2022.2.1
伊藤若冲「乗興舟」
和泉市久保惣記念美術館(大阪府)の後藤健一郎・学芸員へのインタビュー。今回は、後藤さんが学芸員を目指すきっかけになった展覧会や、和泉市久保惣記念美術館の魅力などについてうかがいました。
―美術史に興味を持ったきっかけをお聞かせください。
小学生の頃、「信長の野望」というゲームがきっかけで歴史が好きになりました。そして、大学受験で浪人をしていたときに「特別展 やまと絵 雅の系譜」(東京国立博物館、1993年)を見て、「普通の歴史ではなく、美術の歴史を勉強したい」「学芸員になりたい」と思うようになりました。絵巻がたくさん展示されており、特に「信貴山縁起絵巻」の激しい動きの描写やきれいな色に魅了されたのです。
その後、関西学院大学の美術科に入り、図書館の本で見た曾我蕭白の「群仙図屏風」の濃い色使いに引かれました。そして、指導教授にすすめられた辻惟雄先生の名著「奇想の系譜」を読んで、伊藤若冲に興味を持ちました。奥行き感のない、平面性やデザイン性に引かれたのです。「動植綵絵」を研究し、大学院では「乗興舟」を取り上げました。その後、和泉市久保惣記念美術館に勤務することになり、2016年には、当館の所蔵品に「乗興舟」が加わりました。研究者として、とても恵まれていると感じています。
―和泉市久保惣記念美術館は、市立ながら日本美術の名品を多数所蔵する稀有な美術館ですね。
当館の歴史は、明治時代から綿業を営んだ「久保惣」の廃業を機に、その社長・三代久保惣太郎が、1982年、みずからの美術コレクションと建物を和泉市に寄贈したことに始まります。三代惣太郎は、近代初頭の実業家旧蔵の優品や、国指定品を含めたコレクションを買い取ることで、国宝や重要文化財も含めた充実したコレクションを築きあげました。各時代の最高の文化財を求め、鎌倉時代であれば、絵巻を特に好んだそうです。その思いは建物にも表れており、背の低いケースが多く、絵巻の展示や鑑賞に適した造りになっています。
当館で特に人気の所蔵品は、言わずと知れた、剣術家・宮本武蔵(1584~1643年)が描いた「枯木鳴鵙図」(重要文化財)です。
百舌鳥は「早贄」といって、虫を枝に刺しておく習性があります。それを知った上でこの絵を見ると、百舌鳥がこのあと飛び立って、幹を這う芋虫を捕り、枝の先に刺すまでのストーリーが想像できます。
百舌鳥の描写は見事で、背中は薄い墨でふんわりと、脚は濃い墨で鋭く描かれています。一見、かわいらしい百舌鳥ですが、鷹と同じ猛禽類なので、鋭い脚やくちばし、目には獰猛さがうかがえます。
枯木の上部は上から下へと線を引き、下部は下から上へと線を引いて、その2本を合わせて1本の幹を描いたようです。武蔵は剣術家らしく、すぱっと刀で切るように筆を動かしたのでしょうか。職業画家であれば、通常は中心を外して描きますが、この絵ではど真ん中に木を描いており、ここにも武蔵の個性を感じます。
―やまと絵の流派、土佐派の作品も数多く所蔵していますね。
土佐派の親子3代の作品をご紹介しましょう。土佐光吉、土佐光則、土佐光起による、三者三様の「源氏物語」の第24帖「胡蝶」の場面をご覧ください。
まずは、光吉の最晩年の代表作である重要文化財「源氏物語手鑑」です。源氏物語は54帖ありますが、この手鑑では各帖から2、3場面を選んで描いており、全部で80面の絵になっています。ご覧の作品写真には絵しか写っていませんが、実際には、この上部に、絵に対応する詞書が貼ってあります。
この場面は、光源氏が自邸で船楽を開催した華やかな場面で、金銀を豪華に使っています。女性たちが手に持つ瓶に入っているのは、詞書の内容に沿って描かれた桜やヤマブキの枝です。人物の描写はやまと絵の伝統にならって目鼻立ちを統一し、鑑賞者に想像の余地を残しています。
