2021.8.23
東京国立博物館で開催中の特別展「聖徳太子と法隆寺」は、8月11日から後期展示となった。会期は9月5日まで。
この記事では、展示替えによって、新たにお目見えした作品をコーナーごとに紹介する。
今展でしか、なかなか見る機会がない注目の展示が、「御物 法華義疏(法隆寺献納)」(飛鳥時代 7世紀、宮内庁蔵)だ。
明治11年(1878年)、法隆寺は皇室に300件あまりの宝物を献納した。戦後、その大部分は国に移管され、現在、東京国立博物館に所蔵されているが、皇室にゆかりの深い10件の宝物は、皇室に残された。1989年の昭和天皇の崩御の際に、皇室に伝わる宝物の大部分が国に寄贈され、宮内庁管轄の三の丸尚蔵館に収蔵されたが、皇室に特にゆかりの深い品々として、「聖徳太子二王子像(唐本御影)」と「法華義疏」は、引き続き、皇室の私有品にとどまり、「御物」と呼ばれている。
「法華義疏」は、前期には巻第二が展示されていたが、後期には巻第四を鑑賞できる。
法華経の内容や語句について解説した書物。後期のみ「法隆寺東院とその宝物」コーナーで展示される「法隆寺東院縁起資財帳」(江戸時代 元文元年<1736年>、奈良・法隆寺蔵)などにおいて、上宮聖徳法王すなわち聖徳太子の著作とされたもの。
飛鳥時代の書で、奈良時代の正確無比な写経などの文字に比べると、やわらかい印象で、書いた人の人柄がにじみ出てくるようだ。
木製、漆塗りの塵尾は、獣毛を束ねて作られたうちわ状の用具で、左側は、その柄にあたる部分。麈とは「大きな鹿」の意味で、尻尾に鹿の群れが付き従うことから、リーダーシップの象徴。古代中国では、哲学などを語り合う「清談」の場で、威儀を正して講義する際に使われた。現行の尺八と異なる唐時代の形式の竹製の尺八。古代においては、中国や朝鮮半島の楽舞は単なる芸能ではなく、文明国家を構成する要素として認識されていたという。
左の膝の上に右足を横たえてのせる半跏像。通常の半跏像は、右手の指先を頬にそえて思惟する姿をしているが、この像は手のひらを正面に向けている。顔立ちや目の形、アルカイックスマイルなど、法隆寺金堂の釈迦如来を制作した止利仏師の作風との共通点がある。38センチと小さい像ながら、飛鳥時代の優れた仏像を見逃さないようにしたい。
「天寿国繡帳」が前期の目玉だったこのコーナーでは、国宝の錦が登場する。「四騎獅子狩文錦」は馬に乗った男性が弓で獅子を狩る様子などの図案を織った錦だ。ササン朝ペルシャ由来の文様と織り技術で、中国・唐で織られ、日本に伝わった。後ろ向きに矢を放つ騎馬の姿勢は遊牧民独特のもので、「山」や「吉」といったおめでたい漢字が入り、多様な文化が結集した作品。聖徳太子自身の「錦の御旗」だったという寺伝が残る。
未指定品だが、ぜひじっくり鑑賞したいのが、大幡残欠(蜀江大幡)だ。仏教祭祀に使われる荘厳具の旗で、部分にもかかわらず約10メートル(約960センチ)の長さが残る飛鳥時代の織物だ。
同じく後期のみ展示の重要文化財「蜀江錦綾幡」(東京国立博物館蔵<法隆寺献納宝物>)も飛鳥時代(7世紀)の幡だが、大幡に対してサイズが約120センチの小幡だが形がよく残っている。大幡と小幡をセットで見られる機会は珍しい。
このコーナーでは、ほかにも、古代の文献とモノとの貴重な巡り合いも注目だ。
国宝「法隆寺献物帳」は、聖武天皇の遺品を娘の孝謙天皇が天平勝宝8年(756年)に献納した際の目録。巻末には、藤原仲麻呂など5人の自筆の署名がある。後世の書き換えができないように「天皇御璽」の朱色の四角い印が隙間なく、3×6の18か所押されている。ちなみに、同じ趣旨で、聖武天皇の后・光明皇后が東大寺に献納した品の目録が、正倉院に伝わる『東大寺献物帳』だ。
ここに書かれたものに、刀子(現在のペーパーナイフ)3口があるが、そのうちの1口は、記載された素材などから、後期展示の「斑竹鞘」(奈良時代 8世紀、宮内庁三の丸尚蔵館蔵<法隆寺献納宝物>)がそれにあたる可能性が指摘されている。8世紀のものが現代まで伝わっているのは、世界でも奇跡的だ。
