平安から鎌倉時代にかけて中国から伝わった喫茶法は時代を経て徐々に和様化し、豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休に至って、独自の文化「茶の湯」が大成されました。江戸時代には利休の子孫である三千家の家元に茶道具を納める10の職家「千家十職」が京都で技を磨きました。これらの家を訪れて歴史と仕事について尋ねました。
「紙」の仕事の一切をこなす…十三代 奥村吉兵衛さん(52)
家元の筆による書画を軸に仕立てるのが、主な仕事だ。茶席の床を飾る掛け物は、亭主の意図や季節感が表現される大切なものだ。
奥村家は、元武士の初代が滋賀から京に移って表具師となり、二代から表千家に出入りが許された。
茶室の奥に置かれる風炉先屏風や、香合などを置く紙釜敷も制作し、千家の紙に関する一切の仕事を引き受ける。「子どもの頃から、表千家の障子の張り替えに行ってました」
2016年に襲名し、3年後、先代の父が他界した。書画の裏打ち作業に使う和紙や裂など材料を厳選し、作業はおじの奥村利男さん(82)と進める。「茶室には最高の手仕事を施された道具が並ぶ。それを引き立たせる仕事を心がけています」
指物師・駒澤家 金物師・中川家
指物師の駒沢家は、十四代が1977年に死去。十四代のおいの吉田一三さんが駒澤家の後見となり、長男・吉田博三さん(64)が後継者となるべく修業するのを見守ってきた。一三さんは今春亡くなったが、博三さんは引き続き、後継者を目指している。
金物師の中川家は当主不在。
(2022年9月4日付 読売新聞朝刊より)