2021.12.17
円山応挙筆「寿老西王母孔雀図」
埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)の井上海・学芸員へのインタビュー。今回は、ある江戸絵画との衝撃の出会いから、仕事上のさまざまな経験、そして、博物館の魅力とイチオシの所蔵品についてうかがいました。
―小さい頃から美術に関心はありましたか?
絵を描くことやお話を作ることが好きで、母いわく、幼稚園生の頃には、絵本を作っていたそうです。小学生のときは、絵や工作を学ぶ週末の楽しいカリキュラムに参加していました。中学校から美術部に入り、高校の美術部では、顧問でシルクスクリーンの版画家、菱田俊子先生のもと、美術の楽しさに触れました。
中学時代は、西洋美術を見に国立西洋美術館(東京・上野)などに行っていました。特にモネの「睡蓮」が好きで、色の点々だけであれだけ鮮やかな世界を作りだして、光まで感じさせるのがすごいなと思って。高校時代には、雑誌の編集者だった父が、誌面で美術館特集をするたびに招待券を譲ってくれたので、日本美術の展覧会にも行くようになりました。
東京都美術館(東京・上野)の「日本の美 三千年の輝き ニューヨーク・バーク・コレクション展」(2006年)では、曾我蕭白の「石橋図」に目を奪われました。親獅子が子獅子を谷底に突き落とす試練の様子を描いた絵なのですが、子獅子の落ちる様子がユーモラスで、「江戸時代の人がこんなマンガみたいな絵を描いたのか」と思いました。それまでは印象派のカラフルな絵が好きだったので、墨一色でこんなに面白い表現ができることも衝撃でした。また、「蕭白は我が子を亡くした経験があり、そうした心情も重ねて描いたのかもしれない」という解説を読み、一見コミカルな絵からいろいろなイメージが読み取れるのは面白いなと感じました。
その後、蕭白や伊藤若冲などを紹介した、辻惟雄先生の名著「奇想の系譜」にも出会い、「江戸時代には、曾我蕭白以外にもこんなに面白い画家がたくさんいたのか」と衝撃を受けました。また、父が教えてくれた漫画「ギャラリーフェイク」で、学芸員という仕事の存在を知りました。
こうして美術史を志そうと思ったのですが、大学でインド哲学を学んだ母から「そういうマニアックな学問に行くなら先生で選びなさい」と言われました。そんな折、テレビで、学習院大学教授の小林忠先生と藤澤紫先生がボストン美術館の浮世絵のスポルディング・コレクションを調査して、喜多川歌麿の紫色に迫るという番組を見て感動したのです。それで学習院を第1志望にしました。
入学後、藤澤先生の基礎演習は、「美術史って面白い」という雰囲気を大切に、各自興味を持ったことを調べて、みんなで学ぶというスタイルだったので、私も好奇心の赴くまま、蕭白、岩佐又兵衛、大正時代の甲斐庄楠音など、奇抜な表現の画家たちを取り上げました。
2年生になると、よりアカデミックな研究の基礎を佐野みどり先生から学びました。学習院はカリキュラムがゆるやかで、複数の先生のゼミを同時に取ることができます。小林先生を筆頭に、先生方は共通して、「実際に作品を見に現地に行きなさい」という教えで、美術館の収蔵庫や社寺に連れて行っていただき、工芸の荒川正明先生のゼミ旅行では、窯跡や工房にもお邪魔しました。
卒業論文は、小林先生のもとで書きました。研究対象は、曾我蕭白も考えたのですが、すでに優秀な先輩方が浮世絵や奇想の画家を研究していたので怖気づいてしまって。そんな折に、江戸後期の画家、横山華山の水墨画「寒山拾得図」(ボストン美術館)に心引かれました。円山応挙を思わせる写実的な筆遣いの松と、橋本雅邦などの近代日本画を思わせる繊細なグラデーションで描かれた月という、異なる画風が一つの絵に同居している不思議な雰囲気の作品です。
美術史の教科書を開くと、江戸時代中期の京都画壇には、円山応挙、曾我蕭白、伊藤若冲、与謝蕪村、池大雅と、オールスターが百花繚乱のごとく現れ、少し遅れて、長沢芦雪、呉春らが登場しますが、その後、時代がいきなり明治へと飛んで、竹内栖鳳になります。その間に空白の時期があり、華山はまさにその空白の時代にいた画家です。
百花繚乱の時代ののち、その息子や弟子が活躍しますが、先代を超えることができず、彼らなりにモヤモヤしたと思います。そうすると、今度は流派を超えた交流が始まり、そのおかげで、華山のように、さまざまな画風を学んだハイブリッドな画家がでてきたのです。当時は、光や空気感を描くことにも少しずつ関心が向けられ、それゆえ華山の作品にも、近代に通じるような表現が出てきたのかなと思います。
この研究から6年後、「横山華山」展(東京ステーションギャラリー、2018年)をお手伝いさせていただくことができて感慨深かったです。
大学院の修士論文では、小林先生から「一人の画家についてではなく、江戸絵画の美術史上の大きな問題を掘り下げてはどうか」と助言していただいたこともあり、室町時代の水墨画が専門の島尾新先生のもとで、四季折々の農作業を描いた画題「四季耕作図」を研究しました。
その入り口は、久隅守景(江戸時代前期の絵師)の「納涼図屏風」でした。「美術史上の大きな問題ってなんだろう」と悩んでいたとき、東京国立博物館の国宝室で「納涼図」を見たのです。もともと好きな絵でしたが、「そういえばこの絵って変だな」と思って。家族らしき男女と子どもが夕涼みをしているプライベートな情景が、複数の人の目に触れる大きな屏風という媒体に描かれているのです。
