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2022.5.11

【歌舞伎インタビュー】歌舞伎座で初めての『弁天小僧』で「こりゃ、てーへんだ」。でも「まっすぐ真摯に熱く、熱く勤めたい」―「團菊祭五月大歌舞伎」尾上右近さん

歌舞伎座(東京・東銀座)で5月27日まで公演中の「團菊祭五月大歌舞伎」。第三部の『弁天娘べんてんむすめ女男めおの白浪しらなみ』で、尾上右近さんが弁天小僧を演じる。自主公演では演じたことがあるが、歌舞伎座では初めて。「團菊祭」で、音羽屋ゆかりの大役。「まっすぐ真摯に熱く、熱く勤めたい」と舞台に臨む抱負を話してくれた。 (聞き手は事業局専門委員・田中聡)

オファー受け静かに興奮

――九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎。明治時代に活躍した2人の名優を顕彰する「團菊祭」は、五月の歌舞伎座では恒例です。その第三部で『弁天娘女男白浪』の弁天小僧を演じられているわけですが、その話を頂いた時にはどう思いましたか?

右近 菊五郎のおじさまはじめ、これまでもたくさんの俳優さんがやられている大きな役ですからね。「こりゃ、てーへんだ」とは思っています。オファーがあった時は「静かなる興奮」というんですか、「ついにきたか」という気持ちになりましたし、「弁天小僧を歌舞伎座で演れるんだ」と思ったら、ベッドの上で体育座りして泣きましたよ。

やっぱり「團菊祭」は音羽屋にとって重要な公演ですし、僕にとっても常に「いなければいけない」舞台ですから。まっすぐ真摯に熱く、熱く勤めたい、と思っています。

――2019年に自主公演「研の會」で「弁天小僧」はおやりになっています。やはり、音羽屋の一員として、この役は思い入れのあるものなんでしょうか。

右近 祖母の家で、4歳か5歳の頃かなあ、曽祖父(六代目尾上菊五郎)の「弁天小僧」の録音をカセットテープで聞いたことがあるんです。それでセリフを覚えて、「知らざぁ言って聞かせやしょう」って尾上流の踊りの稽古場で披露していたら、後ろのふすまが開いて、そこに(尾上)菊之助のお兄さんがいた(笑)。そんなこともありましたね。

菊五郎のおじさま(七代目尾上菊五郎)に(役者として)預かってもらって、黒衣を着て舞台袖から芝居を見るようになったんですが、そこで見たおじさまの「弁天小僧」は格好良かった。役と役者が一体になっていて、客席から見ているのとはまったく違う迫力があった。

(十八代目中村)勘三郎のおじさまには「あんたもいつかやるんだから」って、着替えを見せてもらいました。そういうこともありますから、もちろん思い入れのある役ですね、五代目(尾上菊五郎)が初演したのが十代の時、29歳、ギリギリ20代でできてよかったと思っています。

右近さんの父親は七代目清元延寿太夫、代々続く邦楽・清元節の宗家の家柄だ。その父、つまり右近さんの祖父、六代目延寿太夫の奥さまの父親が、名優と言われた六代目尾上菊五郎で、右近さんの母方の祖父は、東映任侠映画でおなじみの名優、鶴田浩二である。「清元の家」に生まれたこともあり、右近さんは2018年に清元栄寿太夫を襲名しており、役者と邦楽家の「二刀流」で活動している。

菊五郎さんからのアドバイス 「ズドン」と来る一言

――「弁天小僧」という役については、どんなことを思っていますか。教わったのは(七代目)菊五郎さんだと思いますが、どんなアドバイスを受けていますか。

右近 不良少年ですからね、調子に乗っていて生意気な。マジメにやっても似合わない、と思っています。すがすがしいまでに「悪」に生きる、大人に対して疑念や不満を持っていて、やり場のないエネルギーをぶつけている。尾崎豊の「15の夜」〽盗んだバイクで走り出す――そんなイメージとも重なりますね。

菊五郎のおじさまのお稽古は、あまり言葉数は多くない。だけど一言がズドンと来る。そんなお稽古なんですよ。まあ、「やることは間違ってないし、あとは回数、慣れかな」という感じでしたけど、「歌舞伎の匂いがもう一つしねえなぁ」と言われてズドンと来ましたね。

「どうすればいいんでしょうか」って伺ったら「それはお前、自分で考えろ」――。こういう世話物の芝居って、お客さんから見えない所の段取りがすごく多い。そういうところを体にしみこませたうえで、南郷役の(坂東)巳之助さんたち共演者と息を合わせていきたいですね。

――女装の盗賊、名セリフがある、ということでは、「三人吉三」のお嬢吉三ともタイプが似ている役だと思いますが、違いはありますか。

右近 こちらはあくまで「泥棒」が「女装している」わけですから。途中、肌を脱いで彫り物を見せるわけですし、ふつうの女形ではない。そこが「お嬢吉三」とは大きく違いますね。

女形と立役、三十代に向けて

――音羽屋は代々、女形と立役を兼ねる役者が出ている。今の菊五郎さんも菊之助さんも、まずは女形の修業をされて徐々に立役を増やしてきた。右近さんも十代のころは女形が多かったですけど、やはり同じ道を歩くことになるんでしょうか。さきほど「二十代のうちにやれてよかった」とおっしゃってましたが、年齢も何か意識するところはあるんでしょうか。

右近 そうですね。十代の頃は、「早く立役をやりてぇなぁ」とは思ってましたね(笑)。

ただ、先に女形の修業をしておいてよかったと思います。先に立役をやって、後に女形をやるのは難しいですから。(先代の中村)雀右衛門のおじさまは、そういう意味では尋常じゃない苦労をなさったと思います。

菊之助のお兄さんや(松本)幸四郎のお兄さんたち先輩を見ていると、三十代でいろいろなチャレンジをされている。それを見ていると、やっぱり自分の年齢というものは意識せざるを得ないですね。そのためにも、巳之助さんたち同世代の役者さんたちと頑張って、歌舞伎座で続けて大きな役をもらえるようになりたいですね。

役者と邦楽家の両輪でお客さまを満足させたい

――右近さんと音羽屋の芸で思い出すのは『春興鏡獅子』。岡村研佑の名前で子役として出ていた時代、(十八代目中村)勘三郎さんが獅子の舞台での「胡蝶の精」は今でも眼に残っています。六代目(菊五郎)さんゆかりのこの踊りについて、思い入れは強いと思うのですが、どうでしょう。

右近 3歳の頃、祖母の家で見た曽祖父の『鏡獅子』が歌舞伎俳優になりたい、と思ったきっかけですから。大げさにいえば、歌舞伎座でそれを演じることが「最終目標」ぐらいの気持ちはあります。

歌舞伎では「鏡獅子」をやれる役者になる、「清元」の担い手としての音楽活動も頑張る。今後は、役者と邦楽家の両輪で、お客さまを満足させる舞台ができるようになりたいですね。

歌舞伎座・團菊祭五月大歌舞伎のサイトはこちら https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/755

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