特別展「聖徳太子と法隆寺」が7月13日から東京国立博物館で始まる。同展に出品される国宝23件をコーナーごとに紹介する。前期(7月13日~8月9日)・後期(8月11日~9月5日)のみ展示される作品もあるので、ぜひ複数回訪れてみてほしい。
最初の部屋は、「聖徳太子と仏法興隆」。聖徳太子ゆかりの品々を通じて、太子が生きた時代を実感できるコーナーだ。
この中で、国宝は4件。
聖徳太子遺愛の文房具として伝わるのが、国宝「墨床」、国宝「水注」、国宝「匙」の3件だ。
墨床は、すりかけの墨を置く台。水注は、水滴ともいい、水をすずりに注ぐための道具。3本の匙は、伝来では水注から水をすくい、すずりに入れる文房具だが、現代のコーヒースプーンのようなコンパクトさ。なお、一緒に展示されている重要文化財「陶硯」(東京国立博物館蔵<法隆寺献納宝物>)と合わせて、4件が太子遺愛品として伝来した。
では、聖徳太子がこれらの文房具で書いたものはなにか?
法華経の注釈書である「御物 法華義疏(法隆寺献納)」(宮内庁蔵)であると伝わってきた。この「御物 法華義疏」も展示される。
お香をたくことは、仏教伝来とともに日本に伝わってきた。国宝「鵲尾形柄香炉」は、仏教伝来初期に献香に用いられたスタイルである長い柄をつけた香炉だ。
続いて、法隆寺の創建が語られる。聖徳太子が創建した法隆寺に伝えられた多くの仏具類を中心に紹介する。
今展前期の目玉のひとつが、国宝「天寿国繍帳」(奈良・中宮寺蔵)だ(あわせて展示される残片も国宝)。日本最古の染織作品として知られている。
聖徳太子を偲び、その妻(妃)である橘大郎女が推古天皇に願い出て、天皇の命で、天皇に仕える采女たちが刺繍をしたとされる。もしかしたら妃もみずから針を入れたのだろうか、と想像が広がる。
後期には国宝「四騎獅子狩文錦」が展示される。こちらは唐で作られ、奈良時代に伝わった。馬に乗った男が弓で獅子を狩る様子などの図案を織った錦だ。ササン朝ペルシャ由来の文様と織り技術で、中国・唐で織られた。後ろ向きに矢を放つ騎馬の姿勢は遊牧民独特のもの。一方で、「山」や「吉」のおめでたい文字を入れるのは中国式。
聖徳太子自身の「錦の御旗」だったという寺伝が残る。250センチ×135センチ。現存する古代中国の織物においてもこれほどの織幅はほかに例がない。
前期展示の国宝「竜首水瓶」もササン朝ペルシャのデザインの水差しで、推古天皇の御所で常用されたという伝承を持つ。シルクロードをおもわせるデザインながら、文様表現などが飛鳥時代の金銅仏と共通し、日本製とみる説もある。
国宝「灌頂幡」は、金銅製の透かし彫り。灌頂幡は、天蓋を持つ長い旗状の飾りで、全長5.1メートルにもなる。しかし、本来は、一緒に展示されている、絹製の重要文化財「繍仏裂」(東京国立博物館蔵<法隆寺献納宝物>、前期展示)が下につき、全長は10メートルを超えたと考えられている。天蓋などの各部分を一緒に鑑賞することで、その大きさを体感できるだろう。
後期展示の国宝「法隆寺献物帳」は、聖武天皇の遺品を娘の孝謙天皇が756年に献納した目録。巻末には、藤原仲麻呂など5人の自筆の署名がある。ここに書かれたものに、刀子(現在のペーパーナイフ)3口があるが、そのうちの1口は、記載された素材などから、今回、東京会場のみに出品される「斑竹鞘」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵<法隆寺献納宝物>、後期展示)がそれにあたると考えられている。
8世紀の文字史料に書かれたモノが、そこに実在するという、日本の歴史ならではの「奇跡」をその目でご覧いただきたい。
次のコーナーは「聖徳太子と仏の姿」。さまざまな時代に、さまざまな形で表現された聖徳太子が並ぶ。
国宝「聖徳太子および侍者像」は、法隆寺聖霊院の秘仏本尊で、寺外の公開は27年ぶり。
力強い眼差しに圧倒されるだろう。像内には観音菩薩立像が納入されており、ちょうど口のところに菩薩の顔がある。聖徳太子の言葉は、化身とされる観音菩薩の言葉であることを意図していると思われる。
このコーナーで見逃せないのが、前期展示の国宝「卓」。聖霊院に伝わり、法具などを安置するなどして使われたという。螺鈿が施され、鷺脚と称される4脚を持つ、漆塗りの木製の優美な机だ。
後期に展示されるのが、国宝「上宮聖徳法王帝説」。聖徳太子の伝記で、正史の日本書紀とは異なる所伝を含み、日本古代史の研究には欠かせない歴史的な史料だ。
例えば、日本書紀で仏教伝来は552年だが、ここではそれよりも早い538年とする。聖徳太子の没年も日本書紀の621年に対して、法隆寺金堂釈迦如来坐像の光背銘を引用し622年としている。
続いて、第2会場に移る。舎利殿をはじめ、法隆寺の特別な空間が再現されているが、国宝にしぼって紹介していこう。
第2会場の最初のコーナー「法隆寺東院とその宝物」では、国宝「行信僧都坐像」がある。
行信(生没年不明)は、法相宗の僧侶で、739年に荒廃していた斑鳩宮の跡に東院伽藍を興した、法隆寺の中興の祖といえる人物だ。麻布を漆で塗り固め、表面を木屎で形づくる「脱活乾漆造」という、写実的な表現が可能な技法で造られている。同じ技法の鑑真和上像に並ぶ、奈良時代肖像の傑作だ。
国宝「竹厨子」は、竹を隙間なく並べた、飛鳥~奈良時代(7~8世紀)の厨子。行信が奉納した、お経を収める厨子とみられている。
同コーナーの前期に展示されるのが、国宝「細字法華経 附 経筒」。聖徳太子ゆかりの品として、光明皇后が法隆寺東院に献納した経巻と考えられている。
圧巻は、最後のコーナー「法隆寺金堂と五重塔」だ。
法隆寺を代表する国宝の名品が並ぶ。
薬師如来坐像・台座
四天王立像 広目天
四天王立像 多聞天
鳳凰(金堂天蓋付属)
飾金具(同)
天人(同)
伝橘夫人念持仏厨子
金堂東の間の本尊である薬師如来坐像をはじめ、「白鳳」という美称で呼ばれる、この時代を体現する美しい仏像などは、かつて金堂安置だったものを含め、法隆寺金堂ゆかりの名品だ。
薬師如来坐像の光背の裏側には、法隆寺建立の歴史が刻まれた銘文がある。普段は厨子の中に納められている阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)も厨子の外で展示される――。こうした貴重な宝物を、間近で鑑賞できる、またとない機会といえる。
聖徳太子1400年の遠忌だからこそ実現した、特別展「聖徳太子と法隆寺」に、ぜひ足をお運びいただきたい。
チケットの購入は公式サイトで。
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