2022.1.5

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 21-上 小林忠さん(岡田美術館館長) 

伊藤若冲「花卉雄鶏図」「孔雀鳳凰図」

伊藤若冲「孔雀鳳凰図」
江戸時代・宝暦5年(1755年)頃
絹本着色 2幅 各140.8×82.6 cm
(岡田美術館)

「わたしの偏愛美術手帳」では、各地の美術館の学芸員さんたちに、とびきり好きな「推し」の日本美術をうかがいます。美術館の楽しみ方といった、興味深いお話が盛りだくさん。このシリーズを通じて、ぜひ日本美術の面白さを再発見してください!

今回お話をうかがったのは、岡田美術館(神奈川県箱根町)の小林忠館長です。紹介してくださるのは、伊藤若冲じゃくちゅうの「花卉雄鶏図かきゆうけいず」と「孔雀鳳凰図くじゃくほうおうず」(いずれも岡田美術館)。若冲を始め、江戸時代の画家たちの名を世に広めた偉大な功労者のひとりである小林館長に、その魅力をうかがいました。

若描きの清らかな美しさ

―伊藤若冲の「花卉雄鶏図」(2022年2月27日まで岡田美術館で展示中)の見どころをお聞かせください。

伊藤若冲は、青物問屋の長男として生まれ、家業を継ぎましたが、数え40歳で弟に譲って、本格的に画家になりました。しかし、その前から、絵の勉強をかなりしています。この「花卉雄鶏図」も、署名やハンコ、画風から、引退前の30代の作品だと思われます。私は若描きが大好きで、技術的には未熟ですが、それを上回るエネルギーや繊細な詩情があると思います。よく練られた作品にはない、どう表現していいか模索している時期の面白さというか。この作品にもそうした繊細さや清らかさを感じます。

伊藤若冲「花卉雄鶏図」
江戸時代中期・18世紀中頃
絹本着色 1幅 109.9×49.2 cm
(岡田美術館)

―若冲はなぜ40歳で家業を引退して画家になったのでしょうか。

これは私自身が年を取って気づいたことですが、その背景には「人生50年としたら、あと10年しかない」という必死な思いがあったのではないかと思います。若冲は結婚せず、子どもがなかったので、両親と先祖の永代供養のために、死ぬまでに掛け軸の連作を描きあげ、相国寺しょうこくじ(京都市上京区)に寄贈しようと考えたのでしょう。そして、完成したのが「釈迦三尊像」3幅と、動植物を描いた「動植綵絵どうしょくさいえ」30幅(いずれも現在は宮内庁三の丸尚蔵館蔵)です。このうち6幅は、50歳までには間に合わなかったのですが、のちに完成させて追加で寄贈しました。若冲は結果的には、当時としてはとても長生きで、85歳まで生きたわけですが。

若冲がこの連作にかけた情熱と資力は、緻密ちみつな描き方、そして、使われている高価な絵の具や絵絹、表具からも明らかです。特に、軸の両端に使われている合計60個の象牙は高価ですし、舶来の青い絵の具、プルシアンブルーを日本で最初に使った画家は若冲ともいわれています。

若冲が「動植綵絵」を寄贈した相国寺の大典だいてん和尚は、若冲をたいへんかわいがったことで知られ、寿蔵じゅぞう(生前に建てる墓石)を建てて、銘文に若冲の半生を刻みました。それによれば、若冲は絵にはとても執着するものの、ほかには何の喜びも求めなかったそうです。ごちそうもいらない、お酒も飲まない、芸者さんのところにも行かないという。私は大塚駅(東京都豊島区)前の商店街育ちで、商売上の付き合いにはお酒が欠かせないと思うので、若冲は一体どうしていたんだろうと不思議なのですが(笑)。おそらく、大きな商家にはしっかりした番頭さんがいるものなので、若冲は商売ではわりとぼんやりしていたのではないかと。それでなければ、ここまで絵に打ち込めなかっただろうと思います。

「動植綵絵」に取りかかる前の、試し描きと思われる作品も伝わっています。そのひとつが、40歳で描いた「月梅図げつばいず」(米メトロポリタン美術館)です。この絵は、「動植綵絵」のうちの「梅花皓月図ばいかこうげつず」の試し描きと思われ、構図がほぼ同じなのですが、強くたくましい印象の「梅花皓月図」とは異なり、私好みの繊細な画風です。若冲は40歳のとき、ほかにも名品を多く残しており、「家業の重荷から解放されて、うれしくてしょうがない」という感じが伝わってきますね。

幻の名品

―「孔雀鳳凰図」(トップ画像、2022年3月6日~7月10日に展示予定)の見どころもお聞かせください。

こちらは、2015年に、80余年ぶりに再発見された幻の名品です。岡田美術館に連絡があり、すぐに見に行って譲っていただきました。大正時代に美術雑誌「國華こっか」に掲載されたのですが、その後長らく所在不明となっていたのです。

若冲は、40歳の時に描いた「旭日鳳凰図きょくじつほうおうず」(宮内庁三の丸尚蔵館)の図柄を応用してこの絵を描いています。さらに、この絵を試し描きとして、のちに「動植綵絵」の「老松白鳳図ろうしょうはくほうず」と「老松孔雀図ろうしょうくじゃくず」を描いたと考えられます。「動植綵絵」では、絵を描いた絹地の裏からも色を塗る「裏彩色うらざいしき」の技法を使って色の深みを増し、絹地の下に黒い紙を裏打ちして落ち着いた色調にしていますが、こちらは試し描きなので、裏彩色はせず、通常の白い紙で裏打ちしています。そのため軽やかな印象になっており、私はこちらの方が好みですね。

