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坂本龍馬書状(乙大姉宛)1863年(文久3年)皇居三の丸尚蔵館収蔵

2025.10.7

【皇室の美】龍馬の活躍伝える「エヘンの手紙」

皇室の名品と長崎―皇居三の丸尚蔵館収蔵品展

幕末志士の中でもっとも著名な坂本龍馬(1836~67年)が実姉乙女に宛てた、通称「エヘンの手紙」で知られた書状です。龍馬の手紙は約130通が残されていますが、土佐国(高知県)の実家の姉乙女や兄権平などの家族に宛てたものが20通ほどと、多くあります。もっとも、これは現存する数による比較です。より関係性が深かったはずの妻おりょうへの手紙が1通のみである点や、その交流が人口に膾炙かいしゃしている同志、中岡慎太郎や西郷隆盛への手紙は残されていないことなどから、実際には失われてしまったものも多いと考えられます。

幕末という流動的な時代の中で、ひときわ輝きを放ち、個性的な活躍で知られた龍馬ですが、親しい家族に宛てられた手紙には、人間性や面白さがにじみ出ており、特に自由奔放な字と表現が特徴的です。

皇居三の丸尚蔵館収蔵の手紙もこの点が顕著です。龍馬は土佐藩を脱藩し、1862年(文久2年)8月に江戸の千葉道場に寄宿し、12月には江戸幕府政事総裁職にあった前越前藩主松平慶永よしなが春嶽しゅんがく)に拝謁はいえつ、その紹介によって軍艦奉行並ぐんかんぶぎょうなみ勝麟太郎(義邦よしくに安芳やすよし海舟かいしゅう)の門人となりました。この書状冒頭に「天下無二の軍学者勝麟大郎」とあるので、門人となった翌年に出されたものです。ここで龍馬が海舟を絶賛しているのは、能力や人柄を評価してのことですが、今一つは手紙に先立つ2月に、勝による前土佐藩主、山内容堂(豊信)へのとりなしにより脱藩の罪が赦免されたこともあります。まさに命の恩人といったところでしょう。

また、本文前半「海軍ををしへ候所そうろうところをこしらへ」や「其海軍所に稽古学問いたし」とあるのは、勝が海軍創設を目的に、幕府に申請、許可された「神戸海軍操練所」のことです。続いて、龍馬たちは、乗船しての訓練に励んでいる旨が記されています。その感動と自負心が本文中頃の、稽古船の蒸気船に乗って土佐に向かいたいとする発言や、末尾の「ヱヘンヱヘン」といった自慢げな表現に素直な気持ちとして表れており、親近感を覚えます。この書状はこうした愉快さだけではなく、若かりし頃の龍馬や海軍操練所の活動を端的に伝える重要な史料としても評価されます。

(皇居三の丸尚蔵館調査・保存課長 高梨真行)

ながさきピース文化祭2025 
皇室の名品と長崎―皇居三の丸尚蔵館収蔵品展

【会期】 〔2025年〕9月14日(日)~10月19日(日)
【休館日】9月22日(月)、10月14日(火)
【会場】 長崎県美術館(長崎市出島町)
【観覧料】一般420円、大学生・70歳以上310円、高校生以下無料
【問い合わせ】095・833・2110
 ※「坂本龍馬書状(乙大姉宛)」は本展で通期展示されます

(2025年9月7日付 読売新聞朝刊より)

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