法隆寺聖霊院の秘仏本尊で、寺外の公開は27年ぶりとなる国宝「聖徳太子および侍者像」が中心のこのコーナーでは、各時代にさまざまな描かれた方をした聖徳太子の姿を見ることができる。
後期展示の重要文化財「聖徳太子像(孝養像)」。孝養像とは、聖徳太子が16歳のとき、父の用明天皇が病となったため、病床に日夜はべり、香炉をささげて平癒を祈ったという説話に基づく肖像画。みずらを結う幼さとともに意志の強い視線をたたえている。
重要文化財「五尊像」は、大日如来を中心に、右上に如意輪観音、左上に虚空蔵菩薩、左下に聖徳太子、右下に弘法大師が描かれている。ここでの太子も童子の姿で、聖徳太子と仏法興隆コーナーで展示されている塵尾を手にしているのがわかる。
重要文化財「聖皇曼荼羅」は、聖徳太子と太子ゆかりの人物、遺物、動物が密教の曼荼羅にならって描き並べられた作品。聖徳太子の父・用明天皇、母・間人皇后、小野妹子、蘇我馬子などの人物をはじめ、愛馬・黒駒や憲法十七条なども描かれている。
星の周期的な運行が人間の運命を司るという中国古来の信仰が密教に取り込まれていった。その一つ、北斗七星を中心とする星々を礼拝対象とする北斗法は日本でも平安時代中期以降に盛んに行われ、その本尊として作られたのが星曼荼羅だった。星曼荼羅は方形と円形に大別されるが、この星曼荼羅は円形星曼荼羅の最古本にして代表作だ。奈良に伝わった数少ない平安仏画の優品として極めて貴重とされている。
重要文化財「如意輪観音菩薩坐像」は、右膝を立てて、6本の腕を持つ如意輪観音。如意輪観音は、聖徳太子の本地と平安時代には考えられるようになっていた。会場入り口にある重要文化財「如意輪観音菩薩半跏像」(平安時代 11~12世紀、奈良・法隆寺蔵)とも見比べてほしい。
重要文化財「聖徳太子絵伝」は、年紀がわかる聖徳太子絵伝としては、平安時代に描かれた国宝「聖徳太子絵伝」(奈良会場で展示)に次ぐ作例。4幅のうち第3幅と第4幅が展示される。
重要文化財「法隆寺縁起白拍子」は、法隆寺の縁起を囃し謡った白拍子の台本。白拍子とは、院政期以来流行した歌舞芸能で、法隆寺の由緒を当代風の流行歌にアレンジしたもの。この白拍子が披露され、大いに盛り上がり大宴会となったとの記録がある。
奈良時代、法隆寺東院伽藍の整備に尽力した僧・行信。その姿をリアルに再現した国宝「行信僧都坐像」(奈良時代 8世紀、奈良・法隆寺蔵)が通期展示されているこのコーナーでは、行信にまつわるものも展示されている。その一つが後期に展示されるこの法華経で、行信が発願した一群の写経のひとつ。
かつて東院舎利殿の仏壇正面に安置される厨子に掲げられていたと考えられているのがこの「聖徳太子勝鬘経講讃図」だ。聖徳太子が35歳の時、推古天皇の求めで勝鬘経を講じたという伝記の一場面が描かれている。
重要文化財「文王呂尚・商山四皓図屏風」も、もとは東院舎利殿の内陣内壁を飾っていた障子絵。文王呂尚図が展示されていた前期は、商山四皓図はパネル展示だったが、後期は両者が入れ替わり、商山四皓図の実物が展示されている。
前期では、10年、50年、100年の節目に聖徳太子の遺徳をしのぶ法隆寺の聖霊会大会式での行列で、御輿を担ぐときに着ける行道面が展示されたが、後期では、大会式で演じられた舞楽で使われた歴史的な舞楽面を6面展示する。
また、面以外にも舞に使われた革製のかぶりもの(地久兜や、まとう羽根迦陵頻羽根)も展示する。いにしえの舞とデザインを伝える貴重な作品だ。
2021年4月3日から5日まで、法隆寺で営まれた太子の1400年遠忌法要では、羽根を身に着けて舞う「迦陵頻」が披露された。動画はこちら。
特別展「聖徳太子と法隆寺」チケット(日時指定制)の購入は公式サイトで。若干数用意されている当日券は、特別展の公式ツイッターでご確認ください。
(読売新聞デジタルコンテンツ部編)
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