「継承 祈りの舞」の最終回は、 世阿弥直筆の花伝書など、観世家に伝わる様々な能関連の「お宝」を紹介する。家宝への思いを、二十六世観世宗家の観世清和さんに聞いた。
室町時代に世阿弥が著した能楽書「風姿花伝」。そのうち「花伝第六花修」は世阿弥の自筆が残る原本で、観世宗家にのみ伝わる貴重な家宝だ。
「万が一のことが起きたら、この風呂敷包みを持って一目散に逃げろ」。清和さんが20歳代の頃、突然、父の左近元正さん(先代家元)に呼ばれて告げられた。膝の上には風呂敷包みが載せられていた。「これは大事なもの」と父は言うが、風呂敷を解き、中身を説明することはなかった。
「世阿弥の自筆本と薄々気づいていましたよ。でもその時は『分かりました』とだけ言って、それ以上は何も聞きませんでした」。その後、しばらくして再び呼ばれ「我が家にしかない自筆本が入っている」と教えられたという。
父は60歳で急逝。清和さんは31歳で跡を継いだ。「家元を継承して真っ先にやったのは、この風呂敷の中を改めることでした。その時、初めて中を見ました」と振り返る。
「風姿花伝は、子孫に向けて書かれた家訓。世阿弥が実体験から能役者のあるべき姿や人としての生きざまを説いている。朱書きや点を加え、後世に分かりやすく伝えようとしている。焼け焦げの跡もあり、代々、命がけで戦乱や大火から守り、現在まで伝えてくれたのでしょう」と推し量る。
後継の嫡男、三郎太さんに対しても、「風呂敷包みの存在は伝えている」。しかし、先代のやり方を踏襲し、あえて中身を見せることはしていない。「家元にならないと、そのつらさは分からないから」
風姿花伝以外にも、伝えるべきことはたくさんある。ある時、それらを書き残そうと思い立ったが、「もうずいぶん書いたが、まだ書き切れない。あれもこれもとなりますね」と苦笑い。「結局は、本人が苦しんで苦しんで自分で見つけないとだめだと思います。私もそういう教育を受けてきたから」と、息子の飛躍に期待を込める。
観世家に伝わる面「翁 肉色」(重要美術品)と「父尉」(重要文化財)。
「『翁 肉色』をつけて翁を舞ったのは、たった1回。先代が亡くなって家元を継承した後、観世の頭領として自分も頑張っていかなきゃならない、と己に言い聞かせる意味でした」と清和さんは振り返る。「畏れ多くて、普段は桐たんすに封印している」と語る。
「観阿弥や世阿弥の汗が染みついている。翁の能を舞っていると、自分も汗をかき、口に入るんですよ。先祖と一体となっていると感じる瞬間ですね」と、長い伝承の歳月に思いをはせた。
徳川家康公から拝領された「萌葱地蜀江錦翁狩衣」。「時の権力者が大切にしているものを、ひいきの能役者に分け与える習慣があった」と清和さん。今回の公演では、この翁狩衣の「写しを着用する」という
「翡翠図」は、江戸幕府5代将軍・綱吉が自ら描き、観世家に与えたと伝えられる。綱吉は能楽を好み、自ら度々演じたことでも知られる。詳しくは、こちら。
「翁扇」には、中国の伝説にある神仙の山「蓬莱山」が図案化されている。松や竹、橘、鶴、亀といった吉祥のものを描いて祝儀を表す。
(2021年3月7日読売新聞朝刊より掲載)
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