日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2021.2.15

【音月桂の和文化ことはじめvol.7】模型でバーチャル名建築の旅!工匠の技と魂に感動

女優の音月桂さんが日本文化を体験する「和文化ことはじめ」、今回は東京国立博物館で開催中の紡ぐプロジェクトの特別展「日本のたてもの」(2020年12月24日~21年2月21日)を訪れ、模型で建築巡りを疑似体験します。神社仏閣が好きだという音月さん、精巧な模型にテンションが上がります。日本建築の魅力を教えてくださる講師は、文化庁の黒坂貴裕調査官です。さあ、ガリバー気分で日本一周・名建築の旅に出かけましょう。

旅の始まりは沖縄

旅の始まりは、沖縄・首里城正殿から。「この首里城は、本物の10分の1の大きさです。建物は中国風で龍などがあしらわれていますが、曲線的な屋根は唐破風からはふと呼ばれる日本のデザイン。中国と日本の中間にあった琉球王朝を象徴する建物といえます」と黒坂調査官が説明を始めます。

黒坂調査官の熱い解説に耳を傾ける音月さん

正殿は1945年の沖縄戦で焼失しますが、以前に修理に携わった大工が「首里城の姿を後世まで伝えたい」と53年に模型を製作。92年に建物は復元されましたが、2019年10月の火災で再び焼け落ちてしまいました。

音月さんは焼失前に一度、首里城を訪れたそう。「建物の中で文化が融合しているとは気づきませんでした。ぜひ再建していただきたい」と話します。「それにしても、模型があまりにも精巧で驚きます。見ていてあきませんね」

模型はなぜ作られた?

会場には、全国の国立博物館などが所蔵する計19の建物模型が展示されています。そもそも、この模型はどうして作られたのでしょうか。

「建築模型はこれから建物を建てる、あるいは修理をする際に、建物の状況や技法を知るために大工自身が作りました。模型には実際に建物に使う木材や道具を用いて、同じ工法で作ります。時には地形の傾斜なども再現します。模型作りは大工の技術の一つなんですね」と黒坂さん。飛鳥時代の遺跡から模型のパーツが出土するなど、模型と建築の歴史は古代から続いています。

表慶館の会場に入ると、法隆寺五重塔、一乗寺三重塔、石山寺多宝塔と、迫力ある国宝の3塔が迎えてくれました。

「10分の1なのに、思ったよりも大きいし、保存状態も素晴らしいですね」。模型は何人で作るのかと尋ね、「この法隆寺五重塔の場合ですと、だいたい7、8人でしょうか。塔は背が高いので組み立てるのも大変です」と教わりました。紡ぐTwitterで紹介した搬入風景の動画を見ていたという音月さんは、「クレーンで積み上げているのを拝見しました」とうなずきます。

塔にも異なる歴史あり

法隆寺五重塔の模型は、昭和7年(1932年)に作られたもの。「この模型も、修理を前に建物の仕組みを確認するために、修理に関わる大工さんたちが作りました。手がけた西岡常一さんは、代々法隆寺のメンテナンスを行う『法隆寺大工』の家系に生まれました」

「えっ、お寺を修理する家が決まっていたのですか」と、音月さん。「大工さんも模型を作ることで、建物のことを学ぶことができます。西岡さんはこの模型を作られた時は20代で、法隆寺五重塔のことを学び、その後、棟梁とうりょうになって実際に修理を行いました」「実際にその後、建築に関わられたというのが、すごいですね。きっと色々なことを感じられたのでしょうね」

黒坂さんが「塔は、インドのサンスクリット語の『ストゥーパ』から来ており、お釈迦しゃか様の骨を納めるなど、寺の中では一番重要な建物でした」と歴史を語ります。三つ並ぶ塔の中で、石山寺多宝塔は、塔の途中が円筒形なっているなど、ほかの二つとデザインが異なります。「平安時代に密教が導入され、このような形の塔が作られました。空海の真言宗などで好まれたデザインです」と黒坂さんが言うと、「たしかに高野山に以前行った時に、同じ形の塔を見ました。塔でも随分印象が違いますね」。

「よく見ると、屋根も違いますね」と音月さんが気づきました。「屋根は日本独特の檜皮葺ひわだぶきで、ヒノキの木の皮を使っています。海外にも樹皮を使う建物はあるのですが、これだけきれいに建てるのは日本ならではと言われています」。音月さんは、「現地では屋根は見えづらいですから、気づきませんでした」と、模型ならではの発見を楽しみます。

寺院が示す古代の人々の心

塔から先へ進むと、仏堂が姿を現します。奈良・唐招提寺の金堂の模型は、様々な調査を基に奈良時代の当初の姿を復元しています。「今ある実際の建物はもっと背が高く、雨の多さを反映してか、屋根がより急勾配になっています」と黒坂さん。