よく見ると、署名とハンコが画面の端に窮屈そうに入っていて、しかも、署名は若冲の後年の書体です。若冲は試作とはいえ手元に取っておき、のちに広島藩主の浅野家におさめることになった際、署名を加えるよう頼まれたのではないかと思います。構図も見事で、白い孔雀の羽が滝のように下へと流れる一方、鳳凰のハート形の羽が上へと上昇しています。

若冲の独創性

―若冲の個性である、動植物の命のうごめきを感じさせるような緻密な描写は、どのように生まれたのでしょうか。

若冲は最初、狩野派の絵を模写して技法を学び、次に、狩野派のルーツである中国画を1000点ほど模写したようです。そのあと、「実物を見て描かなければ、自分らしい絵が描けない」と考え、庭に数十羽の鶏を飼ったという逸話は有名ですね。

私は、その数十羽の鶏というのは、普通の単色の鶏だけではなく、さまざまな羽模様の鶏だったと思います。というのも、2016年に、鳥や虫、花の専門家の先生方と「若冲の描いた生き物たち」という本を出したのですが、そのときに「若冲が描いた珍しい羽模様の鶏は、江戸時代に実際にいたのでしょうか」と専門家にうかがったら、「いたでしょう」とのことでした。江戸時代は花や鳥などの品種改良がとても盛んでしたから、こうした柄の鶏がいてもおかしくないだろうと。若冲が描いた鶏にはそれぞれモデルがいたのだろうと思います。

また、若冲の緻密な描写には、長崎に渡来した清の画家、沈南蘋しんなんぴんの流れをくむ南蘋派の影響もうかがえます。しかし、南蘋派が現実的な空間を再現しようとしたのとは異なり、若冲は画面のなかにぎゅっと詰め込むように描き、空間を圧縮しています。若冲の絵のような光景は、現実にはないですよね。黒沢明監督の映画で、遠くにいる人々を映して、だんだんカメラのほうに近づいてくるシーンがありますが、あれに似ていると思います。

―若冲の表現は、今までにない斬新なものだったわけですね。

そうですね。江戸時代中期、自分の好きなことを好きなようにできる時代が来たのだと思います。俳句や漢詩でも、新しくて繊細な表現が生まれました。武士は「二日酔いよりつらいことはない」といったほど、平和な時代でしたから、生活に余裕のある武家や商家の人々は、退屈な時間の流れの中で、そうした変わった表現に出会うのを楽しんでいたのでしょう。京都は歴史も長く、そうしたものを受け入れる文化的な深さもありました。

岡田美術館の外観(同館提供)
若描き発見のススメ

一方で、貧富の差はとても大きかったわけですが、と同時に、「上のものは下の者に恩恵を施すべきだ」という社会的な意識も強かったようです。庄屋クラスの豊かな農民は、今でいう図書館や美術館のように、貸本や浮世絵などの美術品を置いておく場所を自宅に設けるなど、地域のために文化的な貢献をしていたのです。私はそれを知って目を洗われる思いでした。今のお金持ちはそういうことをあまりしないですよね。画家と美術愛好家の距離も、今より近かったと思います。

―現代の日本では、他の先進国より、絵を買う習慣が少ない印象です。それこそ優れた若描きを発見するチャンスだと思いますが。

そうなのですよ。美術品は値段が流動的なので、若冲の作品も、数十年前までは普通の会社員でも無理すれば買えたそうですが、今では数百万円だった名品が数億円に跳ね上がっています。実は私の長男が最近、若いアーティストを支援しようと、東京・渋谷にギャラリーを開きました。私もお祝いがてら、7万円ほどの版画を買って、「釣りはいらねえ」「太っ腹だねえ」と、息子とやりあったのですが(笑)、作家さんはその作品の制作に3か月かけたそうです。3か月かけて7万円ですよ。若冲は晩年、一斗の米の代金、今に換算すれば1万円ほどという安価で墨絵を譲ったと伝わっており、今でもそうした人がいるのだなと思いました。今のお金持ちも、もっと若い画家や彫刻家の作品を買ってあげたらいいのにと思いますね。

◇ ◇ ◇

小林忠・岡田美術館館長(鮫島圭代筆)

小林館長のお話をうかがっていると、若冲が一心不乱に絵に打ち込む様子や、そうした個性的な芸術を育んだ、江戸時代の京都のゆるやかな雰囲気まで想像できますね。次回は、江戸絵画の研究へと導かれた道のりや、美術を楽しむやさしいヒント、そして、箱根が誇る美の殿堂、岡田美術館の魅力をうかがいます。

わたしの偏愛美術手帳 vol. 21-下に続く

【小林忠(こばやし・ただし)】1941年、東京都生まれ。68年、東京大学大学院修士課程修了。東京国立博物館絵画室員、名古屋大学文学部助教授、東京国立博物館情報調査研究室長、学習院大学文学部教授・同名誉教授、千葉市美術館館長、国際浮世絵学会会長、「國華」主幹などを歴任。2013年から、岡田美術館館長。「浮世絵ギャラリー 北斎の美人」「浮世絵ギャラリー 歌麿の美人」「教えてコバチュウ先生! 浮世絵超入門」「教えてコバチュウ先生! 琳派超入門」「光琳、富士を描く! 幻の名作『富士三壺図屏風』のすべて」(いずれも小学館)などの著書がある。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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