2021.12.7
重要文化財「蔦の細道図屏風」
相国寺承天閣美術館(京都市上京区)の本多潤子・学芸員へのインタビュー。今回は、高校時代にお能を習ったことに始まる学芸員への道のり、そして、江戸時代初期、京都の文化復興に尽力した後水尾院のお話とともに、相国寺の魅力をうかがいました。
―日本美術に興味を持ったきっかけをお聞かせください。
地元・埼玉での高校時代、部活で観世流の能楽師の方から、お能の仕舞と謡曲を学びました。高2の発表会では、銕仙会能楽堂(東京・青山)で伊勢物語の演目「井筒」の地頭をつとめ、近くの根津美術館で、尾形光琳の「燕子花図屏風」(伊勢物語の一場面をテーマに描かれた留守模様)を見て、「かっこいい!」と思って。それで、そうした文字テキストを絵画化・立体化した芸術作品にとても興味を持つようになり、東京国立博物館(東京・上野)にも、年間パスでよく行くようになりました。それで、進路を考えるときに「そうだ、京都に行こう」と(笑)。立命館大学に進学して、京都のお寺や美術館にもたくさん行きました。
日本の古典文学を専攻したのですが、中本大先生のゼミのテーマが私の興味にドンピシャで、「古典文学をもとに描かれた絵画」でした。今振り返ると、ご縁だなと思うのですが、中本先生は五山文学(相国寺も含めた主要な禅寺で行われた漢文学)の研究者です。和漢のコラボで作られた連歌についても学びました。数人で順に詠んで一つの歌を作るとき、前の歌に出てきた言葉を受けて、次の歌で話が転換されていくときに、その背景に、元ネタとして、古代中国の物語があったりするのです。そうした学びは、今、和漢の文化が伝わる禅寺の相国寺で研究するうえで、非常に役立っています。
大学院卒業後、日本文学を非常勤で教え始めた頃に、恩師の中本先生から、相国寺承天閣美術館の学芸員の募集に推薦していただき、学内選考を受けました。私は博士論文で、奈良の片岡山で達磨(中国の禅宗の開祖)と聖徳太子が出会って和歌を詠む「片岡山説話」について書いていたという、禅宗とのご縁もあって。その後、相国寺での最終面接では、もちろん「『蔦の細道図屏風』が大好きです」と話しました(笑)。
―相国寺承天閣美術館は、お寺の境内にあることも大きな特色ですね。
当館は1984年(昭和59年)に、相国寺創建600年を記念して、禅文化の普及を目的に設立されました。宝物は所蔵しておらず、相国寺や鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)といった相国寺派の寺宝の一部をお預かりして保管・展示しています。
相国寺の歴史は1392年に、室町幕府第3代将軍の足利義満が、自らが住む「花の御所」の東隣に作らせたことに始まります。義満以降、15代将軍まで代々の塔頭が境内に建てられるほど、室町将軍家との密接な関係が続いたのです。
安土桃山時代には、相国寺の西笑承兌和尚が、豊臣秀吉、のちには徳川家康のもとで、外交文書を作るなど、ブレーンとして活躍しました。禅宗そのものが中国から伝来し、経典はすべて漢文なので、相国寺を含む京都五山と呼ばれる格の高い禅寺は大陸文化の発信地でした。そのため、禅僧は五山文学を学び、漢詩を書くことができたのです。
しかし、西笑の没後、相国寺は幕府との距離が急速に遠のきました。その一方で強まったのが、御所との関係です。というのも、格の高い禅寺であることから、公家出身の僧侶が多く、なかでも鳳林承章は後水尾院と外戚関係にあり、後水尾院が出家した際に重要な役割を果たしました。後水尾院に漢籍を教えたり、連句の会に出席したりするためにも、たびたび御所に参向しました。
後水尾院はまた、息子のひとり、八条宮穏仁親王が20代の若さで亡くなった際、供養のために相国寺に開山堂を建てています。さらに、方丈や宝塔などを境内に続々と再建しました。
後水尾院と相国寺の関わりの中で特に重要なのは、仙洞御所に相国寺の僧侶が参向して行われた、観音懺法法要です。観音様をお祀りする盛大な仏教儀式で、相国寺が得意とする、お経に節づけて奏でる「声明面」の核とされます。江戸時代後期には、伊藤若冲の「動植綵絵」をお堂にかけて行われたことも知られます。
後水尾院はこのとき、中世に行われた観音懺法の様子を調べて、入念に復興したようです。このとき使われた仏具は相国寺に下賜され、驚くべきことにその一部が今なお、毎年6月の観音懺法で使われています。また、鳳林承章は、法具の配置や各役職が座る位置などを細かく書き残しており、現在の観音懺法と比べると、ほぼ変わっていないことがわかります。
私はこうしたことを知ってたいへん感動し、その感動を多くの方と共有したいと思って、昨年、企画展「いのりの四季-仏教美術の精華」で、そうした法具を展示しました。
