2019.11.1

【橋本麻里のつれづれ日本美術】100年ぶりに集結 数寄者によって分断された名品絵巻の物語

重要文化財 《佐竹本三十六歌仙絵 小大君》 鎌倉時代 13世紀、大和文華館蔵、後期(11/6~11/24)展示

平安時代にその学識や詩才をうたわれた藤原公任きんとうが選び抜いた、飛鳥時代〜平安時代の名だたる歌人。柿本人麻呂から小野小町、在原業平に至る36人は「歌仙」と呼ばれ、鎌倉時代以降、その肖像が頻繁に描かれるようになる。中でも秋田藩主・佐竹家に伝わる《三十六歌仙絵巻》は、類品中最高の名品として、つとに知られてきた。

しかし明治を迎え、多くの大名家が歴代の武具や書画などを手放していった時期、とうとう佐竹家の歌仙絵も市場に姿を現す。大正6(1917)年、佐竹家の美術品の売り立てにあたって、9軒の古美術商が合同で、《佐竹本三十六歌仙絵巻》を35万3千円で落札した(現代の貨幣価値で35億円以上とも)。一代で財を成し、「虎大尽とらだいじん」の異名を持つ実業家の山本唯三郎たださぶろうがこれを購入するが、折からの不況で2年後には手放さざるを得なくなった。

だが再び世に出た絵巻を単独で買い取れるほどの財力を持つ者はもはやいない。古美術商たちは合議の上、分売もやむなしとして、三井財閥の重鎮であり、当時の財界を代表するコレクターだった益田孝(鈍翁どんおう)に、世話人の代表となってくれるよう、話を持ちかけたという。

「分売やむなし」は文化財の破壊?

間もなく鈍翁を代表に、三越社長・高橋義雄(箒庵そうあん)、中外商業新報社(日本経済新聞社の前身)社長の野崎廣太(幻庵)らが世話人、古筆・絵巻研究の第一人者田中親美、名古屋の茶人森川勘一郎(如春庵)を補佐役として、絵巻の共同購入が呼びかけられた。

住友財閥当主・十五代住友吉左衛門友純ともいと、野村財閥創始者の野村徳七、大日本麦酒社長・馬越恭平ら、錚々そうそうたる数寄者たちがこれに応じ、2巻からなる絵巻は、男女の貴族、僧侶ら36人の歌仙と、巻首部分の住吉明神を加えた37枚に分割される運びとなった。

要文化財 《佐竹本三十六歌仙絵 源 信明》 鎌倉時代 13世紀、泉屋博古館蔵、通期展示。15代住友吉左衛門友純が入手した

ただし巷間こうかん 言われるように「切断」したわけではない。歌仙一人は幅50センチほどの紙一枚に描かれ、それを継ぎ合わせて巻物に仕立ててある。この紙継ぎを丁寧に剥がして「分割」し、後日各自が好みの表具を施して、作品として完成させる、というわけだ。

分割された歌仙の価格は事前に決められ、最低額の3千円から始まって、1万円以上のものは15件。中でも華やかな装いの女性歌仙が高い評価となり、最高額は《斎宮女御さいぐうのにょうご》の4万円、《小野小町》3万円、《小大君》2万5千円と続く。

これを単純に作品の「破壊」と非難することはできない。日本美術、特に絵画については、所蔵者の好みに従って表具を取り替えることはもちろん、壁貼付を屏風びょうぶ装に、ふすま絵を掛けものに改装したり、画面をトリミングしたり、といった改変は、所蔵者のクリエイティビティーの範囲として許容されてきた。軽装に変更したおかげで火災から免れたり、元の建物が壊されても襖絵だけは再利用されたりと、形を変えることで、作品が生き延びる確率の上がることも少なくない。2014年にはこの「作品の改編」をテーマに根津美術館で「名画を切り、名器を継ぐ」という展覧会が開催されており、佐竹本も含むさまざまな実例が紹介されている。

どの歌仙が誰の手に? 運命の籤引きの結果は?

そして大正8(1919)年12月20日、ついに運命の日がやってくる。

東京・品川の鈍翁邸「応挙館」に会した購入希望者たちは、青竹を切った花入にくじを入れ、割り当ての絵の抽選を行った。問題はその後だ。複数の記事、記録が錯綜さくそうするが、ともあれ中心的な立場で世紀の「歌仙分断」を取り仕切ってきた鈍翁は、あまりよい籤を引かなかったらしい。

怒りと失望もあらわ な鈍翁に、《斎宮女御》を引き当てた土橋嘉兵衛(当初、山本唯三郎に佐竹本を斡旋あっせんした古美術商)が譲る旨を申し出たとされる。《斎宮女御》ばかりでなく、他にもさまざまな事情、思惑、人間関係から、抽選後の交換が行われたとされる。ちなみに3番手の《小大君》は、鈍翁と並ぶ大数寄者と称えられた、横浜興信銀行(現在の横浜銀行)頭取、原富太郎(三溪)の蔵に帰している。

後日談として、翌年この絵の披露と関係者への労いを兼ね、鈍翁が催した茶会で話を締めくくろう。それが、茶会に至る経緯とともに今日まで語り草となっている「斎宮女御茶会」だ。

客として席入りしたのは、野崎幻庵、高橋箒庵、田中親美、服部七兵衛(古美術商)、土橋嘉兵衛の5名。いずれも「歌仙分断」を成功させるために力を尽くした功労者たちだ。因縁の籤引きを再び行い、正客は幻庵に決まった。床を飾るのはむろん、艶麗えんれいな《斎宮女御》。またそれにちなんだ数々の道具が取り合わされた。菓子は杉木地丸盆に紅白の大高檀紙を重ね、その上に虎屋製の「檜扇ひおうぎ」を載せて黒木楊枝ようじを添えたもの。檜扇は正装の皇女が威儀をただすのに用いた小道具であり、これをかたどった大振りの華やかな主菓子は、さぞ座を引き立てたことだろう。

《柿本人麻呂像》 鎌倉時代 13世紀、京都国立博物館蔵、通期展示

こうして数寄者のステータスシンボルとなった《佐竹本三十六歌仙絵》は、時に所蔵者を目まぐるしく代えながら、今日まで受け継がれてきた。何度か関連の展覧会は開催され、歌仙絵が複数展示される機会はあったが、過半数を超える31点もの作品が集結するのは、それこそ大正8年以来、100年ぶりのこととなる。名だたる数寄者たちがそこにどんな魅力を読み取ってきたのか、長大な絵巻の姿と、37通りの個性豊かな掛けものとしての魅力との両面から味わいたい。

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