模型は真ん中で二つに分かれており、金堂の内装もよく見ることができます。音月さんは「装飾の絵が素晴らしいですね。一度行ってみたくなります」と中をのぞき込みました。

「床の一段高くなっている部分には、仏様がおられます。よくご覧いただくと、建物の大半が仏様のスペースで、人間が歩ける部分がほとんどないでしょ」と黒坂さんが指摘します。「これが古代仏教寺院の建物の特徴です。建物は仏様のためのものということです」。確かに人の入る隙があまりありませんね、と音月さんも苦笑。「時代の考え方が建物にも表れているのがとても面白いですね。教えていただかないと現地で見ても気がつかなかったかもしれません。現在の屋根の変化なども、とても興味深いです」

東大寺鐘楼をのぞき込む
神社の造り違いは、神様の違い?

会場の表慶館は、明治41年(1908年)に、後の大正天皇のご成婚を記念して建てられた重要文化財の洋風建築です。美しい階段を上って2階へ。

ここは、神社ゾーン。長野県大町市にある国宝の仁科神明宮の模型が目に入ります。「神明づくり」と呼ばれる建物です。

「伊勢神宮と同じ形です。元は何の建物かわかりますか」と黒坂さん。「屋根の突起部分が特徴的です。窓がないですね。どこか素朴な感じですが……」と音月さんが語ると、「はい、これは弥生時代の高床式倉庫、お米を収める倉から発達したと言われています。だから床が高く、出入り口が1か所で窓がありません」と答えます。「古い形式の建物で、本来の神明造は装飾も少なくシンプル、柱は土を掘って立てます」

一方で、と指さしたのは向かい側に置かれた奈良県・春日大社の模型です。「こちらは『春日造』と呼ばれます。土台を置いて柱を立て、建物を造るようになりました」 「神社ごとに造りが違うんですか」と音月さん。「そうですね。祭る神様が違うから、神社ごとに独自色を出したといえます」。

「この建物、先ほどの神明造と大きく異なる点があります。何だと思われますか?」。黒坂さんの問いかけに、音月さんが模型の前を往復して観察しますが、装飾などの違いについ目が行きます。「階段のつく正面から見た時の屋根の向きが違うのです。神明造は屋根が横を向いていて、春日造は屋根も正面を向いているでしょう」と教えてもらって、「本当だ! こんな大きな違いに気がつきませんでした」と驚きます。

明治天皇即位の際の「大嘗だいじょう宮」の大きな模型を前に、「令和の即位でも、同じような建物だったのですか」と音月さんが尋ねると、「建物は同じです。ただ今回は板葺きの屋根でしたが、本来はこの模型のように茅葺かやぶきです」と黒坂さんが教えてくれました。「神社によくお参りに行くのですが、本殿の造りや屋根などをあまりじっくり見ることがなかったので、次回からは観察します」と誓っていました。

音月さん、農家にひかれる

会場には、弥生時代の竪穴式住居や茶室など、様々な住居の模型も並びます。二人が注目したのは対照的な二つの民家。奈良県橿原市にある今西家住宅は、白漆喰しっくいの壁に瓦葺きの大きな屋根が載っています。「豪邸ですね」と音月さん。「町人ですが、織田信長とやりあうほど力のあった町の有力者の家ですね。都会にある住宅なので、火事に巻き込まれないような壁と屋根になっています。窓を格子で守りつつも、光が入る設計になっています」

一方は、神奈川県川崎市にある旧北村家住宅、農村部の民家です。「同じような格子も、こちらは動物対策と言われています。土間には、農作業を行うスペースが設けられています。屋根裏は倉庫。家の隅々まで、無駄なく使う工夫がされていますね」と黒坂さん。「この床の凹凸は何ですか」「これは畳より古い時代の床で、竹のすのこを並べていました」

素朴さが残る農村の民家が気に入った様子の音月さん。「天井の木が少し曲がっていて、いい味わいですね」と観察します。「おそらく曲がった木は周囲の森から取って使うということでしょう。町家の方はまっすぐな木材が多い。商品として売られていた材木を使っていたからですね」「家のある場所によって材料も異なるというのは、興味深いです」

松本城に残る戦争と平和の痕跡

会場の最後には、国宝松本城の巨大な模型がそびえ立ちます。「宝塚歌劇団にいた頃に、全国ツアーで松本に行ったので、お城も行きましたよ。これまでに2回ほど訪れたことがあります」と音月さん。「人気のお城です。でも、こんなふうに中の様子を見られるのが模型の面白さです」と黒坂さん。断面図のように、お城の階層がよくわかります。「確かに、実際に訪れても階段を上がって、中をウロウロと回るだけ。全体像はよくわかりませんでした」