調べたところ、守景は「四季耕作図」に、休憩する人々の姿を描き込んでおり、そこを拡大して取り上げて「納涼図」を描いたと考えられることを知りました。四季耕作図とは、もとは中国の皇帝が、農民が一連の農作業をとどこおりなくできるのは、自分の治世が平らかな証拠だと示すために、また自らを戒めるために描かせた画題です。それが室町時代の日本に伝わって、将軍の邸宅の襖絵などに描かれたのですが、江戸時代になると、田植えの場面がすごくにぎやかに描かれたり、釣りの場面が加えられたり、反対に、伝統的な描写が省かれたりするようになりました。
―見る人を楽しませるエンターテインメントになっていったのですね。
そうです。平和な江戸時代を迎え、権威を表象するという目的から徐々に離れて、注文者の要望や制作者の意図で、さまざまな四季耕作図が描かれたのです。そういう流れのうえに、守景の「四季耕作図」、ひいては「納涼図」も生まれたのではないかと思います。
こうして修士論文では、江戸絵画史に通底するひとつのテーマとして「四季耕作図」について掘り下げることができました。
―学芸員になるのは狭き門ですが、大学院在学中からさまざまな業務経験を積まれたのですね。
小林ゼミの先輩から声をかけていただいて、修士課程在学中に、静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)でアルバイトを始めました。修士2年生からは、町田市立国際版画美術館で展覧会のお手伝いや資料整理をする臨時職員をしました。その後、学部の時に取っていた司書資格のおかげで、早稲田大学の中央図書館で古典籍のデータベースを作る仕事を経験しました。
その頃に、小林先生が主幹、島尾先生が編集委員をされていた「國華」のアルバイトにお声がけいただきました。「こんな権威ある美術誌のお手伝いなんて」と恐れ多くて、研究と仕事のかけもちでご迷惑をかけるのではと思ったのですが、小林先生が「自分もかつては子どもをおんぶしながら論文を書いたり、仕事をかけもちしながら研究をしたりしていた」とお話ししてくださって。それで1年間ほどお世話になり、編集作業全般を経験して、とても勉強になりました。
博士課程2年生のときには、東京の千代田区立日比谷図書文化館の非常勤学芸員になり、老舗出版社の龍星閣から寄贈された竹久夢二のコレクションを調査し、その展覧会を東京ステーションギャラリー(東京都千代田区)で行いました。
その頃から常勤の学芸員のポストを探し始めたのですが、なかなか受からず、半年ぐらい無職だった時期もありました。一時は国立国会図書館の非常勤職員として、蔵書のデジタル化のための資料調査をしました。各地の学芸員の募集に応募し続けて、最終的には、埼玉県立歴史と民俗の博物館にご縁をいただき、2020年4月から勤め始めました。
―所蔵品のなかでオススメのひとつが、葛飾北斎の「鯉亀図」(トップ画像)とうかがいました。
円山応挙の上品な鯉も有名ですが、北斎の鯉は、鱗の緻密な描写などにリアルさが追求されていると同時に、少しデフォルメされています。ヒレがすごく反り返っていたり、亀の笑い方もちょっとニヒルだったり。よく見ると写実ではない表現が面白いですね。
画家の視点を考えると、水紋は水面に現れるものなので、水の中には見えないはずです。ですから、水の上から見下ろしているのか、ダイバーのように水中から見ているのか、不思議な構図です。
「鯉亀図」は文化10年(1813年)に描かれました。北斎はこの頃、読本の挿絵をたくさん手がけていますが、現代の漫画にも通じるようなあらゆる視覚表現を全て先取りしているのではないかと思うほど、かっこいいです。どこにどんな線を引けば視覚に訴えるかを追求し、この絵でも、「ここだ」という絶妙な場所に線を引いていますよね。北斎は浮世絵版画でも彫師に再三注文をつけたといわれ、線のディテールには並々ならぬこだわりがありました。
北斎はたびたび自分の画号を弟子に譲ったことでも知られますが、この作品もそのひとつで、「亀毛蛇足」という印をある門人に譲ると記されています。この門人は北明という女流絵師とされています。
この作品は12月21日から1月23日まで、埼玉県立歴史と民俗の博物館常設展示室の「近世絵画の世界」の第1期に展示しますので、年末年始におめでたい雰囲気を感じていただけたらと思います。
―最後に、読者へのメッセージをお聞かせください。
当館の建物は、戦後の建築家・前川國男の設計なので、建築が目当てで来館される方も多く、スピッツの楽曲「正夢」のプロモーションビデオに使われたロビーを見に来るファンの方もいらっしゃいます。来館されるきっかけは人それぞれで、社会科見学でとか、ゲームにハマって刀剣を見に来たとか、どんな理由でもうれしいですね。来ていただいたからには、ぜひ作品をじっくり見て、好奇心が刺激されるものを発見してほしいです。それをきっかけに、別の展覧会にも足を運んだり、本や映画を見たりと、新たな好奇心へとつなげていただけたらとてもうれしいです。
◇ ◇ ◇
埼玉県立歴史と民俗の博物館は、広い公園のなかにあり、お散歩も楽しめます。土器から民俗資料、刀剣、仏像や絵画まで、さまざまな展示品に刺激を受けに、ぜひ、お出かけください。
【井上海(いのうえ・うみ)】1990年生まれ。埼玉県出身。学習院大学文学部哲学科卒。同大学院人文科学研究科(美術史学専攻)博士課程満期退学。千代田区立日比谷図書文化館の文化財事務室学芸員などを経て、20年4月より埼玉県立歴史と民俗の博物館学芸員。担当した展覧会は、千代田区×東京ステーションギャラリー「夢二繚乱」(18年)、NHK大河ドラマ特別展「青天を衝け~渋沢栄一のまなざし~」(21年)。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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