―後水尾院は、権力が江戸に移った江戸時代初期に京都の伝統を復興して受け継いでいこうとしたのでしょうか。
そうした気持ちを強く持っていたのだろうと思います。それにより、相国寺としても、もっと自覚的に守り継いでいこうという方に向かったのだと思います。
後水尾院は仏教行事だけでなく、応仁の乱以降廃れていた宮中の儀式や古典文学の復興にも力を注ぎました。
詩歌は、現代の日常生活からは遠い存在ですが、かつては学問の頂点にありました。平安時代の古今和歌集から始まる勅撰和歌集二十一代集は、どれも天皇の号令で編纂されたものです。後水尾院もいろいろな歌集を作らせており、そのひとつが、中世までの五山僧の漢詩文をセレクトした「翰林五鳳集」です。父の後陽成天皇にならい、五山僧が漢詩を、公家が和句を詠む和漢連句の会を催すこともありました。
このように、後水尾院はある意味、中世の文化を総括していったのです。しかも、その範囲は儀礼、和歌、漢詩など、とにかく広くて、「なんという巨人だろう」と思います。日本のルネサンスの元締といったところでしょうか。
―後水尾院が復興に尽力したおかげで、今に続く京都の文化の基盤が今一度、紡がれたのでしょうか。
まさに、そうだと思います。後水尾院は「忍」という一字の筆跡が有名で、幕府からの無茶な要求を受け入れて、耐え忍んだイメージで知られますが、その一方で、徳川和子を皇后に迎えたことで徳川幕府から届く莫大なお金を、京都の復興のために細かく分配しながら使いました。後水尾院がいなかったら、京都の町は一体どうなっていただろう、と思いますね。
後水尾院は、子どもたちがさまざまな門跡寺院に僧侶として入った縁もあって、多くのお寺を復興させました。実際、今も京都各地のお寺で後水尾院ゆかりのものを目にすることができます。
後水尾院は、現代でいえば、優秀な文学研究者を集めた歌壇を抱えていました。その中心にいたのが、「蔦の細道図屏風」に和歌を書いた、烏丸光広です。彼らは、古今伝授(古今和歌集の解釈を中心に、歌学関連の諸説を秘伝として伝えること)を、天皇が受け継ぐべき御所伝授として整えました。また、三十六歌仙の各歌人の和歌から良いものをいくつか選んだ和歌集を作りました。元来、三十六歌仙の和歌染筆というのは、36人の歌人それぞれの和歌集にあたって和歌を選ぶものでしたが、以降は、後水尾院の歌壇が作った和歌の秀歌撰に載った和歌にしぼって制作されるようになったのです。
―後水尾院は、京都の文化を伝えていくためのビジョンを持ち、適材適所で組織を作って、後世の人が学びやすいハウツーを整えたのですね。
ええ。しかも、自ら和歌を詠むクリエイターでもありました。
相国寺に伝わる「後水尾天皇像」は、今も後水尾院の大規模な回忌法要で、本尊として祀られます。肖像画を描いたのは、孫の有栖川宮幸仁親王です。上部の賛は、親王の外戚にあたる相国寺の僧侶・天啓集仗の依頼を受けて、後水尾院の息子・霊元院が、後水尾院が生前に詠んだ和歌を書いたものです。
―相国寺は、江戸時代初期の後水尾院の多大な力添えもあって、和漢の文化の揺りかごの役割を果たしてきたのですね。
ええ。そのうち、漢の側面は、企画展「禅寺の学問—継承される五山文学 相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」(2021年11月23日 〜2022年1月23日)でご覧いただけます。和の側面は、企画展「王朝文化への憧れ―雅の系譜」(Ⅰ期:2022年3月20日〜5月15日、Ⅱ期:2022年5月22日〜7月18日)でご紹介し、Ⅰ期・Ⅱ期通期で「後水尾天皇像」を、そして、Ⅱ期のみ、「蔦の細道図屏風」を展示予定です。
◇ ◇ ◇
本多さんは、研究をするたびに後水尾院の偉大さに感じ入り、境内にある「後水尾天皇髪歯塚」に思わず手を合わせるそうです。相国寺を訪れる機会がかなったら、拝観のあと、後水尾院にもお参りをして、美術館で和漢の芸術を堪能したいですね。
【本多潤子(ほんだ・じゅんこ)】立命館大学文学研究科博士後期課程を修了、博士(文学)号取得。専門は和歌文学。立命館大学、嵯峨美術大学などの非常勤講師を経て、2014 年に相国寺承天閣美術館に就職。現在は、同館学芸員として、相国寺と相国寺派の寺院に伝来する寺宝の調査、展示に取り組む。「言祝の美」「茶の湯――禅と数寄」「いのりの四季」展などを担当。「茶道雑誌」に「相国寺と茶の湯」を連載。立命館大学授業担当講師として、京都学、日本文学の教育にも携わる。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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