「この小さな窓は、戦いのためだと伺いました」という音月さんに、「はい。鉄砲を撃ったり弓矢を放ったりすることができますね。このお城は戦国時代の終わりの頃のもので、そういった戦いに備える部分と、町のシンボルとして天守閣が造られたという、いわば戦国から平和な時代への移行時期ともいえる造りになっています」。

建物の端に、張り出したようなやぐらが造られています。「ここは月見櫓といって、江戸時代に付け加えられたものです」。「月見をしていたんですか」と音月さん。確かに、月はよく見えそう。月を見ながら能を楽しんだのでは、と思える広々とした広間です。「平和な江戸時代ですから、お殿様たちが宴会を楽しんだのではないでしょうか。雅な部分も残されていて、城が刻んだ年月を感じますね」と黒坂さんは話していました。

匠の技はユネスコ無形文化遺産へ

「どの国宝の建物も、建てた当時のままでは伝わっていません。必ずどこかが壊れたりして、そのたびに修理をして、今に伝わってきた。おそらく戦前までは、日本人は修理をして建物を維持して長く使うのが当たり前だった。それがいつの間にか、新しく建てた方が安くすむようになってきました」と黒坂さん。大工さんたちが育んできた長く建物を使うための技、日本の伝統的な木造建築技術は、2020年12月にユネスコの無形文化遺産に登録されました。

「そういった技を伝える職人さんの数は、少なくなっているんですか?」と音月さん。「昔は親方がいて弟子に技を伝えてきましたが、伝統的な仕事を生かす場が今は少なくなってきています。そこで技の継承のために、皆に集まっていただき、団体を作ってもらって、若い人につなげていくことを、文化庁としても支援しています。ユネスコへの登録で、技の大事さを皆さんに気づいてもらい、技を生かす機会が増え、それによって次代へ伝えてほしいと思っています」と黒坂さんは答えます。

「せっかく現代まで伝えてこられた技ですもんね。私も建築を見るときは、長い時を経て紡がれてきた技に思いをはせながら楽しみたいと思います」と音月さんも話していました。

<建築ことはじめ>模型に宿る職人の技 こだわりを現地で楽しみたい

神社仏閣巡りが好きで、建物を巡るテレビ番組で職人さんのこだわりなどを知るとすごくウキウキして楽しくなります。「日本のたてもの」展も楽しみにして来ましたが、模型の精巧さや丁寧な作りに驚くとともに、そこに大工さんの技や本気の思いが宿っているように感じて、終始感激の連続でした。

首里城や松本城など、訪れたことのある場所は特に興味深かったのですが、首里城が中国と日本の建築様式が影響しているのは初めて知りました。違う国同士の様式を融合するというのも、大変だったのではないでしょうか。

個人的にとても気に入ったのが、農村部の民家です。都市部の家に比べて、生活スタイルの違いが素材や家の形に表れていましたね。今、自宅の中に木や植物などの自然を取り入れようとしているので、光の入れ方や雰囲気などの参考になりそうです。

大工さんたちは模型を作ることで技術を学ばれると伺いましたが、知識を得て、色々な技術を持った方同士が力を合わせて実際の建築へとつなげていく、その過程にもドラマがありますし、だからこそ建築は人をワクワクさせるのかもしれないなと感じました。

今日見たすべての場所に、いつか訪れてみたい。教わった建築の様式や大工さんのこだわりを、自分の目で確認したいです。今の状況ではなかなかかないませんが、それでもこの展覧会を通じて、その土地に行った気持ちになれたのはうれしいです。

そして今回も、日本の素晴らしい文化を守ることの大切さを学びました。建物をすてきだなとただ眺めるだけでなく、何か私にもできることはないのか、お手伝いできることはないのか、考えたいと思いました。

(企画・取材:読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来、撮影:青山謙太郎)

※音月さんの今後の記事の更新情報などは、紡ぐサイトの公式ツイッター( @art_tsumugu )で配信します

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音月桂

プロフィール

女優

音月桂

1996年宝塚音楽学校入学。98年宝塚歌劇団に第84期生として入団。宙組公演「シトラスの風」で初舞台を踏み、雪組に配属される。入団3年目で新人公演の主演に抜擢されて以来、雪組若手スターとして着実にキャリアを積む。2010年、雪組トップスターに就任。華やかな容姿に加え、歌、ダンス、芝居と三拍子揃った実力派トップスターと称される。12年12月、「JIN-仁/GOLD SPARK!」で惜しまれながら退団。現在は女優として、ドラマ、映画、舞台などに出演している。

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