していないが、なにが書かれていたかは、今展の後期に出品される聖徳太子の伝記史料集である国宝『上宮聖徳法王帝説』(京都・知恩院蔵)によって復元ができるからだという。
もう一つのポイントは、左上の「月のウサギ」である。
三田さんによると、月にウサギが描かれた日本で最古のデザインとのこと。
2匹のウサギが餅をつく、現代の日本人におなじみのモチーフとは少し異なっている。左側にウサギが1匹、中央下に花瓶のようなもの、右側は植物だ。
実は、これは漢方薬をウサギが作っている姿なのだという。
右の植物は桂で、花瓶のような形の壺に皮をいれて、ウサギが今でも漢方薬として有名なケイヒ (桂皮)を作っている――。
もともと日本に入ってきた月のウサギの原点の姿だが、時がたつにつれて、ウサギが餅をついている形に変わっていったと、三田さんは説明する。
聖徳太子の遺徳をしのび、たたえる法要を「聖霊会」と言う。聖徳太子信仰の核となる行事で、法隆寺では毎年3日間行われる「小会式(お会式)」のほかに、10年ごとに行われる「大会式」がある。
1400年遠忌にあたる今年は、特別な「大会式」が行われた。
大会式では、南無仏舎利と聖徳太子坐像(伝七歳像)が、八部衆の面をつけた従者に担がれた舎利御輿と聖皇御輿に乗せられて、東院伽藍から、西院の大講堂まで運ばれ、法会や舞楽が催される。
舎利御輿(室町時代 15~16世紀、奈良・法隆寺)は、行列の先頭を行く獅子頭と蠅払、輿を担ぐ八部衆の行道面に囲まれて展示され、盛大な行道の様子が目に浮かぶ。
八部衆はもともとインドの神々で、仏教に取り入れられ守護神となった。法隆寺には、平安時代に作られた8面のうち、6面が伝来する。沙羯羅、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅と呼ばれ、いずれも重要文化財。緊那羅には、保延4年(1138年)の銘がある。現在、使われているのは大正時代に新たに作られたもの。
三田さんは「例えば阿修羅は顔が3面あるが、面として付けるので両側の顔は幅が狭くなり、それが特徴的なので、ぜひ正面だけでなく左右からも鑑賞してほしい」と見どころを話す。
そのほかの前期展示のみの主な作品を、コーナーごとに紹介する。
旧一万円札をはじめ、聖徳太子のイメージで印象に強いのが、両手で持つ「牙笏」。
日本製としては最古級とみられる金銅仏。
法隆寺の創建コーナー
通期展示される国宝「灌頂幡」には、金銅製の本体の下に、長く垂れた吹き流しがつけられて全長10メートルをこえたとみられている。その吹き流しだったとみられるのが、「繍仏裂」だ。双方がそろって同じエリアで展示されるのは前期だけとなる。
国宝「竜首水瓶」は、ササン朝ペルシャの器形を伝える。竜の頭をかたどった注ぎ口は、一本角を付ける。竜は中国の霊獣であり、ペルシャ製の水差しをモデルに、中国風にアレンジしたと考えられる。 文様表現や技法などから日本製と考えられている。
伎楽面は、奈良会場では、「師子児」と「迦楼羅」が展示されていたが、東京会場では、「崑崙」と「呉女」(いずれも重要文化財)が展示される。法隆寺伝来の伎楽面は、東京国立博物館に31面、法隆寺に1面が残る。伎楽の筋書きのなかでは、崑崙は、呉女に言い寄り力士に懲らしめられるという役を演じる。
国宝「卓」は、聖霊院に伝わり、法具などを安置するなどして使われたという。螺鈿が施され、鷺脚と称される4脚を持つ、漆塗りの木製の優美な机だ。
重要文化財「七大寺巡礼私記」(鎌倉時代<13世紀>、奈良・法隆寺蔵)は、 平安時代の貴族が南都を巡礼した体験をもとに、さまざまな書物を参照して編集した記録書。鎌倉時代の写本だが、これ以外に全く伝本がなく、本書の内容を伝える唯一のもの。法隆寺について、太子の生涯を参詣者に強く意識させる舞台が平安時代にすでに用意されていたことを物語る記載がある。
法隆寺東院とその宝物コーナー
国宝「細字法華経 附 経筒」は聖徳太子ゆかりの品として、光明皇后が法隆寺東院に献納した経巻と考えられている。
重要文化財「蓮池図屏風」はかつて東院舎利殿の仏壇後壁背面にはめ込まれていたと考えられる作品で、現在は2曲の屏風に仕立てられている。ちなみにこの仏壇正面に安置される厨子には、後期展示の「聖徳太子勝鬘経講讃図」が掲げられていたと考えられている。
重要文化財「文王呂尚・商山四皓図屏風」も、もとは舎利殿の内陣内壁を飾っていた障子絵。前期は文王呂尚図が、後期は商山四皓図が展示される。
(後日、後期の展示を中心にした後編を公開します)
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(読売新聞デジタルコンテンツ部編)
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