2021.4.28

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 4-下 内呂博之さん(ポーラ美術館学芸員)

横山大観「山に因む十題のうち 霊峰四趣 秋」

大学院で絵画修復を専攻し、金沢21世紀美術館(金沢市)に勤めていた当時は、現代美術作品の修復も行った、ポーラ美術館学芸員の内呂うちろ博之さん。今回は、その魅力を語っていただくとともに、学芸員や絵画修復士を志した経緯や、明治期の画家たちとの時を超えた縁について、話していただきました。

経験と記録の積み重ね

私は、2014年から18年まで、金沢21世紀美術館で、現代美術の保存修復を担当しました。

実は、近代の平面作品の修復よりも、現代の作品の修復の方が難しいです。というのも、伝統的な絵画技法には何百年もの蓄積があり、絵の具やキャンバスもきちんとした製法に従って作られているので、化学的に安定しており、基本的に丈夫です。一方、現代美術の作品は、時には「100均」で売っている接着剤など、いろいろなものの寄せ集めで作られていますから、劣化しやすいのです。

金沢21世紀美術館では、ビニールシートのような素材が黄変して、ボロボロになった作品の修復を行ったことがありました。ビニールシート自体を直すことはできないので、もう少し化学的に安定したものに置き換えるのですが、勝手にはできません。現代美術は、作家が健在の場合が多いので、作家と協議して、どのような修復を行うか、どの材料に置き換えるかを話し合いながら、修理するのです。

修復作業をしながら、技法、材料、作家の考えやコンセプトを記録しておくことも大変重要です。将来的に修復士も作家も亡くなったあと、一番重要になるのはそうした記録ですから。事例を積み重ねていくことで、例えば、「2000年に作られたこのタイプの作品に関しては、こういった修復方法で行う」というように、修復方法が徐々に確立されていきます。

所蔵品を他館の展覧会に貸し出す際には、貸出先の温度や湿度など、あらゆる情報をアーカイブ化します。そうすることで、どういった環境が作品に対して悪い影響を及ぼしたか、などのデータが残り、「この作品は湿度の高いところには貸し出せない」といったことがわかりますよね。

ガラスの天井越しに小塚山を望む、ロビーからの眺め(ポーラ美術館提供)
ベースの素材こそが、絵画のかなめ

絵画制作で最も重要なのは、一番下の素材です。

油彩画でしたら、木枠に支持体の布を張り、絵の具が下に抜けないようににかわで目止めをして、その上に白い下地を塗ってから絵を描くという、層構造になっています。木枠の形が悪いと、それが必ず最後まで邪魔をします。

日本画の場合も、紙や絹などの素材の層構造の上に表現が成り立っていますから、紙の質が悪いと、あとで変色して表面に表れてきます。下地の影響で黄変してしまった絵は、どんなにきれいに描かれていても、あまり見たくないですよね。

ですから、絵を描く時は、一番下のベースとなる素材にこだわってほしいと思います。素材が良ければ、いい表現ができますし、カビも生えにくく、傷もつきにくい。良い素材を選ぶことで、自分の作品が100年後、200年後も物理的に残るかもしれません。周辺の人々が残してくれるかもしれません。

絵を鑑賞するときにも、そうした素材や構造まで意識しながら多角的に見ると、より楽しめると思います。

墨に親しんで

―子どもの頃から、美術が身近にありましたか?

私は墨の匂いのなかで育ちました。父が書家で、書道教室をしていて、書のついでに描いた水墨画を売ったりもしていたのです。ですから、幼稚園生の頃から、見よう見まねで、毛筆で書いていましたね(笑)。自分で墨をって年賀状を書くというのも、当たり前にしていました。

父がしていた書道や水墨画とは真逆の方に行きたくて、高校時代に油絵を始めました。紙も水も使わず、モノクロームではないもの、と考えると、自分の中では油絵しかなかったですね。でも時を経て、今は、美しい墨線で知られる藤田嗣治つぐはる(レオナール・フジタ)の研究をしていますので、いつの間にか、原体験である墨の世界に戻ってきてしまったわけですが(笑)。

