鮮やかな配色と斬新なデザインが目を引く武将たちの服飾類は、異国文化が流入した戦国時代から近世初期の雰囲気を伝える。上杉謙信らゆかりの服飾類の修理には時間を要したが、見事に美しくよみがえった。その技術を詳報するとともに、歴史の息吹を伝える。
上杉神社所蔵の重要文化財「金銀襴緞子等縫合胴服」などの修理材料は在来の絹製作の技術でつくられている。「明治期以降、絹は日本の近代化を担う産業として発展を遂げたが、一方でそれよりも前にあった絹をつくる技術は顧みられないまま失われた」と長野県飯島町在住の志村明さん(72)=写真=は言う。
2021年に国の選定保存技術として「在来絹製作」の技術が選定され、その保持者として志村さんが認定された。この技術は近代化以前にあった在来の繰糸技術を中心に据えて、桑の栽培、採卵による蚕品種の維持、蚕の飼育、繭の保存、糸繰り、機織りまでの工程を一貫して実践する絹づくりの技が対象となっている。
つくられたものは、これまでに国宝「琉球国王尚家関係資料」のうち「白地牡丹尾長鳥燕鶴菖蒲文様紅型平絹衣裳」(那覇市蔵)など数多くの文化財修理に用いられた。
志村さんは東京出身。高校卒業後、沖縄県に渡り、染織工芸、特に絹織物の技術の修練を積み、養蚕から製糸、製織までの絹織物の工程を一貫して行うようになった。03年に一番よい繭づくりの場所を求めて飯島町に移住した。
今年に入り現役を退いたが、同町にある勝山織物絹織製作研究所で後進の育成に力を注いでいる。
志村さんは「飯島町で作る絹素材の多くは着物ではなく文化財を守るための材料として使われている。絹素材の製作には幅広い知恵と技が必要で、それだけに面白いものでもある。1年の季節の巡りと深く関わりながら、一からものを作ることに関心を持った若い人が、技術を継ぐ仲間として集まってくれるとうれしい」と話している。
(2024年7月7日付 読売新聞朝刊より)
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