今年〔2025年〕は戦後80年。戦争体験者が減少していく中、戦禍を伝える当時の建造物や遺跡の重要性が増しています。生々しい傷痕は強いメッセージを発しています。今月の「紡ぐプロジェクト」特別紙面は、先の大戦に関連した日本各地の文化財を紹介します。災いから逃れ、または再建されて人々を励ましたものもあります。現状と次世代への継承に向けた課題を見つめます。
鉄骨がむき出しとなったドーム型の屋根は、戦禍の象徴として多くの人が真っ先に思い浮かべる光景だろう。広島市の世界遺産「原爆ドーム」は今も、被爆した当時の姿を保ったまま立ち続ける。
1945年8月6日。「広島県産業奨励館」として使用されていた建物は、米軍が投下した原子爆弾の爆心地から約160メートルの至近距離にあり、爆風と熱線で大破、内部にいた約30人の命も失われた。〈おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう〉。1歳で被爆し、16歳で亡くなった
文化財としての価値が議論されたのはここ30年のことだ。92年に日本が世界遺産条約を批准したことを受け、原爆ドームの登録を期待する声が強くなった。ユネスコに推薦するには、国内法の保護を受けることが条件にあった。
国は95年、文化財保護法上の史跡指定の対象を「第2次世界大戦終結頃まで」と改正。これにより原爆ドームの史跡指定が可能となり、推薦への環境が整った。96年、「核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑」として世界遺産に登録された。
2024年には被爆当時の姿をとどめる「旧燃料会館」(平和記念公園レストハウス)や「旧日本銀行広島支店」など爆心地から2キロ・メートル以内にある計6か所が「広島原爆遺跡」として史跡に指定された。被爆した建造物や遺跡の調査が進む中、原爆ドームも保存整備の総括報告書が刊行され、価値が一層明確になり、文化審議会が今年6月、特別史跡の指定を答申した。
「特別史跡になれば、広島への原爆投下が日本史の中で最大級の事件だと国内外に発信することにつながる。核兵器廃絶を世界に訴える重みも増してくる」。史跡原爆ドーム保存技術指導委員長の三浦正幸・広島大名誉教授は、強調する。
一方、ドームの保存には「被爆当時のまま」を維持するという難題がつきまとう。劣化するレンガやコンクリートなどの部材も取り換えられず、耐震工事も難しい。三浦名誉教授は「慰霊の場でもある原爆ドームの尊厳性を損なう補修はできない。永久保存は困難である事実も知ってほしい」と話す。 市民や観光客でにぎわう公園で静かにたたずむ原爆ドーム。その存在は被爆者の思いを受け継ぎ、人類共通の遺産をどう守るかという問いも投げかけている。
(2025年8月3日付 読売新聞朝刊より)
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