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2022.10.26

【和をつなぐ 一座建立の茶(上)】 茶の心 コロナでも不変

読売新聞大阪発刊70年 特別展「みやこに生きる文化 茶の湯」

高台寺で催された「観月茶会」。参加者は飲食の時以外はマスクをつけていた(9月9日、京都市東山区で)=河村道浩撮影

 コロナ禍が最初のピークを越えた2020年6月以来、茶道裏千家が公式ホームページに公開する十六代千宗室家元(66)の動画がある。紹介されるのは「各服点かくふくだて」と呼ばれる作法だ。

 茶の湯では、同席する客が濃茶こいちゃを一碗わんで回し飲みする。心を通わせるためとされるが、「非接触」が求められる中、関係者は頭を悩ませていた。

 動画は盆に人数分の碗を並べて茶をて、盆を回して客が一碗ずつ手にとる作法を伝授する。この各服点は110年ほど前の明治末期、宗室家元の曽祖父・圓能斎えんのうさいが、回し飲みを嫌う人への配慮で考案した。当時、コレラや肺結核などの感染症が流行しており、今に重なる。

 「流儀問わず、各服点を参考にして、茶を楽しんでほしい」。流派を超えた宗室家元の呼びかけは、危機を乗り越える決意の表れでもあった。

 千利休から400年以上続く茶の湯には、不変の精神が息づいている。コロナ禍の逆境は、原点を見つめ直す機会にもなりそうだ。

「心通わせる」原点回帰
「密回避」の逆境乗り越え

豊臣秀吉を弔うため、正室・北政所が建立した京都・高台寺。観月茶会が催された9月上旬、中庭を望む和室には、茶を点てる音だけが響いた。

秀吉は茶の湯を庇護ひごしたことで知られる。ゆかりの高台寺では折に触れて茶会が開かれてきた。

コロナ禍で一時中止した茶会は、少しずつ再開されているが、その様子は一変した。この日も24人の参加者は2席に分けられ、菓子は取り回しではなく一皿ずつ配膳。飲食の時だけマスクを外した。

大規模な茶会にはいまだ慎重で、例年、北政所の命日の10月に催される500人規模の茶会は、今年で3年連続の取りやめが決まった。

高台寺の田中敬子事務長は「制限は残念だが、人数が減った分、丁寧なもてなしを尽くす『一客一亭』という茶の湯の本質を実践できていると感じる」と話す。

三千家の他 様々な流派 
 現在数百あるともいわれる茶道の流派で代表的なのが、千利休に始まる京都の千家だ。利休の孫・宗旦の三男・宗左が表千家、四男・宗室が裏千家、次男・宗守が武者小路千家をそれぞれおこした。利休の兄弟弟子が流祖の藪内家も京都で今に続く。所作などに違いがあり、当主の名前はいずれも代々継承されている。
 江戸時代には武士の日常の動作を所作に取り入れた「武家茶道」が広がった。徳川家の茶道指南役だった大名茶人・小堀遠州が始めた遠州流は、わびの精神に明るさ、美しさ、品格を加えた「綺麗きれいさび」が特徴だ。

戦国時代にかけ、茶の湯は禅の思想との結びつきを強め、それまで流行していた道具や調度の豪華さではなく、簡素な境地で精神的充足を求める「わび茶」が現れた。

わび茶を大成したのが、堺の商人で禅も学んだ千利休だ。高弟が記した秘伝書「山上宗二記」では、茶の湯の精神を「一座建立」と表現。客と亭主が心通わせ、一体で茶席を作り上げる重要性を説いた。濃茶を一碗で回し飲みするのも一座建立の表れとされる。今年で利休生誕から500年。長い歳月を経てもなお、その精神は脈々と受け継がれている。

江戸時代を通じて武士の教養とされ、各流派の家元は各地の大名に仕えたが、明治維新で大名が消滅すると危機に陥る。活路になったのは、今では全国の寺社で家元が行う献茶だ。大規模な茶会を伴うようになり、一般に広まる転機となった。そして、茶道は和室での立ち居振る舞いなどを学ぶ「女子のたしなみ」として飛躍的に普及する。

◇  ◇  ◇

しかし、和室や和装が姿を消しつつある近年、茶の湯をたしなむ人は減少。2021年の茶道人口は約92万人で、25年間で3分の1ほどになった。茶道研究家の筒井紘一ひろいちさん(82)は「コロナ禍はそんな茶道離れに追い打ちをかけた面もある」と解説する。

大規模な茶会の開催は困難になり、稽古の見合わせも相次いだ。茶道団体からは、マスクや消毒などの感染対策によって「美をきわめる茶道とはかけ離れてしまった」との嘆きも漏れた。

そんなコロナ下でも「密」を避け、気心の知れた数人で開く茶会は続いた。SNSには「お抹茶好きな人とつながりたい」などのハッシュタグを付け、自宅などで茶を楽しむ様子を発信する人は少なくない。「少人数で料理や茶を楽しむ会はコロナ前より増えている」と指摘する若手茶人もいるほどだ。

筒井さんは「生活様式が変化し、茶の湯は岐路にあるが、利休の時代でさえ数年ごとに形を変えてきた。『おもてなし』や『心を通わせる』という原点に立ち返り、また形を変えればいい」と語った。

   

国宝「観楓図屏風かんぷうずびょうぶ」(部分)
◇狩野秀頼筆 東京国立博物館蔵

国宝「観楓図屏風」(部分)
10月23日まで展示
(画像提供:東京国立博物館)

現在の京都市北西部、紅葉の名所として知られる高雄で茶を楽しむ人々の姿が色鮮やかに描かれている。

傍らには、室町時代になって登場した「一服一銭」と称される茶売り商人の姿。てんびん棒の一方に湯をわかす釜と風炉、もう一方に青磁や白磁とみられる茶碗が並び、立ったまま抹茶を点てているようだ。この時代に喫茶の風習が広がっていることがよく分かる。

狩野秀頼は狩野元信の次男または孫とされ、屏風は室町~桃山時代(16世紀)の作。近世の風俗画の先駆けとしても知られる六曲一隻だ。

(2022年10月2日付 読売新聞朝刊より)

特別展「京に生きる文化 茶の湯」
(京都国立博物館)
公式サイトはこちらから

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