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2022.1.25

【大人の教養・日本美術の時間】わたしの偏愛美術手帳 vol. 23-下 村上佳代さん(文化学園服飾博物館学芸員)

「小袖 御所解文様」

文化学園服飾博物館(東京都渋谷区)の村上佳代・学芸員へのインタビュー。今回は、歴史とファッションへの関心から服飾研究に至るまでの道のり、そして、世界の服飾の豊かなコレクションを誇る博物館の魅力をうかがいました。

きものの展示(文化学園服飾博物館提供)
大河ドラマ×ファッション

―小さい頃からファッションが好きでしたか。

実は歴史が好きで、小学校低学年から大河ドラマを真剣に見ていました。そして、ドラマに出てくるお姫様の衣装を、祖母にまねて作ってもらっていました。今でいうコスプレですね。中学生の頃はDCブランドの全盛期で、山本寛斎やコシノジュンコなど日本のブランドが盛り上がっていて、ファッションに興味を持ちました。デパートにそうしたお店がたくさん入っていて、テレビで見るアイドルもすごくオシャレでした。景気も良くて華やかな時代で、無意識にそうしたセンスを享受していたと思います。

中学生の時に、担任の先生が自分の祖父が着ていたという軍服を学校に持ってきたことがあり、それを見たときに、歴史とファッションという二つの関心事が結びついて、それが今の仕事につながっています。服を単なるモノとして見るのではなく、この服をかつて誰かが着ていたのだ、ということを強く実感したのです。その先生は、歴史好きな同僚のために持ってきただけだったのですが、偶然にも私は心をつかまれて、とても印象的な出来事になりました。

服作りを学び、研究の道に

-その後、文化女子大学(現・文化学園大学)に進学されたのですね。

高校生の頃からデザイナーに憧れて、家政学部服装学科に入学しました。当時の女子大には、服の作りかたを学ぶ被服学科が多く、服装学科があるのは当校だけだったと思います。裁縫だけでなく、服のデザインや、「どのように着られてきたか」という文化や歴史まで、さまざまな視点から服を学ぶことができました。

大学の最初の2年間は、服を作る授業が必修で、裏地が付いているスーツまで作れるようになりました。ですが、私は手先があまり器用ではないので、クリエーターになるのは難しいだろうと思い、研究の道に進みました。とはいえ、服作りの基本を身につけられたことは意義深かったです。布の特性や服のカッティングはどうなっているかといった視点も持つことができ、研究が深まったと思います。

3年生からは、幼い頃から大河ドラマを通して興味があった日本服装史を専攻し、卒業論文では、江戸時代に一時的に流行した覆面頭巾ふくめんずきんについて調べました。鈴木春信の有名な浮世絵「雪中相合傘せっちゅうあいあいがさ」に描かれた恋人たちも、御高祖おこそ頭巾ずきんと呼ばれる頭巾をかぶっています。防寒のためでもあったようですが、悪者がそうした頭巾をかぶって顔を隠すと治安が乱れるというので、ときには禁令が出たようです。そのように、服装の文化的、社会的な背景を調べました。卒業後は博物館学研究室で3年間、助手を務め、1996年に文化学園服飾博物館の学芸員になりました。

当館の所蔵品は、世界のさまざまな地域や時代に及んでおり、数も膨大なので、それを自分の頭の中にインプットしながらデータベースを作るのに苦労しました。当時は90年代で景気が良く、当館が購入する資料も多かったため、資料の整理にも追われて多忙でした。今振り返ると、一点一点の資料を撮影するなかで、実物を触ったり、それまでまったく知らなかった世界の地域の衣装を間近に見たりと、楽しい経験でしたね。

インド、パキスタンの民族衣装の展示(文化学園服飾博物館提供)
足を運ぶことで深まる理解

-海外にもたくさん調査に行かれるのですね。

当館に赴任してから、道明どうみょう三保子・文化学園大学名誉教授のもとで学びました。道明先生は当時、当館の学芸室長として、国内外の染織品の収集と展示を手がけられていましたが、フランスのリヨン織物美術館で織物の研究をしたり、東京大学イラク・イラン学術調査の調査隊に参加されたりするなど、世界各地でさまざまな経験をされています。そうした話を聞くうちに、私も人生一度きりなので、いろいろなものを見ようと、20年ほど前からほぼ毎年、1週間から10日間ほど、海外に民族衣装を見に行くようになりました。

