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2021.3.29

【大人の教養・日本庭園の時間】<桜スペシャル>日本人はなぜ桜にひかれる?庭のプロが解説!

桜の花が開き、春の訪れを感じます。この時期になると「京都で桜を見たい!」という方が多いのではないでしょうか。京都・南禅寺などの古刹こさつの庭園を手がける造園会社「植彌加藤造園うえやかとうぞうえん」の山田咲さんは、古都の桜の風景が昔はひと味違ったといいます。ソメイヨシノの秘密とは? 花見の起源は? 日本人と桜の切っても切れない関係をひもとく「桜スペシャル」、緊急寄稿です。


©植彌加藤造園

桜の季節がやってきました。これまで「大人の教養・日本庭園の時間」では、日本庭園の見方をお伝えしてきましたが、今回は特別編として、お庭で最も変化に富む要素である植栽のうち、桜にテーマを絞って、より深くお庭を楽しんでいただこうと思います。

ソメイヨシノが全国一斉に開花するわけ

一年で一番華やぐ季節がやってきました。そうです、桜の開花です。その中でも、ソメイヨシノは人気の高い品種です。実は全国にあるソメイヨシノは、みな同じ遺伝子をもつ「クローン」だということを、ご存じでしょうか? ヤマザクラなどの野生の桜は、同じ種類でも個体ごとに開花期にかなりばらつきがありますが、ソメイヨシノが一斉に開花するのはこのためです。「日本庭園の楽しみ方」編でもお話ししてきたように、このソメイヨシノの美しさも、人の技が自然に関係することで生み出された美であると言えます。

桜が咲くと気持ちが高揚し、木の下で宴会を開き、桜が散ると世のはかなさを感じるなど、日本人にとって、桜はただの植物にとどまらない、精神性にも影響しうるような大きな存在になっています。太古の昔からそうだったと考えられがちですが、実は結構な変遷があります。なぜ、桜はここまで大きな意味を持つ植物になったのでしょうか。その経緯を追ってみましょう。

奈良時代は桜より梅

現代の日本人にとって、「花」といえば、しばしば桜を指し、春といえば、桜を思い浮かべるほど、桜はたいへんなじみ深い花ですが、その深い関係性は古代から続いています。実はほんの近代まで、桜の開花は稲の耕作開始時期を示す「暦」として活用されていました。

国文学者だった故・桜井満氏は著書「花の民俗学」の中で、サクラの語源について、「『サ』は穀物に宿る精霊の古名、『クラ』は神の居場所である神座(かみくら)を表わすことばであるから、穀霊の依り代(よりつくもの)ということ」と分析しています。花見は秋の実りを神に祈る行事であり、稲作を行う人々は、桜の開花を、山の神が里に下りてきたしるしと考えていたのです。

しかし、かつては「花」ということばが、桜ではなく梅を指していた時代がありました。奈良時代に成立した万葉集には、160種以上の花がうたわれていますが、そのなかで最も多いのは萩(約140首)で、次点が梅(119首)でした。桜を詠んだものは42首と言われており、比べると、少なく感じます。

光源氏もお花見を

めでる花としての桜がメジャーになったのは、平安時代からだと言われています。仁明天皇の時代(833~850年)に、御所の紫宸殿ししんでんの庭にあった「右近のたちばな」と「左近の梅」の梅が桜に変わったと言われており、日本独自の国風文化が発展したこの時代に、桜が特別な存在になったと考えられています。

「源氏物語絵巻断簡」(平安時代・12世紀、東京国立博物館蔵)には、光源氏が桜の下で宴を開く様子が描かれている(出典:ColBase

嵯峨天皇の時代(809~823年)には、桜の花を観賞しながら詩歌管弦を楽しむ宴が催された記録があります。飲食をしながら桜をめでるという、現代にもつながる「花見」の歴史は、1200年ほど前にははじまっていたことになります。

日本の桜はヤマザクラ

江戸時代になると、江戸の上野・寛永寺に奈良・吉野山からヤマザクラが移植されたり、隅田川の堤や飛鳥山、御殿山といった桜の名所が造成されたりして、一般庶民がたくさん集って花見をおこなうようになりました。この時代は、桜の木の下で宴会をするというより、花の咲いた木の周囲を見物するものだったようです。

