「大君の遠の朝廷」と詠まれた古代の大宰府。そのシンボルとも言えるのがこの鬼瓦である。発掘調査によるものではなく、 1922 年( 大正11 年)頃に大宰府政庁跡北方の畑の中から偶然に発見された。奈良時代(8世紀)には、大宰府の中枢である大宰府政庁の屋根に葺かれていたのであろう。鬼瓦は屋根の棟先に取り付けられる瓦であり、文字通り古代都市・大宰府の姿を屋根の上から眺めていたのである。
本品は台形状の輪郭の中に魔物の顔がレリーフされている。目はカッと見開いてこちらを鋭く睨み付け、眉間には深いシワを刻む。眉は吊り上がり、かみつかんばかりに開いた口に歯牙をむき出す。優しさなどみじんもない憤怒の形相である。残念ながら、本品の顔の右側下半分は欠けている。しかし、それが逆にさらなるすごみを感じさせる。
大宰府の鬼瓦の特徴は立体的な造形にあり、その造形が人の表情に近いリアルな表現を生み出している。立体的なデザインはどのように生み出されたのだろうか。その表現が粘土でつくる塑像仏に大変近いことから、鬼瓦の製作者を仏師とする説がある。仁王像の表情を想像してほしい。憤怒相という激しい怒りの表現は、まさしく仏像に通じるものがある。鬼面の緻密な表現と量感豊かな仕上がりは、粘土のような軟らかい素材を盛り付ける造形に手慣れた匠の技と言えるだろう。とはいえ、仏師の技術のみでは本品は成立しない。鬼瓦はその名の通り、「瓦」なのである。
本品の色調に注目してほしい。やや青味を帯びた灰色をしており、いかにも硬い印象を受ける。この色調を生み出したのは、密閉した窯での高温焼成である。窯を用いた焼成には、窯の焼成時間や密封するタイミングなどの専門的な技術が必要となる。この点において、本品の製作には「瓦工人」の存在も不可欠だったと言える。
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