飛鳥時代(7世紀)
大阪・安福寺蔵
聖徳太子の1400年遠忌を記念した特別展「聖徳太子と法隆寺」が7月13日から9月5日まで東京国立博物館で開かれています。この特別展を担当した東博の三田覚之主任研究員が、出品作について解説するシリーズです。今回は特別のテキスト編。見逃せないポイントから、知るとおもしろさが倍増するストーリーまで、ぜひご覧ください。
こちらは、一見古い木の板のように見えますが、実は絹と漆を45層も貼り重ねて作られた棺の断片です。大阪府柏原市の
安福寺では、もともとこの断片は、お寺の居住空間にあたる庫裏の床下から出てきたと伝わっています。「なかなかいい板だ」ということで、お寺の床の間の花瓶の台として使われていたそうです。昭和33年(1958)、周囲の古墳調査のためにお寺に寄宿していた猪熊兼勝氏によって見いだされ、7世紀の「夾紵棺」と呼ばれる特殊な棺の断片であることが分かりました。
通常、夾紵棺といいますと、
また、この断片は棺の短辺側にあたると考えられますが、サイズも特徴的です。通常、夾紵棺は、石で作られた棺台に安置されるのですが、これまで考古学調査で発見されている棺台には、幅が広すぎて載せることができません。
一方、聖徳太子の陵墓である大阪府太子町・
絹で作られた当時の最高級の棺であること、かつその幅が太子のものとされる棺台によく合うことから、聖徳太子の棺の断片である可能性が強いと考えられています。聖徳太子の実在に迫る大変注目すべき作品です。
では、なぜ、そんな貴重な断片が安福寺の床下から出てきたのかということですが、江戸時代の安福寺には
こうした叡福寺と安福寺のつながりからして、この仏舎利の奉納に際し、お礼として安福寺にもたらされた可能性も考えられます。そうした由来が忘れられたのか、貴重な品と伝えられなかったのか、床下に収められた経緯はいまだはっきり分かっていません。
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/horyuji2021/
0%