平安時代から江戸時代までのおよそ千年にわたって、日本で「花見」の対象となった桜はソメイヨシノではなく、ヤマザクラでした。現在、私たちが観賞する桜には、ほかに八重咲きのものや枝垂れたものなど多様な品種がありますが、これらのほとんどは、江戸時代以降に生まれたものです。

「飛鳥山花見」(鳥居清長筆、東京国立博物館蔵、出典:ColBase
ソメイヨシノは文明開化とともに

現在、河川敷や公園などで最もよく見かける桜である「ソメイヨシノ」も、江戸時代末期に江戸の染井村の植木屋さんが奈良県の桜の名所である吉野にちなみ、「吉野桜」として売り出していたのが始まりと考えられています。

この桜は、花付きの良さと成長の早さなどから人気を呼び、明治時代になると、にわかに全国に広がりました。それまで花見の代表であったヤマザクラは、花が咲くのと同時に赤い葉も芽吹くので、花が咲いた木全体が赤っぽく見えます。これに対して、ソメイヨシノは花が終わってから葉が芽吹くので、淡いピンクの花が豪勢につく様子は、花見の対象として理想的でした。文明開化の世において、その華やかさが好まれたことは納得です。

ヤマザクラ

ソメイヨシノは現在、北海道から鹿児島に至るまで、ほぼ全国に植栽されていることから、気象庁の開花観測の対象になっています。これは、気象庁の「生物季節観測」という観測の一環で行われています。2020年をもって生物季節観測の9割が廃止されましたが、桜については、その話題性から、続けられることが決まっています。

近年では、民間機関も桜の開花を予想しており、桜の開花がいかに日本人にとって大きな意味をもっているかがよくわかります。

平安の桜、令和の桜

京都の春の景色にも、今や桜は欠かせない存在です。しかし、この景色が平安の時代から同じように見られていたわけではないことは、これまでのお話でご想像いただけるかと思います。

歌舞伎の名作「楼門五三桐さんもんごさんのきり」では、京都・南禅寺の三門から、石川五右衛門が桜の景色を眺めて「絶景かな、絶景かな」と言うシーンがおなじみです。実際に現在、南禅寺三門周辺には、たくさんの桜が植えられており、人気のお花見スポットになっています。しかし、明治時代は、この場所に主に赤松が植えられていました。ですので、石川五右衛門の時代も、おそらくは赤松が主の林相であったと考えられます。夢を壊してしまって、申し訳ありません。

現在の南禅寺三門周辺 ©植彌加藤造園

実は、今や春の京都というと、桜のイメージですが、かつては、今ほどではありませんでした。はじまったのは戦後。1964年の東京オリンピックの頃から70年代にかけて、京都には多くの観光客が押し寄せ、施設の維持管理も大変だということで、京都の寺社では参拝料金をいただいて、一般の方にご覧いただくシステムを整えました。観光ブームの幕開けです。

この際に、より写真映えする桜やモミジといった樹種が寺社の庭園に新たに植栽されました。見た目も楽しめる植物が選ばれたことは、自然な流れと言えるでしょう。

植栽の歴史を知ると、見える景色も奥深くなりますね。次回は、様々な桜の種類について、お話しします。

参考文献―――
桜井満 (2008). 花の民俗学. 講談社.
勝木俊雄 (2015). 桜. 岩波書店.

桜のおすすめスポット!

■南禅寺
https://www.nanzenji.or.jp/

徒歩7分に無鄰菴があります。カフェでご休憩もどうぞ。

「日本庭園の楽しみ方」はこちら

山田咲

プロフィール

植彌加藤造園 知財企画部長

山田咲

1980年生まれ。東京都出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒業、東京芸術大学大学院映像研究科修了。現在、京都で創業170余年の植彌加藤造園の知財企画部長を務める。国指定名勝無鄰菴をはじめ、世界遺産・高山寺、大阪市指定名勝の慶沢園などで、学術研究成果に基づいた文化財庭園の活用のモデルを推進。開発した[文化財の価値創造型運営サービス]が2020年度グッドデザイン賞受賞。他方で舞台芸術作品の制作などにも関わり、文化的領域を横断した活動を続けている。

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