国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に、これまでに日本から登録された8件は、古代から昭和の時代まで、先人が書き残し伝えてきた文字、絵など希少な歴史資料として高く評価されている。所蔵元は、次代へ伝えるべく大切に保管し、修理を進めるとともに、デジタルアーカイブ化による検索を可能にしたり、現地で実物をいつでも見られるよう公開したりと、誰もが手軽に資料を閲覧できる環境を整えている。歴史の事実を訴えかけてくる人類共通の遺産「世界の記憶」のメッセージに触れてみたい。
新たにユネスコの「世界の記憶」へ登録が決まった「智証大師円珍関係文書典籍―日本・中国の文化交流史―」は、いずれも国宝の「智証大師関係文書典籍」(滋賀・園城寺蔵)▽「五部心観」(同)▽「円珍関係文書」(東京国立博物館蔵)▽「円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書」(同)――の計56資料からなる。
平安時代、唐に渡って密教の教えを学び持ち帰った円珍(814~891年)の出自、入唐の際の文書類、唐で集めた経典や目録などで、当時の日本と中国の文化交流の様子と中国の制度を伝える世界で唯一残る資料群だ。
東京国立博物館の恵美千鶴子書跡・歴史室長は「今で言う辞令などをきちんと残しており、自分がやってきたことを伝えたい、次に続く人たちのために残したいと意識的に集めていたのがわかる。文書には、いつ誰が書いたのかなどのメモを追記したものもあり、その情報も貴重」と説明する。
円珍は帰国後、天台寺門宗の総本山・園城寺(三井寺、大津市)を再興して持ち帰った経典類を納め、第5代天台座主もつとめた。園城寺の福家俊彦長吏は「文書類は始祖の遺品で崇敬の対象」と話す。園城寺は戦乱などで11回も壊滅的な焼き打ちにあったが、「先人たちが時に命がけで守ってきた」。
今回の登録を機に、歴史を伝える資料として改めて光が当たる。福家長吏は「なぜこれらが大切なのか理解できなければ、守り継ごうという思いは持ってもらえない。書かれている内容や、関わった人たちの物語などをわかりやすく伝える工夫をしていきたい」と考えている。
「世界の記憶」とは
◆文書や絵画など対象 国際登録は計494件に人類にとって忘れてはならない文書、記録など貴重な遺産を保存、活用するために、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が1992年に創設、95年から登録を始めた。旧ユーゴスラビア内戦で、ボスニア・ヘルツェゴビナ国立・大学図書館が破壊され、貴重な記録文書が失われたのを機に、人類共通の遺産を守る意識が高まり制度創設につながったという。
登録の対象は、文書以外に絵画、写真、映画、録音、楽譜などまで多岐に及ぶ。原則として2年に1度、ユネスコ事務局長が指名した有識者による国際諮問委員会で選定する国際登録とアジア太平洋地域委員会などが選定する地域登録がある。国際登録は、2023年は世界で64件を登録、制度開始以来494件にのぼる。
各国から最大2件(共同申請は含まない)の登録の推薦が認められている。日本からは、今年、登録が認められた「智証大師円珍関係文書典籍―日本・中国の文化交流史―」はじめ、これまでに8件を登録している。資料の価値は国によって評価が分かれるケースがある一方で、「慶長遣欧使節関係資料」はスペイン、「朝鮮通信使に関する記録」は韓国と、国境をまたいで共同で申請し登録が実現した。
日本は公文書の廃棄が問題となるなど、文書など歴史遺産のアーカイブ(記録保存)に対する意識が薄いと言われ、「世界の記憶」の価値が浸透すれば、新たな遺産の発掘、保存が進むと期待されている。
日本ユネスコ国内委員会の白井俊事務局次長は「登録を機に貴重な文書、記録をデジタル化などで広く公開し、保存が進む環境が整うよう期待したい」とする。
(2023年7月2日付け 読売新聞朝刊より)
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