高3の夏に、美術の道に進みたいと思い立ちました。とはいえ、ずっと運動部だったので、美大受験の準備はまったくしておらず、美術部の入試向けのデッサン会に参加させてもらったぐらいで。高3の9月からの準備では現役で受かるわけもなく、1浪して滑り込んだという感じです。

他の大学の美学・芸術系よりも実技の時間が多くてオールマイティーに学べる専攻ということで、金沢美術工芸大学の芸術学(美術科)に入りました。そこで学んだことは、自分のベースになっていますね。絵そのものを見てから、制作背景を考えるという訓練ができたと思うのです。実際に物に触れたり作ったりした経験をもとに、その対象について語るということです。

大学時代は、ヨーロッパの油彩画の技法の成り立ちに関心がありました。初期フランドル絵画、イタリアのべネチア派、ルーベンス、ヤン・ファン・エイクなどです。西洋絵画の油彩画の材料を研究している先生に教えていただきながら、その先生が手をつけ始めていた技法書を訳して、そこから得られた情報をまとめたものを卒論にしました。

森の遊歩道にたたずむ、アイ・ウェイウェイの「鉄樹根」(2015年)
(ポーラ美術館提供)
時を超えた縁

-そのあと、東京芸術大学の大学院で、絵画修復を専攻したのですか?

東京芸大には、芸術資料館(現・大学美術館)があり、明治29年(1896年)、(芸大の前身である)東京美術学校に黒田清輝が率いる西洋絵画のコースが新設された頃に、当時の学生が描いた油絵が所蔵されています。私は大学院の授業で、そうした作品を使って、絵画修復の技術を学びました。

黒田清輝、和田英作、藤島武二たけじ、岡田三郎助さぶろうすけなどの教え子たちの作品です。黒田清輝が結成した白馬会はくばかいに関わる人たちなので、そうした美術団体についての勉強にもなりました。

絵画修復をすると、画家の息づかいのようなものが感じられます。粗いタッチで描いてある絵だったら、この画家は少し性格も粗いのかな、とか。この人はちょっと細かい性格かな、とか。そうしたことは、文献には出てきませんよね(笑)。その絵自体から美術史を考えることができるのです。

展覧会では、科学的な調査も紹介しています。ポーラ美術館で2011年に開催した、藤田嗣治の回顧展「レオナール・フジタ-私のパリ、私のアトリエ」では、裸婦像の技法を紹介しました。先行研究でも、フジタが乳白色の肌を描く時に、ベビーパウダーを使っていたことは言われていたのですが、この展覧会の時に、日本で描いた絵には具体的にこのメーカーのベビーパウダーを使っていた、ということが、この時に特定できたのです。

9月5日まで開催している企画展「フジター色彩への旅」でも、藤田の画業と生涯とともに、そうした絵画技法についてもご紹介しています。

◇ ◇ ◇

内呂博之・ポーラ美術館学芸員(鮫島圭代筆)

幼少期から墨に親しみ、大学院時代には明治期の美大生たちの絵画修復をしたという内呂さん。絵画修復士ならではの視点から解説していただいた、絵を描くときの心得や、絵の楽しみかたをヒントに、より深く日本美術を楽しむことができそうですね。

【内呂 博之(うちろ・ひろゆき)】1972年、富山県生まれ。金沢美術工芸大卒。東京芸術大・大学院美術研究科博士後期課程(保存修復油画)を中退後、金沢21世紀美術館コンサベーター(保存修復家)兼キュレーター(2014~18年)などを経て、現在は、ポーラ美術館学芸員。美術作品の保存修復、絵画技法史、近現代絵画史が専門。担当した主な展覧会は「フジタ―色彩への旅」(21年)、「レオナール・フジタ-私のパリ、私のアトリエ」(11年)。「もっと知りたい藤田嗣治―生涯と作品」(13年)、「藤田嗣治画集」(14年)、「猫と藤田嗣治」(19年)の共著がある。画家として、藤田嗣治の絵画技法研究に基づいた作品の制作も行っている。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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