土佐派は代々、宮廷絵所預の役職を務めましたが、光吉の時代には、京都から離れました。というのも、光吉はもともと土佐派宗家の土佐光元の一番弟子でしたが、光元が戦で亡くなったため、光元の子どもを預かって、領地のあった和泉国の上神谷に落ち延びたのです。その後、大坂の堺に移り、絵を描いたといわれます。
この光吉の絵には、桃山時代の華やかな雰囲気が充満していますが、その息子、土佐光則の作と伝わる「源氏物語扇面貼交屏風」では、画面がすっきりと整理され、江戸時代らしい控えめな美意識が漂います。同じ「胡蝶」でも、船楽の場面ではなく、源氏が思いを寄せる玉鬘のもとを訪ねる場面を取り上げています。光則は細かく描くのが得意でした。この作品でも、横幅二十数センチの小さな扇面に丁寧に描いており、御簾は向こう側が透けて見えます。現在は六曲一双の屏風に貼ってありますが、もとは本の体裁だったのかもしれません。光則は、堺の豪商や僧侶の肖像画を描いたことが知られ、そうした地域のつながりのなかで制作していたようです。
光則の子供、つまり光吉の孫である、土佐光起の作品もご覧ください。土佐派はこの時代に大坂から京都に戻り、宮廷絵所預に返り咲きました。
光吉の作品と同じく、船楽の華やかな宴の場面を描いています。この絵巻は、詞書と絵からなる10場面が残っており、桃山時代に書かれた詞書に合わせて、光起が絵を描き、絵巻に仕立てたと考えられています。
先ほどご紹介した土佐光吉筆「源氏物語手鑑」は、平成25年度 (2013 年度)に重要文化財に選ばれ、4年をかけて保存修理を行いました。こうした作品は繊細なので、修理後、状態が落ち着くまで数年間ほど寝かす必要があり、「絢爛たる源氏絵 重要文化財 源氏物語手鑑」展(2020年)でようやく全点をお披露目できました。「胡蝶」の場面は、「和歌と絵画のハーモニー ―歌仙・源氏絵・百人一首―」展(2022年2月6日~3月27日)でもご覧いただけます。和歌や日本美術と言われてピンとこなくても、お正月に百人一首をした思い出があるかたは多いでしょう。日本文化が日本らしく発展してきた背景には和歌の影響が大きいので、昔の人がどのように和歌や絵を楽しんだのか、作品を通して知っていただけたらと思います。やまと絵は細部を見ると多くの発見がありますので、ぜひ、じっくりとご覧いただきたいと思っています。
当館では、対話型の鑑賞にも力を入れています。コロナ禍以前は、展示室で各学芸員が1時間以上にわたり、来館者の感想を聞きながら進める、一方的ではない展示解説を開催していました。学芸員による、近隣の小学校への出前授業も行っています。子どもたちには「絵の感想に間違いや正解はないので、思ったことを話してください」と伝え、どんな感想も否定しません。「そういうふうにも見えるね」と受け入れてから、「こういう解釈もある」と話すように心がけています。日本美術の楽しさを知るきっかけになったら、うれしいですね。
◇ ◇ ◇
和泉市久保惣記念美術館は開館40周年を迎えた2022年、年4回のコレクション展で、館を代表する名品を展示する予定です。土佐派のやまと絵をはじめ、久保惣コレクションの神髄を堪能できる絶好の機会になりそうですね。
【後藤健一郎(ごとう・けんいちろう)】1975年生まれ。長野県出身。1998年、関西学院大学文学部美学科卒業。同大学院文学研究科(美学専修)博士課程前期課程修了、同後期課程単位取得修了。2004年4月から07年3月まで、関西学院大学文学研究科研究員。06年4月から、堺市立文化館・与謝野晶子文芸館(大阪府)嘱託学芸員。07年4月から、和泉市久保惣記念美術館学芸員。担当した展覧会に「数の美術 数えて楽しむ東アジアの美術」(10年)、「単彩画 ひとつの色の多彩な世界」(13年)、「笑いのかたち 絵が笑う絵で笑う」(15年)、「土佐派と住吉派 やまと絵の荘重と軽妙」(18年)がある。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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