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2025.8.21

【戦後80年 戦禍の記憶 今もそばに1】増上寺 ― 守り抜いた三大蔵さんだいぞう 空襲で焼け落ちた名建築も

国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」に登録された、増上寺(東京都港区)所蔵の「三大蔵(さんだいぞう)」のうち元版の大蔵経

今年〔2025年〕は戦後80年。戦争体験者が減少していく中、戦禍を伝える当時の建造物や遺跡の重要性が増しています。生々しい傷痕は強いメッセージを発しています。今月の「紡ぐプロジェクト」特別紙面は、先の大戦に関連した日本各地の文化財を紹介します。災いから逃れ、または再建されて人々を励ましたものもあります。現状と次世代への継承に向けた課題を見つめます。

首都・東京では度重なる空襲で、貴重な文化財が失われた。徳川将軍家の菩提ぼだい寺・増上寺(港区)には黒と赤の漆を基調に金細工で装飾を施した国宝の霊廟れいびょうなどがあった。日光東照宮の原型ともいわれる江戸時代の名建築だったが、空襲で焼け落ちた。「増上寺の近代史は幕を閉じたといっても過言ではないほどの大打撃であった」。寺史でも当時の惨状が紹介されている。

一方、増上寺の表の顔でもある巨大な「三解脱門さんげだつもん」(国重要文化財)、2代将軍秀忠の墓所の惣門そうもん「旧台徳院霊廟惣門」(同)など被災を免れた江戸時代の貴重な建物もある。土蔵造りの「経蔵」(都指定文化財)もその一つ。戦時中には狩野一信筆「五百羅漢図」などの寺宝が納められ、空襲から守る役割も果たした。

戦時中に貴重な寺宝を守った増上寺の「経蔵」=飯島啓太撮影
戦火を免れた狩野一信筆「五百羅漢図」
奥多摩に「疎開」

寺宝の中でも特に重要だったのが初代将軍・家康が収集し、増上寺に寄進した仏教経典群「三大蔵さんだいぞう」だ。中国の南宋、元、朝鮮半島の高麗の3時代に、当時最高の技術で制作された版木による木版経典群は、文部省(当時)の指導で戦時中、奥多摩に「疎開」した。今年4月、歴史的に重要な文書や絵画などを保存、活用する国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録された際も、関東大震災や空襲などの災難を経て、今に受け継がれている点が評価された。

増上寺で教務部長を務める袖山栄輝執事(61)は「平和と安寧を願う家康公ゆかりの仏教聖典をこれからも受け継いでいきたい」と話す。

10月から福岡へ

7月1日には記念法要が営まれ、八十九世の小澤憲珠法主が「世界の記憶」への登録を報告した。記念式典では、小説家で印刷博物館(東京都文京区)館長の京極夏彦さんが「デジタルメディアと大蔵経」と題して講演し、「文化の最大の敵は天災と戦争。それでも三大蔵は残されてきた。今はデジタル技術でアーカイブ化されており、次代につなぐ足がかりになる」と話した。

三大蔵は10月7日から九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開かれる特別展「法然と極楽浄土」で展示される。

(2025年8月3日付 読売新聞朝刊より)

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