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2026.7.16

【技を継ぐ あをによし賞20年】(4)たたら製鉄 炎との対話 - 出雲の誇り 守りたい

たたら製鉄の体験会で砂鉄を炉に入れる堀尾薫さん(左)(広島県庄原市で)=渡辺恭晃撮影

「もう1杯、砂鉄と炭を入れておこうか」

〔2026年〕5月上旬、広島県庄原市の国営備北丘陵公園で開かれた「たたら製鉄」の体験会。「村下むらげ」と呼ばれる操業責任者を務める堀尾薫さん(57)が、炉に手をかざして温度や炎の色を確認し、指示を出した。「微妙な変化を見逃さず、いかに早く正常値に戻せるかが勝負」と語る。まさに「炎との対話」だ。

たたら製鉄は、日本刀の原料となる玉鋼たまはがねをつくる古来の技法だ。この日、完成した鉄の塊「けら」を見て、「悪くない出来。ただ、師匠の足元にも及ばない」とつぶやいた。

堀尾さんの師匠は、2023年に第17回読売あをによし賞「保存・修復」部門を受賞した木原明さん。日本美術刀剣保存協会(日刀保)が戦後、復活させた島根県奥出雲町の「日刀保たたら」で約40年間、村下として操業を指揮し、24年6月に88歳で死去した。

第17回読売あをによし賞「保存・修復」部門を受賞した木原明さん(2021年撮影)

同町出身の堀尾さんは高校時代、テレビでたたら製鉄の映像を見て、「郷土の誇りを守らなければ」と携わることを夢見た。教師に反対され、地元企業に就職したが、諦めきれず、木原さんに直談判した。「厳しい世界だけど日本古来の文化を守るやりがいはある」と声をかけられ、1993年に弟子入りした。

操業は3昼夜続く。砂鉄と木炭を30分おきに投入し、炉の底にたまる鉧を育てる。不眠不休で向き合う木原さんは「自分に厳しく、弟子にも厳しかった」。全ての工程を人任せにせず、「手取り足取り教えるものではない。盗み取れ」とよく言われた。

入った当初は準備作業が中心。10年かかって木炭を投入する「炭焚すみたき」になり、ようやく炉に近づくことが許された。その後は炉から出る炎の色や勢いを観察し続けて炉内の状況を見極める力を養い、2014年、村下代行に就任した。

それから10年後の24年2月。操業を終えた後、堀尾さんが「来年から自分が全責任をもってやるので、見守ってください」と声をかけると、木原さんから「そうさせてもらおうかな」と返ってきた。褒められたことは一度もなかったが、初めて「任せてもらえた」と感じた。師匠が亡くなった1か月後、村下を継いだ。

現在、村下代行4人を含む30~50歳代の計12人が操業に携わる。体制は充実しているが、「若返りで経験値も下がっている」と懸念する。背中で教えた師匠とは異なり、堀尾さんは砂鉄や木炭を投入するタイミングや順番などを細かく伝えている。「未来に向けて継承できる体制を作らなければ」と感じているからだ。

「今度は自分が評価される番。『師匠の時代は良かった』と言われるわけにはいかない」と力を込めた。(土谷武嗣)

(2026年7月5日付 読売新聞朝刊より)

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