東洋美術史家のアーネスト・フェノロサや日本美術品の収集家ウィリアム・ビゲローを始めとして、それまで秘仏であった奈良・聖林寺の「十一面観音菩薩立像」の存在が公になると、多くの人に激賞され、「日本仏教彫刻の最高傑作」とまで称されるようになりました。文化人たちの心もがっちりとつかみ、たたえられています。
・「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさ」
和辻哲郎「古寺巡礼」
・「それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた」
土門拳「古寺巡礼」
・「世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた」
白洲正子「十一面観音巡礼」
天の邪鬼のきらいがある私は、これだけ称賛を浴びるのは、何か別の力や忖度が働いているからではないかと疑念を抱き、「日本仏教彫刻の最高傑作」の化けの皮をはがしてやろうと、変に意気込んで、展示会場である東京国立博物館本館特別5室へと向かいました。
国宝「十一面観音菩薩立像」は今から遡ること約1300年、奈良時代の終わり頃に造られた仏像です。日本独自の技法である木心乾漆造りが用いられています。
当初は三輪山の麓にある大神神社の神宮寺(神社の境内にある寺)であった大御輪寺のご本尊でしたが、1868年に神仏分離令(神と仏を分ける明治政府の政策)が出され、大御輪寺と関係の深かった聖林寺に移安され、今に至ります。
1897年に旧国宝制度が成立すると同時に国宝に指定され、新制度への移行後は、 1951年6月、新国宝に選ばれました。まさに、国宝中の国宝です。
さて、歴史の勉強はこれくらいにして、初めて奈良から遠路はるばるお出ましになられた十一面観音菩薩をじっくりと拝見していくこととしましょう。
展示室に一歩足を踏み入れると、最初は誰しもが、その大きさに意表を突かれることでしょう。高さ2メートル超を有し、圧倒的な存在感を放っています。しかし、それだけ大きな仏像であるにもかかわらず、威圧的な雰囲気は微塵も感じられず、我々をやさしく包み込んでくれる、慈愛に満ちたお姿です。
実際に近くで拝見すると、しっかりとした体躯の肉付けなど、写真やウェブで目にした印象より、とても男性的な観音様であることがわかります。薄く流れるように表現された天衣が、全体として軟らかな印象を持たせることに大きく寄与しています。ちょうど目線の高さに当たるので、天衣の流麗さに見とれてしまうことでしょう。
十一面観音菩薩の名の通り、本来は頭上に11の面(うち3面は亡失)が全方向を見つめるかのように配置されていました。でも、冷静に考えると、頭上にいくつもの顔がのっているなんて、ボスキャラなみの異様さですよね。それにも関わらず、不気味さは全くないばかりか、いつまでも見つめていたい普遍的な仁愛を感じさせます。
聖林寺のお堂では、正面からしか拝見できませんが、会場では、特注のガラスケースに守られ、そのお姿を好きな角度から好きなだけ味わうことができます。望遠鏡の類をお持ちになると、各面のそれぞれの違いを見て取ることができます。
先達たちがなぜ、この十一面観音菩薩をかくも特別視し、褒めたたえたのか、会場に3分も滞在しないうちに理解できます。それは知識としてではなく、身体全体で感じ取れるものとしてです。
この仏像を拝見するのに蘊蓄はひとつも必要ありません。もう二度とないであろう博物館で拝見する「十一面観音菩薩立像」。千載一遇の好機です。
三輪山を御神体とする大神神社の神宮寺で十一面観音菩薩立像が本尊とされてきた理由をひもといてみると、この特別展を今開催する意義がどれだけ大きなものかも自ずと知れてくるはずです。
なお、この特別展では、十一面観音菩薩と同じく、かつて大神神社にあった国宝 「地蔵菩薩立像」(法隆寺蔵)や、「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」(共に正暦寺蔵)の仏像たちが、約150年ぶりに再会を果たしています。
プロフィール
ライター、ブロガー
中村剛士
15年以上にわたりブログ「青い日記帳」にてアートを身近に感じてもらえるよう毎日様々な観点から情報を発信し続けている。ウェブや紙面でのコラムや講演会なども行っている。著書に『いちばんやさしい美術鑑賞』『失われたアートの謎を解く』(以上、筑摩書房)、『カフェのある美術館』(世界文化社)、『美術展の手帖』(小学館)、『フェルメール会議』(双葉社)など。 http://bluediary2.jugem.jp/
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