行き先は、アジアや中東など、伝統的な衣装が広く着られている地域です。この先、いつ、そうした衣装が着られなくなってしまうかわからないので、早く見に行っておかなくてはと思っています。染色や刺繍ししゅうなどの工房を事前にリサーチしてアポを取り、実際に作っているところを見せていただくのもすごく楽しいですね。

今はインターネットで、各国でどのような服が着られているのかすぐに調べることができますが、実際に行ってみないと、その土地の気温や空気感はわかりません。例えば、一日のうちで寒暖差が激しい砂漠では、どんなものを着れば心地いいのか、体験してみないとわからないですよね。また、中東の女性が顔に覆うベールが抑圧の象徴のように言われることがありますが、実際に現地に行ってみると、砂嵐から目や鼻の粘膜を守るためには必要なのだとわかります。そのように、その土地の気候や風土を体験すると、「だからこういう服が必要なのか」と理解が深まるのです。

近年訪れたブータンでは、普通の道でも山道ぐらいの高低差があることが実感できて、「それで足さばきの良いひざ丈の服があるんだな」とに落ちました。現在開催中の「民族衣装 -異文化へのまなざしと探求、受容-」(2021年11月1日~2月7日)でも、ブータンの衣装を展示しています。

そのように世界のさまざまな地域の衣装を見たのちに、改めて日本のきものを見ると、その素晴らしさに気づかされますね。なにより平面的な形で、一枚の絵画のように全体にバランスよく模様を表す点が、大きな特徴だと思います。

ヨーロッパのドレスの展示(文化学園服飾博物館提供)
デザイナーの卵たちへ

-ファッションを学ぶ学生が多く訪れるのも、この博物館の特色ですね。

古いものを並べているだけでは、学生たちに興味を持ってもらえないので、現代の生活に身近なものに結びつけて展示するように心がけています。今回の展示「民族衣装 -異文化へのまなざしと探求、受容-」では、世界各地の伝統の衣装と、その影響を受けて作られた近代のデザイナーの洋服を並べました。そうすると、そのデザイナーがどのように発想や思考を展開させて、そういうものを作るに至ったのか、その過程をうかがい知ることができます。ほかにはない当館の特徴として、所蔵品が古今東西の染織品や民族衣装から、近現代のファッションまで多岐にわたるため、そうした展示を実現できるのです。

また、文化学園の図書館からも昔の文献を借りて展示することもあります。他の国の人々の考え方はもちろんのこと、たとえ同じ国であっても、過去の人々の考え方を想像するのは難しいですよね。そこで、衣装の実物とともに、昔の人がそれを記録した文献を展示することで、その衣装をどう見ていたのか、他の人々にどういうスタンスで伝えていたのかを紹介しています。先にご紹介したきものの「御所解文様ごしょときもんよう」は名称が明治以降にできたものですし、江戸時代の人々がそうした模様をどのように捉えていたか、本当のところはわかりません。そう思うと、タイムマシンでもないと、当時の人々の思いはわからないので、とにかくそれぞれの衣服の美しさを味わっていただくのが何よりかなとも思うのですが。

展覧会によっては、絞り染や友禅染など、さまざまな職人さんに取材して、その技術を撮影した動画を展示室で流すこともあります。モノづくりが好きな学生は特に関心を持ってくれますね。

服というのは、ただ寒さや暑さに適応させるために体の上に着るものではなく、それを着ている人の立場や内面を示すという側面や、自己主張のツールという側面もあります。当館では、服を見るだけではわからない、そうした情報をいろいろな切り口で紹介しています。なにより世界各地の服飾を豊富に所蔵しているので、それらを生かした展覧会をこれからも開催して、多くの方に楽しんでいただきたいですね。

◇ ◇ ◇

村上佳代・文化学園服飾博物館学芸員(鮫島圭代筆)

展示室では、世界各地の民族衣装を前に、一生懸命メモを取る学生たちの姿が印象的でした。日本のきものに影響を受けたファッション・デザイナーが数多いのはご存じの通り。大学に併設されているとはいえ、一般に開かれた博物館なので、ぜひインスピレーションを受けにお出かけください。

【村上佳代(むらかみ・かよ)】静岡県生まれ。文化女子大学(現文化学園大学)家政学部服装学科卒業。専攻は日本服装史。1996年から文化学園服飾博物館に学芸員として勤務。これまで担当した展示に「衣服が語る戦争」「世界の刺繍」「ひだ-機能性とエレガンス」など。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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